東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周南市 大津島 史跡巡り下見ウォーキング(4/5)

2019年04月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 山の頂上から降りると、回天記念館近くの登山口に出ました。そして、回天の組立・修理小屋跡を横目に回天訓練基地跡に向かいました。大津島と馬島を結ぶ防波堤が見えてくると、馬島港とは反対側に向かう道に入りました。するとすぐに、岩盤をくりぬいたトンネルが見えてきました。よく分からないのは、わざわざ岩盤にトンネルを掘った理由です。

           回天訓練基地跡から防波堤側を望んで


 わざわざトンネルを掘らなくても、港に隣接して訓練基地を作った方が良いと思うのですが。平生町の回天訓練基地は港に隣接して訓練基地がありました。隠すためか、空襲避けかも知れませんが、大津島特有の理由があったのでしょう。あるいは、元々あった魚雷性能研究と関係があったのかも知れません。

 トンネル側へ向かう道   岩盤に掘ったトンネル    長い長いトンネル
  

 岩盤に掘られたトンネルが見えてきました。一瞬真っ暗なトンネルにみえましたが、内部は照明で照らされていました。今こそ歩きやすいトンネル道になっていますが、かつてはトンネル内に回天を移動するレールがあったそうです。訓練に使う回天や実戦に使う回天が、このトンネル内を忙しく往復していたのでしょう。

   トンネル内に展示された資料     トンネルを出ると回天訓練基地跡
 

 ところで、このトンネルは「この世」と「あの世」を繋ぐ道だったとの話をどこかで聞いたような気がします。回天に乗って戦場に旅立つ隊員は、このトンネルを通ることにより「この世」から「あの世」に旅立ったのだとか。自分が乗る回天と共にトンネルを出た隊員は、どんなに気が引き締まったことでしょう。今の平和な時代を生きる私には、その気持ちを推し量ることはとうていできません。

 眼前が海のトンネル出口   基地のクレーン跡   ふり返ると眩しい海と山
  

 私の父親はかつて満州と言われた国で、生きるか死ぬかの体験をしました。国境を越えたソ連軍に追われるように逃避行をしました。父親が二十歳のことです。銃で撃たれたり、友人を失ったり、亡くなった方を何人も埋葬したようです。人権どころではありません。強い者、運が良い者だけが生き残ることができました。父親と同じ年齢の若者が、この回天訓練基地跡から出撃したのでしょう。何ともやり切れません。

          散策した大津島の馬島港周辺のコース

コメント
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