東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 干拓跡地などの史跡を巡るウォーキング(3/3)

2020年03月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 国道188号線を柳井港方面に向かって歩いていると、かつてあったオートレース場跡地に着きました。残念なことに跡地を示す石碑などはどこにもありません。そのため、ここにオートレース場があったことを知っている人は、今やほとんどいないのではないかと思います。私がなぜオートレース場を知っているかと言うと、私の祖母や伯父が経営に参画していたからです。そのため、子供の頃ここによく来ていました。今でもレース場の建物や競技用オートバイを思い出します。

   オートレース場があった昭和30年頃、柳井市の航空写真


 オートレース場は井森組が経営していたそうです。伊保庄に住んでいた私の伯父と当時の井森組社長は仲が良かったそうです。そのため、経営を任されていたのではないかと思います。オートレース場内から南側に出口がありましたが、そこは波が打ち寄せる岩場の海岸でした。木造円形レース場と岩場に当たる波の音を何故だかよく覚えています。人工のレース場と自然の大海原の落差が、幼児だった私にとても印象深かったのでしょう。

レース場の入場口跡地   競技用バイクに乗る私   三角餅の藤坂屋跡
  

 祖母はレース場内でアイスクリームなどを売っており、売れ残りは子供のおやつになったそうです。また、私はレーサーの方々に可愛がられたのか、競技用バイクによく乗せてもらいました。遠い親戚にあたる女性のライダーがいたそうです。とても人気だったとのこと。男性に混じって競技していたのでしょうか。残念ながら事故で亡くなったそうです。

  静かな代田八幡宮     宮本大師堂    朱色が映える菅原天神社
  

 懐かしのオートレース場跡地を過ぎると、線路をまたいで代田八幡宮に向かいました。途中三角餅を製造していた藤坂屋跡で立ち止まりました。その向かい側には国木田独歩が仮寓していた家があります。代田八幡宮を参拝すると、すぐ近くにある宮本大師堂に向かいました。その後、菅原天神社、普慶寺、湘江庵などを訪れて柳井駅に戻りました。今回は平地ばかりを歩く史跡巡りウオーキングでした。参加された方々、お疲れ様でした。

     普慶寺の粟島大明神       湘江庵の柳と井戸
 

コメント
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