東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周南市 小松原周辺 下見ウォーキング(1/3)

2019年04月10日 | 歴史探訪他ウォーキング

 4月末ウォーキングする予定のコースを下見してきました。下見をした場所は小松原です。元々は去年の4月、夫婦岩から尾根伝いに城山を踏破して下山後に小松原もウォーキングするはずでした。しかし、歩く距離がとても長くなったため、小松原を今年に回しました。そのような理由があって、この4月末小松原をウォーキングします。

   小松原の広大な田んぼを見ながら、島田川の左岸堤防をのんびり歩く


 朝9:30分に交流館に集合しました。集合した人数が5人だったため、1台の車に全員が乗って徳修館に向かいました。本番ウォーキングでは、徳修館10:00集合です。しかし、徳修館が分からない方は交流館9:30集合とするつもりです。徳修館に着くと下見ウォーキング出発です。最初、江戸時代に毛利家に仕えた宍戸家について解説しました。徳修館は、宍戸家が家臣を文武両道で教える学校です。毛利家が作った明倫館のような学校です。

徳修館に移設の弁慶穴古墳  宍戸家が作った徳修館    島田川沿いのお地蔵様
  

 宍戸家の説明を終えると、近くにある弁慶穴古墳(円墳)の解説をしました。この古墳は元々熊毛北高校建設時に校内にあったそうです。その古墳を徳修館内に移設しました。正確に移設するために、石室の石に番号が書かれています。続いて徳修館の建物を見学しました。徳修館では儒教を教えたのでしょう、建物下の広場に孔子の巨大な石像が置かれています。

  出雲大社のお祭り     島田川沿いの桜      島田川沿いの祠
  

 宍戸家は鎌倉時代の常陸国が発祥です。茨城県に宍戸と呼ばれる地名が残っています。毛利家は鎌倉時代の武蔵野国が発祥です。大江氏の一部が武蔵国の毛利に住み、その地名を取って毛利氏になりました。今でも神奈川県に毛利の地名が残っています。

   島田川沿いに植えられた桜       島田川から松原神社方面を見て
 

 徳修館を出てしばらく歩き、島田川の小さな橋を渡りました。橋の袂に安置されたお地蔵様を見学しました。そのお地蔵様から島田川上流側に向かって縄が張ってありました。そして、その縄にたくさんの提灯がぶら下がっていました。近くの方にお聞きすると、出雲大社三丘教会のお祭りとのことでした。担当の方が延々と縄を張り、各家がその縄に5個位の提灯をぶら下げるとのこと。

        今回下見ウォーキングした小松原地域のコース

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