東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 城南 犬田~潤田~原の史跡巡りウォーキングの下見(2/4)

2016年09月03日 | 歴史探訪他ウォーキング
 巡礼ルートを引き返すと、A君とEさんの二人とは道を分けました。二人は大岩がある方向に行き、私は草刈機の音がする方に行きました。私は草刈りをしているお年寄りに挨拶をして、磨崖仏についてお聞きしました。すると、快く磨崖仏がある大岩の方角について教えてもらいました。お年寄りの教えてもらって方角に行くと、大岩の前でA君とEさんが待っていました。

               大岩に彫られた磨崖仏


 やはりこの大岩に磨崖仏が彫られていました。そして、この磨崖仏の前に茂る木の枝を避けると、大岩に「一番」の文字が彫られていました。つまり、かつてはこの磨崖仏が一番個所だったのです。

磨崖仏隣に彫られた「一番」 再び順礼ルートに戻る   変わった形の地蔵尊?
  

 過去の資料によると、明治初期の社寺統合時にこの磨崖仏の近くにあった般若堂が廃止されたそうです。その時、般若堂にあった仏像などが犬田大師堂に安置されたそうです。その般若堂廃止時に、八十八箇所のルートが今のルートに移設されたとのこと。

     八十八番目のお地蔵様、向こう側から見ると背中が見える


 般若堂が廃止される前は、この磨崖仏を一番として北の山に向かって吉井側への巡礼ルートがあったようです。その元の古いルートを辿ってみようとしましたが、竹藪が茂っていて辿れませんでした。地元でも忘れ去られた幻の巡礼ルートです。

 三輪神社への入口      荒れた参道に石柱2本     長い石階段を登る
ん  

 磨崖仏から巡礼ルートに戻りました。そして、今の「一番」がある犬田大師堂に戻りました。途中、八十八番目のお地蔵様に着きました。そのお地蔵様の後ろに二十番位の巡礼ルートがあるではありませんか。二十番目位を巡礼している時に見えたお地像様の背中は、実は八十八番目のお地蔵様の背中だったのです。この巡礼コースは二十番目位と八十八番番目で交差していることが分かりました。
 犬田大師堂に戻ると、光市の三輪地区に行きました。三輪地区の道を歩いていると、三輪神社の入口に着きました。荒れた参道を通って三輪神社に行くことにしました。

          参道を登りつめた場所に、三輪神社が鎮座


 荒れた参道を進んですぐ、二本の石柱がありました。この参道は最近誰も通らないのか、草がひざ上までびっしり生えていました。途中から車道に切り替えて登りました。そして、長い石階段を歩いて登りました。石階段を一段ずつ登っていると、上の方に三輪神社が見えてきました。

     今回下見した、犬田~潤田~原の史跡巡りウォーキングルート
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする