東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周南市 小松原周辺 下見ウォーキング(2/3)

2019年04月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 島田川左岸の堤防を上流に向かって歩いていると、白砂をスコップで袋に入れている方がいました。その袋を近くの軽トラックに積んでどこかに運んでいるようでした。その方に声をかけると、その白砂は去年の洪水時に島田川から田んぼに運ばれ埋まった砂でした。最初、白砂を運び込んだ広場かと思っていました。実は洪水被害だったのです。その方は一人でもくもくと白砂を袋に積めていました。すべての砂を運び出して田んぼが生き返るのにいったい何年かかるでしょう。大変な作業です。

           貞昌寺の桜の巨木の下で昼食休憩


 堤防を歩いていると、去年の島田川の洪水が凄まじかったことが分かりました。所々収穫していない田んぼがありました。また、堤防が壊れたのでしょうか、全面的に改修した堤防箇所がありました。さて、島田川流域が狭くなっている個所に架かる橋を渡りました。その橋の右岸袂に毛利元就公歯廟などの史跡の案内がありました。

 全面改修した堤防箇所    宍戸家墓所の石垣     毛利元政墓所
  

 橋を渡ると、最初に毛利元就公歯廟に行きました。毛利元就の七男である毛利元政が終生大事にしていた毛利元就の遺歯をここに納めたとのこと。次に、暗い林の中にある宍戸家墓所(1~4代)に行きました。そして、林を抜けた場所にある毛利元政の墓所に行きました。

 高速道路の歩道橋     高速道路を見下ろす    宍戸家墓所(5~10代)
  

 毛利元政墓所を出ると、高速道路に架かる歩道橋に向かいました。その歩道橋を渡って300m位先にあるトンネルをくぐった場所にあるのが貞昌寺です。この頃の時刻が13時近くになっていました。桜の巨木の下で昼食休憩をとりました。食べていると、桜の花びらが次々に落ちてきました。少し風が吹くだけで桜吹雪となりました。私が座っていた場所にはたくさんのわらびが出ていました。

   宍戸家菩提寺の貞昌寺          貞昌寺の門と石階段
 

 貞昌寺にはいくつかの石垣があるのですが、元々は大内時代の領主が住んでいた城跡とのこと。当時をしのばせる石垣などがたくさんありました。奥には宍戸家5代~10代の墓所が並んでいます。小松原には今でも宍戸家の方が住んでいるそうです。

         今回下見ウォーキングした小松原地域のコース

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