この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

モンスタークレーマージジィ、現る。

2019-08-09 22:29:17 | 戯言
 普段拙ブログでは仕事や会社のことを書くことはありません。
 なぜか?
 理由は単純、家に帰ってから仕事のことなんて一切思い出したくないからです。
 今日はその信条を曲げて仕事中に出会った、というか遭遇した、モンスタークレーマージジィのことについて書きます。
 
 うちの会社は事務用品から工業用製品まで節操なく雑多に取り扱っています。
 今どき事務用品だけ、工業用製品だけ取り扱ってやっていけるほど世の中甘くはないですからね。
 何年か前のことなんですけど、現金取引のお客さんからポンプの注文をもらいました。
 三ヶ月ほど前に話をしたポンプを発注したい、とのことでした。
 三ヶ月ほど前に話をしたポンプ?
 正直そんな前のことは全く覚えていませんでした。
 そういえばそんな話をしたっけな、ぐらいで。

 それで取引のあるポンプのメーカーさんに、三ヶ月前に自分が何かポンプの問い合わせをしたかどうか尋ねました。
 すると、ちょうどその時期に〇〇さんからポンプの問い合わせをいただいていますよ、という回答をそのメーカーの担当さんからもらいました。
 もしかしたらそれかな、と思って、そのポンプの資料を取り寄せ、見積りを出させたんですよね。
 そして「確認をお願いします」と一言添え、資料と見積りをそのお客さんにFAXで流しました。
 すると折り返し電話があって、「FAX、ありがとう。手配の方をよろしく頼む」と口頭で言われました。
 よかった、三ヶ月前に話をしたというポンプはこれだったのかと思って、メーカーに発注をかけました。

 三週間後、発注していたポンプが入荷しました。
 入荷した旨連絡したら、翌日ぐらいかな、そのお客さんがポンプを引き取りに来ました。
 そして現物を見て一言。
 
 コレジャナイ。

 三ヶ月前に話をしたポンプはこれじゃない、って言うんですよ。
 いやいやいや。
 三ヶ月前に話をした云々はともかく、FAXを送っていたじゃないですか、FAXを見なかったんですか?と尋ねると、そのお客さんは、いやもうジジィでいいですね、そのジジィは平然とこう言いました。

 忙しくて見なかった。

 忙しくて見なかった・・・?
 おぃおぃおぃちょっと待てよ、アンタは10万円以上するポンプを注文するのに最終確認をしないんかい、そう心の中でツッコミを入れずにはいられませんでした。
 とにかく相手は三ヶ月前に話をしたの一点張りで自分の非を認めようとはしませんでした。
 そのポンプは特注品だったので処理は非常に面倒でした(詳しくは書かないけど)。

 この話には続きがあります。
 それで、そのジジィが本来必要としていたポンプもうちで発注することになったんですよ。
 メーカーの営業担当が現場に行って型番を選定したので今度こそ間違いない、、、というか、そのポンプを電話のやり取りだけで注文するのがそもそもの間違いだったんですけどね。

 二台目のポンプが入荷して、連絡すると、やはり翌日にはジジィは引き取りに来ました。
 それで今度はこう言うんですよ。
 値段が高い、あんたたちはぼったくりだ、って。
 どうやら他所の小売店でそのポンプの見積りを安く出してもらったようなのです。
 あのさ。
 見積りを高く出したのは申し訳ないけど、うちだって別に日本で一番安くポンプを売っているって看板を掲げているわけじゃないんだから、日本全国探せばうちより安く値段をはじくところは当然あるよ(逆に言えばうちが日本で一番高いというわけでもない)。
 でも高い見積りであっても、それでGOサインを出したのであれば、その見積り額で商談は進めるべきなんじゃないの?
 なぜ支払いの段階になって金額に難癖をつけるの?
 金額に納得が行かないなら、それは見積りの段階で言うべきなんじゃないの?
 と心の中でツッコミを入れたのは言うまでもありません。

 業務処理は本当に何やかやいろいろと面倒でしたよ。
 それにしてもモンスタークレーマーって本当にいますよね。
 話が通じない、常識が通じない、理屈が通じない、本当に相手をするのに疲れました。

 というようなモンスタークレーマージジィが過去にいたのですが、現在、二代目のモンスタークレーマージジィが出没しています。
 現在進行形の話なので詳しくは言えませんが、初代に輪をかけて話が通じなくて、常識が通じなくて、理屈が通じない相手です。
 あまりに手に負えない相手なので、自分はもちろん、上司もほったらかし気味です。
 果たしてどうなることやら、予断は許しません。。。
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晴れ男危うし。

2019-08-05 22:54:24 | 戯言
 このブログでも何度か書いていますが、自分は自称「晴れ男」です。
 『天気の子』のヒロインと違って、ピンポイントで好きな場所を晴れにすることは出来ませんが、ここ数年、イベントや旅行なんかで降って欲しくないときに雨に降られたことはないですね。

 今年に限っていえば、一月に佐世保に行ったとき、初日、宿に着く頃は吹雪いてましたが、二日目ハウステンボスで遊んでいる間は快晴でしたしね。
 五月に岡山に行ったときは、旅行中結構雨に降られましたが、この日だけは降ってくれるなと思っていた鷲羽山ハイランドで遊んだ日だけは曇り空でちょうど過ごしやすい天気でした。
 六月の大阪遠征では、初日は少し雨に降られましたが、二日目、アベノハルカスでエッジ・ザ・ハルカスに挑戦したときはもちろん晴れていました。

 ここ数年は毎年そんな感じで、雨のせいで予定を変更しなければいけなかったとか、予定が中止になったとか、そういったことは記憶にないですね。

 が、そんな晴れ男の自分に最大のピンチが訪れようとしています。

 8月13、14日に別府に行きます。
 初日はともかくとして、二日目はSUPをする予定なので晴れてもらわないと困るのです(SUP=スタンドアップパドルボード)。
 しかし14日の別府の予想降水確率は「おぃおぃ」と言いたくなる80%!


   

 これまで40%の降水確率は難なく跳ね返してきた自分ですが、80%となるとちょっときついかもしんない。。。
 こうなったら意地でも14日は晴れにしてやるからな!と思ったのですが、考えてみれば海でSUPをやるのに多少雨が降ったとしても影響はないかもしれないですね(明日にでもスクールの方に電話して確かめてみよう)。
 とりあえず嵐にだけはなるなよ!と気弱に願をかけておきます。笑。
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決めつけと思い込み。

2019-07-29 21:33:30 | 戯言
 昨日の記事を読んでもらったらわかると思いますが、自分の映画レビューははっきり言って凡庸(以下)です。
 書いた自分が言うのもなんですが、あの記事を読んでレビューをしていた映画を観に行くかどうかは決められないと思います。

 まぁでも凡庸なのはレビューだけではないんですよね。
 映画の見方そのものが凡庸なんです。
 何となく映画を観て、何となく感想めいたものを抱いて、何となくレビューを書く。
 すべてが何となくなんです。
 なので、自分の映画レビューで人を感動させるなんてことは一生ないと思っています。

 ただ、本当に稀なのですが、人と違った映画の見方をすることがあります。
 100人のうち、99人はそういうふうには捉えないだろう、という見方です。
 過去にそういう見方をした映画はそう多くありません。
 『ガタカ』と『ダークナイト・ライジング』と『マーダーズ』ぐらいかなぁ、小説であれば『残り全部バケーション』もそうなんですけれど。

 100人のうち、99人が違う見方をするだろうと思いつつ、同時に自分の見方の方が絶対に正しいという自信があります。
 そういう自分の態度に多くの人が「それってあなたがそう決めつけているだけでしょう?」とか「あなたが勝手にそう思い込んでいるだけですよね?」と言ってきます。
 確かに自分は決めつけていて、思い込んでいます。
 しかしその決めつけはロジックにより導かれたものであり、その思い込みにはきちんとした根拠があります。

 例えば自分は『ダークナイト・ライジング』でブルース・ウェインは死んだ、と考えます。
 その主張に、何を言っているんだ、カフェで談笑しているブルースをアルフレットが見つけたところでお話は終わるじゃないか、お前は見ていないのか、という人がいます。
 もちろん見ていますよ。見た上でそう考えているのです。

 そう考えるに至る根拠は一つならずあります。
 しかしそれを一々列挙するのは時間がかかるので、一つ挙げるとすると、ブルースからの連絡がなかったこと、ですね。

 ブルースとアルフレッドは主人と執事という間柄ですが、両親を亡くしたブルースのことをアルフレッドは我が子のように慈しみ、育ててきました。
 ブルースもそのことは充分感じ取っていたはずです。
 ブルースの生死が不明になってアルフレッドは文字通り死ぬほど心配したことでしょう。
 あの時自分が協力を拒否したからブルースは死んでしまったのではないか、そう自分を責めたはずです。

 ブルースが本当に生きていたら、アルフレッドに余計な心配はさせないはずです。
 電話の一本でも入れて、「アルフレッド、心配をかけたな。私は無事だ。これからもよろしく頼む」と自らの生存を知らせると思うのです。

 世間に対してブルースが自らの生存を隠ぺいするのはわからないでもないです。
 しかしそれをアルフレッドにする理由はないでしょう。
 まして恐ろしく回りくどく、かなりの偶然性に頼ったやり方で自らの生存をアルフレッドに知らせなければならないというのか。
 自分には全く想像出来ません。

 もしブルースが生きていたらアルフレッドに生きていることを知らせるはずだ、その連絡がなかった以上、ブルースは死んだ、最後にアルフレットが見たのは(自責の念が見せた)ブルースの幻だった、という考えが思い込みだというのであれば、そうですね、自分は思い込みで映画を語る人間なのでしょう。

 しかし、そうであるならば、なぜブルースはアルフレッドに連絡しなかったのか、その理由を生存派の方に説明してもらいたい、そう思います。
 納得する理由があれば、二度とブルース死亡説を唱えることもないでしょう。
 なかなか納得はしないと思いますが…。
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空を飛ぶのも大変。

2019-07-27 23:18:27 | 戯言
 突然ですが、あなたは高いところは平気ですか?
 こういうふうに質問して、平気ですと答えた人に会ったことないですけどね。笑。
 人は誰しも高所恐怖症なのです。

 かくいう自分も立派な高所恐怖症です。
 高いところに立つとわけもなく体が震えてきます。

 ただ自分が一般の高所恐怖症患者と違うのは、過去にシンガポールで逆バンジー(スリングショット)、熊本の五木村でブリッジバンジー、福岡の雁ノ巣と長崎の大村でパラグライダー、先日大阪でエッジ・ザ・ハルカスをやったことがあるということでしょうか。
 自分は高所恐怖症であると同時にスリルジャンキーなのかもしれません。

 さて、バンジージャンプとパラグライダーを攻略したからには当然残る三大スカイアクティビティのアレにも挑戦したくなるのが人情ってものですよね。
 アレとはそう、スカイダイビングです。

 ただ、このスカイダイビング、バンジージャンプやパラグライダーに比べ、かーなーりーハードルが高いんですよね。
 例えばバンジージャンプは熊本の五木村に通年でやっている施設があります。
 パラグライダーなら九州のあちこちでやっています。10ヶ所か、もしかしたら20ヶ所ぐらいスポットがあるんじゃないかなぁ。
 しかしこれがスカイダイビングとなると九州でやっているところがないのです。
 阿蘇とかでやっててもよさそうだけどなぁ。

 一番九州から近いところとなると関西なんですよ。
 スカイダイビングはやってみたいけど、そのためにわざわざ大阪に行くのもなぁ、、、と以前は思っていました。
 が、考えてみればこの先毎年社員総会で6月に大阪に行くんだし、その時チャレンジしてもよいのでは、って思ったんですよね。

 それで改めて調べ直しました。
 調べ直して一つ勘違いしていたことに気づきました。
 関西で体験スカイダイビングが出来るのはスカイダイビング関西というクラブだけです。
 自分はスカイダイビング「関西」とあったのでてっきり大阪にあるクラブなんだろうと思っていました。
 が、違いました。
 大阪ではなく兵庫でした。兵庫の豊岡市、但馬空港の近く、大阪から3時間ほどかかるところでした。
 それだけでもかなりのハードルの高さなのですが、加えて料金がまたネックで、何と一回の料金が5万円でした。
 バンジージャンプが1万2千円で、パラグライダーが1万円弱なので、コスト的には4倍から5倍ということになりますね。
 こりゃちょっと厳しい、、、かな。
 
 そういうわけでスカイダイビングはいつかやってみたいことのリストの上位ではあるのですが、いつ出来るのかは定かではないです。
 もっと安くチャレンジできる方法をご存知の方は教えてください。
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私の姪っ子はブスである。

2019-07-24 20:59:26 | 戯言
 私の姪っ子はブスである。
 名前はまだない、と言いたいところだが、差しさわりがあるのでとりあえず「メイ子」としておく。

 メイ子はブスである。
 どこら辺が?
 顔が、と言いたいところだが、顔のことはさておき、性格がブスである。
 他人に感謝をするということがない。
 感謝の気持ちを持たない人間はみなブスだ。

 この世にたった一人しかいない姪っ子ゆえ、私も私なりに精一杯可愛がった(ちなみに甥っ子は甥っ子で別にいる。メイ子に輪をかけて可愛げがない。)。
 映画に連れて行き、苺狩りに連れて行き、パフュームのコンサートに連れて行き(チケット代はすべてこちら持ち)、毎年お年玉は平均額以上にあげている。

 にもかかわらず彼女から年賀状が送られてきたことは一度もない。
 世話になったとこれっぽっちも思っていないのであろう。

 先年、メイ子に「今年ぐらい年賀状を送ってくれてもいいんじゃない?」というふうに言ったことがある。
 彼女はしれっとこう言った。
 あー、私今年受験生だから年賀状、送れないかも。

 メイ子よ、お前は年賀状一枚書くのにどれぐらい時間をかけるというのだ。
 五時間か?六時間か?
 せいぜい十分かそこらだろう。
 その時間がひねり出せない?受験生だから?

 私は心から思ったよ。
 年賀状一枚書く時間をひねり出せないような奴は受験に落ちてしまえ、と。
 しかし、私の呪いも空しくお前は大学受験に合格してしまったね。
 私は私の力不足が残念でならなかったよ。

 けれど今、お前は大学生活が上手く行かないからと引きこもりになりかけていると風の噂で聞いた。
 しかも大学生活が上手く行かないのは親に希望の大学に行かせてもらえず、地元の大学に行くように強制されたせいだと言っているとかいないとか。

 個人的な経験により、私は大学は地元から離れたところに行くべきだ、というのが持論である。
 大学進学を機に親離れをせずにいつ親離れをするというのか。
 そんな私であっても、メイ子、お前が地元から離れた大学に行くのは反対だ。
 お前が一人暮らしを始めれば、三食はすべてコンビニかインスタントで、部屋は汚部屋、ろくに大学にも行かずゲーム廃人になることは目に見えている。
 ゲーム廃人になることがわかっていて一人娘に一人暮らしをさせる親はいない。

 希望の大学に進学させてもらえなかったのは、他でもない、お前の普段の心がけのせいだよ。
 なぜ普段からちゃっちゃっと料理が出来るようになっておかなかった?
 なぜ普段から部屋の掃除をしてこなかった?
 なぜ普段から目を離すとゲームばかりやっている?
 なぜ普段から親の信用を勝ち得ようとしてこなかった?
 自らの怠慢で信用を得られなかったとしても、それで親に文句を言うのは間違っている。

 それにお前が進学した大学も決して悪い大学ではないはずだよ。
 口コミサイトの最初の総合評価にこうある。
>専攻について学ぶ機会は与えられる。先生との距離が近く良い。自分自身から何でも挑戦しないと、大学生活があまり充実しない。
 お前の大学生活が充実していないのは進学した大学のせいではないんじゃないかな。
 口コミサイトにざっと目を通してそう思ったよ。

 お前の両親がお前のことを愛していないなんてことはないだろう。
 愛していない子をカナダ、ドイツと二度もホームステイに送り出す親がどこにいる?
 お前はそのことにも感謝していないのだろうけどね。

 まぁおそらく引きこもり云々というのも少し遅めの反抗期なのだろうと私は思っている。
 それもまたよしだよ。
 多少の反抗期があった方がお互いの為だろう。
 と無責任に書いておく。

 8月の13、14日に友人と別府に行くが、一緒に行くか?
 部屋は取っていないが何とかなるだろう。
 SUPをしたり、日本一のブランコに乗ったり、きっと楽しいぞ?
 ただし、山のようにお説教してやるけどな。

 あと最後に来年の正月は年賀状を送れよ。
 それともう少し美人になれ。性格美人にな。感謝の心を忘れるな。


                                    (この文章はフィクションです)
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死刑では生ぬるい。

2019-07-19 21:36:32 | 戯言
 京都アニメーションのスタジオが放火され、33人の方が亡くなるという痛ましい事件が起こりました。
 亡くなられた方のご冥福を祈ります。
 興味はなかったのですが、明日映画館に行ったら『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の前売り券を買おうと思っています。
 些細なことですが、今自分に出来る支援はそれぐらいなので…。

 こういった凶悪な事件が起きると、ネットのニュース記事のコメント欄には犯人を死刑に処すことを望むコメントが多く見受けられます。
 自分はそれらのコメントを目にするとこう思います。
 うわ、みんな優しいなぁ、と。

 なぜかっていうと、こういった凶悪事件を引き起こす奴らって「死にたがり」が多いじゃないですか。
 生きることに絶望した。もう一日だって生きていたくない。でもどうせ死ぬなら一人でも多くの人間を道連れにして死んでやろう…というような?
 決めつけって言われるかもしれませんが、そうとでも考えない限り、多くの命を奪うことは出来ない気がするのです。

 死にたがっている奴を死刑にするのは、おやつを欲しがる子供に飴玉をあげるようなものだと思います。
 相手の望むことをしてどーする、って言いたくなります。

 もちろん凶悪犯に罰を与えるなと言っているのではないですよ。
 要は死刑では生ぬるいってことですね。

 では死刑の代わりにどんな罰を与えるかというと、(犯人の人権は一切考えなくてよいという前提で)例えば監視刑なんてどうでしょうか。
 犯人の、刑務所での行動を24時間監視カメラで映し出すのです。
 プライヴェートな時間を一切与えないようにします。
 そしてその映像をライブで(もしくは若干のタイムラグを作って)有料配信する。

 何だそんなことで罰になるのかよ、と思われる方もいるかもしれませんが、この刑は相当精神的にきついはずですよ。
 誰かに常に見られている、という感覚は人から心の癒しを奪いますからね。
 まともな人間なら一ヶ月と耐えられないでしょう。
 大量殺人者がまともな人間かどうかはさておき。

 そしてこの監視刑の一番のメリットは犯罪の抑止になる、ということです。
 現在死刑論者が死刑を肯定する理由の一つに死刑が犯罪の抑止につながるという理由を挙げることがありますが、自分はそれを眉唾だと思っています。
 むしろ死刑の存在が凶悪犯罪を誘発することすらあると考えます。

 しかし、凶悪な犯罪を犯して、逮捕され、裁判で監視刑を言い渡された人間が、刑務所内での行動を動物園の猿のようにさらされたとしたら、誰だってそんな目には合いたくないって思うんじゃないでしょうか。
 結果として凶悪犯罪は減ると思います。

 まぁすべては自分の決めつけかもしれませんし、そもそも監視刑は受刑者の人権を無視しすぎているので実現性は低いと思いますが、ただ死刑ではぬるすぎると思う凶悪犯は確かに存在すると思うのです。
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朝日新聞に怒。

2019-07-17 22:34:47 | 戯言
 ネットでの朝日新聞の評判はすこぶる悪いようですね。
 反日報道がひどいとか、記事を捏造するとか、マスゴミとか、もう散々ですよ。
 朝日新聞の信用も地に落ちたと言えるでしょう。

 問題は朝日新聞が信用出来ないとするなら、どこの新聞なら信用出来るか、ですよね。
 読売新聞なのか、毎日新聞なのか、聖教新聞なのか、日本経済新聞なのか、はたまた赤旗なのか。
 ぶっちゃけ、信用の置けなさに関してはどこの新聞も似たようなものだろうって思っています。
 どの新聞を情報ソースにするにせよ、最終的に信を置くべきは自らの常識ではないでしょうか。
 いや、その常識が一番信用できないわけなんですが。笑。

 さて、我が家は長年朝日新聞を購読しています。
 理由は単純、何だかんだ言って文化欄は朝日新聞が一番充実しているだろうと考えているからです(詳細に比較したわけではないですが)。
 しかし、最近朝日新聞に腹が立つことがあって…。

 いや、以前から腹が立つことはあったんですよ。
 それは何かというと朝日新聞が主催する、将棋の名人戦の棋譜がネットで公開されないことです。

 将棋の七大タイトル戦って基本的に新聞社がスポンサーになっているんですよね(一番新しいタイトルである叡王戦は違いますが)。
 竜王戦が読売新聞社、王座戦が日本経済新聞社といった具合です。
 では朝日新聞社はどのタイトルかというと、いろいろ何だかんだあって、毎日新聞社と名人戦を共催しています(ライバル新聞社と一つのタイトル戦を共催するっていうのは考えれば、いや、考えなくても変な話なんですけどね)。
 たいがいのタイトル戦は番勝負の棋譜はネットで公開されています。
 すべてではなかったかもしれませんが、少なくとも読売新聞社主催の竜王戦の棋譜はネットで見ることが出来ます。

 しかし、名人戦は棋譜閲覧が有料なんですよ。
 朝日新聞を購読している家庭でもそうなんです。
 購読しているところぐらい無料で閲覧させろよ、と思わずにはいられません。

 で、最近腹が立ったことですが、朝日新聞は文化欄が充実しているって言ったじゃないですか。
 朝日新聞の文化欄のコラムやエッセイとかは好きで、中でも三谷幸喜の『ありふれた生活』は毎週欠かさず読んでいました。

 でもある日を境にそれを目にすることが無くなっちゃって、、、そのときは、10年以上続いたけど、連載が終わっちゃったんだな、と思ってました。
 で、ふと、いつぐらいまで連載していたんだろうと気になって調べたら何と!『ありふれた生活』、連載終わってませんでした。
 どういう経緯かわかりませんが、朝刊から夕刊に引っ越してました。
 おぃ!って思いましたね。
 勝手に連載を移してんじゃねぇ!!怒。

 もちろんその気になればネットでその週の『ありふれた生活』を読むことは出来ます。
 いうまでもなく有料ですが。。。

 朝日新聞に見切りをつけるのも遠くないかもしれません。
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解釈することについて。

2019-07-07 23:25:00 | 戯言
 以前、『感想と解釈』について私見を述べました。
 今日は(重なる部分も多いのですが)解釈をすることについて考えを述べてみたいと思います。

 さほどアートについて詳しくないという方であってもエドヴァルド・ムンクの『叫び』という絵は一度ならず見たことがあると思います。
 作品のタイトルが『叫び』なので、絵の中の人物が叫んでいると思っている人も少なからずいるようですが、実はそれは誤りです。
 絵の中の人物は叫んでなどいません。
 なぜそのことがわかるかというと、作者のムンク自身が日記の中に創作メモを残しているからです(こちら)。

