この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

スカウター、及び漫画の中で戦闘力が示されることについての考察。

2016-06-10 23:43:07 | 漫画・アニメ
 大量に保護メガネが余ったのでそのうちの一つを使って(なんちゃって)スカウターを作ったことはすでに記事に書きました(こちら)。
 そしたらその二日後かな、たまたまミクシィニュースでフリーザのことが取り上げられていたんですよね。ヤフー検索で【戦闘力53万】と検索するとフリーザ(様)が降臨するといった内容でした。
 おぉ~、何たる偶然!と思いましたよ。
 というのも、実は戦闘力が240のスカウターの他に53万と表示されたスカウターも作ろうかなと思っていたからです。ただ、そう思ったのはほんの一瞬のことだけで、桁数の多さにすぐ諦めましたけどね。
 それで、そのニュースに前から思っていたことをつぶやきました。
 スカウターって結局のところ役に立たないんじゃないの?って。
 以前から昼休みにミクシィニュースを覗いて、どーでもいいことをつぶやくことはありました。ただ、内容がどーでもよいからなのか、タイミングが悪いのか、無視されることがほとんどで、このときもそうなるだろうなと思ってました。
 が、違ったんですよね。
 つぶやきに対して4つほどコメントをいただいて、まとめると、戦闘力が測定できることは戦闘において大いに役に立つことだという意見の人と、スカウターは敵の位置の把握が出来るので役に立つアイテムだという人がいました。
 敵の位置が把握できるという能力は確かに大いに役に立つと思います。
 ただ、自分が役に立たないといったのはスカウターの、敵の戦闘力を測定できる能力についてなので、この場合は無視させてもらうことにします。
 それでは簡単に、スカウターについて考察したいと思います。

 まず、戦闘力に大きく差がある場合、スカウターってあまり意味がないですよね。
 例えば戦闘力10万のキャラが1万のキャラに対してスカウターを用いて戦闘力を測定したとします。あぁ、コイツは戦闘力がたった1万なのか、と思う。そして当たり前に戦闘に勝つ。
 でもこれって別に戦闘力を測定しようがしまいが、結果に変わりはないですよね。
 次に戦闘力1万のキャラが10万のキャラに対してスカウターを用いて戦闘力を測定したとします。
 コイツは戦闘力が10万なのか、とても敵わん、逃げよう!と思い、早々逃走する。この場合多少は意味があるかもしれません。でも「勝てない」という結果に変わりはないのです。

 では次に戦闘力がほぼ同じ場合について考察してみましょう。
 戦闘力10万のキャラが戦闘力10万のキャラに対してスカウターを用いて戦闘力を測定する。
 コイツ、俺と同じ戦闘力なのか…。油断は禁物だ、慎重に相手をしなければ…、とか、俺の全力を使って倒してやる!などと思い、戦闘に勝つ。
 相手の戦闘力をこちらだけが一方的に知っているというアドバンスを最終的な勝利へと結びつけることが出来たのであれば、スカウター(の測定能力)が大いに役に立ったといえるでしょう。
 しかしそういった緻密で慎重な戦い方が出来るキャラがいて、初めて出来ることです。
 そしてそんなキャラはドラゴンボールの世界にはいないんですよ。

 そうはいっても鳥山明は見せ方が上手いから、スカウターを上手く使ってお話を盛り上げてはいます。
 でも結局スカウターがあってもなくても結果は変わらないよねと思う戦闘がほとんどです。
 それはなぜかというと、鳥山明が設定を深く考える漫画家じゃないからです。彼はお話の流れや勢いを重視するタイプの漫画家なのです。
 ですから、フリーザの戦闘力53万にもさして意味はないんですよ。これぐらいの数値だったら読者が驚くに違いない、ぐらいの思惑しかない。各キャラに関してもそれは同じです。
 戦闘力の数値が適当につけられたものなのですから、それをスカウターが測定することによって結果が変わる、そんな緻密な戦闘も描けるはずがないのです。

 何だか鳥山明の悪口を言っているようですが、そうじゃないです。彼の天才性を否定するつもりはありません。ただ、彼は緻密なお話を作るようなタイプの漫画家じゃなかった、っていっているにすぎません。
 いや、鳥山明は緻密なお話を作るタイプの漫画家だ、ドラゴンボールは計算され尽くした作品だ、という方はこちらのまとめサイトをご覧ください。
 自分がなぜスカウターなんて役に立たないといっているのか、少しは理解してもらえると思います。
コメント (2)
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