東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町尾国と柳井市阿月与浦の史跡巡りウォーキングの下見(1/2)

2020年03月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 3月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。思い起せば、元々ウォーキングの下見は私一人が行っていました。そして、ウォーキングする距離を測るために、車輪がコロコロ回る距離計を片手に持って歩いていました。そのうちに、一緒に下見に行く方が増えて、今回は小学生を含む8人で下見しました。下見の醍醐味はどこを歩くかはっきりしない事です。あっちへうろうろ、こっちをうろうろと歩きます。本番ウォーキングよりも多くの距離を歩きます。本番ウォーキングのルートを決めるための下見ですので仕方ありません。今回は平生町の小郡と尾国、そして柳井市阿月の与浦の神社仏閣そして史跡を確認しつつウォーキングしました。

          柳井市阿月の与浦海岸の砂浜を散策


 平生小学校前バス停留所でバスに乗り、小郡でバスを降りました。この時、尾国(おくに)と小郡(おぐに)の読みを自分が間違えていることに気が付きました。バスの運転手から確認されました。小郡を「おくに」、尾国を「おぐに」と思っていました。下車する時、少しばかりうろたえました。しかし、元々小郡「おぐに」バス停で下車することにしていたので、そのまま降りました。2年ほど前に小郡の史跡を巡るウォーキングをしたことがありました。そのため、小郡の史跡は説明しただけで通過しました。そして、阿月の与浦に向かいました。

 小郡「おぐに」バス停   小郡の史跡は説明だけ   峠を越え阿月へ
  

 小郡から阿月へは峠を越えます。峠にはその昔、岩国から上関へ向かう街道がありました。かつてはその道を、防陽霊場や南陽霊場を巡って巡礼者が往来していました。もちろん旅人や商人も行き来していました。今その街道の面影はなく車が通るだけで、歩く人は我々だけでした。

   峠を越えて与浦に到着       与浦海岸に降りて砂浜を散策
 

 史跡巡りウォーキングでは海岸を歩く機会はなかなかありません。しかし今回は与浦海岸の砂浜を歩いてみました。実は与浦には縄文遺跡があります。しかし、その遺跡は実はこの海岸の下に眠っています。ボーリング工事をした時に遺跡が発見されたそうです。今から3,000~5,000年前の縄文遺跡のようです。当時は稲作のような農業はないので、漁労で生活していたのでしょうか。

  与浦遺跡の碑     与浦大師堂をお詣り   コスタリゾート跡を散策
  

 与浦の砂浜を歩きおわると道路に出ました。次に、与浦から尾国へ抜けることができる観光ミカン園跡への道を通る予定でした。ところが、ミカン園跡への道は封鎖されていました。今は通れないとのことでしたので、道を戻り与浦遺跡碑を見学しました。そして、地元との方に教えていただいた与浦大師堂に行きました。続いてコスタリゾート跡を散策した後、尾国へ向かいました。

      下見ウォーキングした平生町尾国と柳井市阿月与浦

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