東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

茨城県 ひたちなか市~御岩神社~日鉱記念館などを楽しく散策(3/3)

2019年10月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 御岩神社より山奥にある賀比礼神宮から、さらに上に上がる道がありました。おそらく御岩神社の御神体と思われる大岩があるようです。しかし、時間がなかったため、賀比礼神宮から御岩神社に降りる別の山道を下りました。途中、常陸の国を鎌倉時代から数百年も治めた佐竹氏代々の墓所がありました。佐竹氏は戦国時代末期に徳川家の反感を買って今の秋田県に移封されました。毛利家が周防・長門だけに減らされた待遇に似ています。そのためか、佐竹氏は幕末期に奥州列藩同盟から離脱して新政府側につきました。戦国時代の恨みは数百年を超えて蘇るのですね。

          賀比礼神宮から降りて再度参拝した御岩神社 


 私は茨城県の成り立ちにとても興味があります。明日香や奈良時代の頃、今の茨城県は常陸の国と呼ばれていました。「常陸」とは「日が立つ国」の意味とか。最初に朝日が昇るほど東の果ての国との意味もあるようです。大和王権が支配する最も東の端にある国だったのではないかと言われています。なお、当時の東北は蝦夷と言われて、朝廷の支配が及ばない別の国だったようです。

御岩神社上の賀比礼神宮   佐竹氏代々の墓所   佐竹氏墓所近くの薩都神社
  

 
御岩神社に戻ると、あらためて本殿などの建物を見ました。すると、最近修理したのか新しい木材が使われていました。一躍有名になったため参道を整備したり、本殿などを新しくしたのかも知れません。御岩神社から駐車場に戻ると、個人的に懐かしい日鉱記念館に向かいました。

  明治時代の鉱山工場   使われていた古い機械    新しい日鉱記念館
  

 40数年前、私が入社時にこの記念館を訪れたことがあります。入社した会社が、この鉱山から発祥したからです。記念館内には明治時代に使われた機械がぎっしりと陳列されていました。日鉱記念館を見学していると、会社人生をスタートした頃の懐かしい思い出が蘇ってきました。

   日鉱記念館内を移動          立ち寄った「道の駅 ひたちおおた」
 

 私が入社時、高鈴山に登山後にこの日鉱記念館は訪れました。もしかして、高鈴山から尾根続きの御岩神社に降りてから日鉱記念館に行ったのかもしれません。そうだとすれば、2度目の御岩神社です。日鉱記念館を去ると、東京に向かって一直線に帰りました。途中、道の駅ひたちおおたに寄りました。食い道楽に史跡道楽の楽しい茨城散策でした。連れて行ってくれた息子夫婦に、ありがとう。

           今回散策した茨城県内のルート

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