 仮にムンクの『叫び』を見た100人のうち99人が、絵の中の人物が叫んでいるように見えたとしても、作者のムンクがそれを否定しているのであれば、絵の中の人物は叫んでいないと見るべきなのです。
 作品を解釈する際、一番重要なのは作者の製作意図であり、解釈する側の個人的な考えや事情ではないのです。

 もちろんすべての作品に作者の創作メモが残されているわけではありませんし、すべての作品が解釈が容易だというわけではありません。
 しかしながら、作者の創作メモが残されていようがいまいが、解釈が容易だろうが容易でなかろうが、解釈をする際に一番重要なのが作者の製作意図であることに違いはありません。
 作者の製作メモがないから、もしくは解釈が容易でないから、だからどのように解釈しようが自由なのだということにはならないのです。
 
 よく、どのように解釈するのも(解釈する側の)自由じゃないですか、という人がいます。
 その考えは誤りです。
 解釈をするという行為が、その作品に込められた作者の製作意図を探るということであるならば。
 ムンクの『叫び』を見て、絵の中の人物が叫んでいると思う自由など存在しないのです。

 解釈をする際、解釈をする側に自由はないと述べました。
 ただ、そのことを堅苦しく考える必要はありません。
 解釈のミスなど日常生活における見間違いや聞き間違い同様よくあることです。
 解釈のミスなんてしない方がいいに決まっていますが、したとしても別段強く責められることではありません。
 間違いに気づけばその都度修正していけばいいだけのことです。

 ムンクの『叫び』を誤解していた人は正しい見方を知ってこれまでとは違った感想を得られるのではないでしょうか。
 感想は人それぞれですが、正しい感想は正しい解釈をして初めて得られるものなのです。
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物の貸し借りするということ。

2019-06-12 23:21:59 | 戯言
 誰かに物を貸したり、逆に誰かから物を借りたりすることが好きです。

 まずなぜ物を借りるのが好きなのかというと、理由は単純、趣味の幅が広がるからです。
 本でいえば、自分で買うほどではないけど、興味がある本ってあるじゃないですか。
 そういう本を人から借りて面白さを確かめることが出来たらラッキーですよね。
 気に入ったのであれば改めて買うもよし、そうでなければ続きだけブックオフで立ち読みするもよし、そういう選択が出来るのも本を借りることが出来たからこそです。

 逆に本を貸すのも嫌いじゃないですね。
 なぜ本を貸すのが嫌いじゃないかというと自分が面白いと思った本を他人がどう思うのか、興味があるからです。

 今述べたことは嘘ではありません。
 ただ、自分が物の貸し借りをすることが好きなのにはもう一つ別の理由があります。
 それは、物の貸し借りをすることによって容易に信用度を測ることが出来るということです。

 どういうことかというと、誰かが本を貸してくれたら、その人は本を貸す程度には自分のことを信用してくれているということがわかります。
 まさか返さないと思っている相手に本は貸さないでしょうからね。

 逆に誰かに本を貸した場合、その人が期限内(もしくは常識的な期間内に)本を返してくれたら、その人は信用に値する人だということがわかります。
 どんな雄弁な言葉よりも物の貸し借りはその人の信用度を語るのです。

 ただ、残念ながらというわけではないですが、今は誰からも物を借りていません。
 しばらく前に映画のお茶会の主催であるumeさんから『銃夢』を借りていましたが、読み終わって一ヶ月後に返しました。
 その節はありがとうございました。

 逆に貸しているものとなると、結構あります。主にDVDですね。
 映画のお茶会関係ではAさんに『フレイルティ― 妄執』と『ゾンビハーレム』、Bさんに『バイオレンスレイク』と『トライアングル』のDVDを貸しました。
 一ヶ月に一回しかない会合なので、半年ぐらい返ってこなくても特に気にしません。
 感想は早く聞きたいですけどね。

 この他会社関係ではゴムメーカーの営業のFくんについ先日『ガタカ』を貸しました。
 今週末に見る、とF君は言っていたのでたぶん週明けには感想が聞けるでしょう。
 ここまでは何も問題ないのですが、問題はキャスターメーカーの営業であるKくんですね。
 Kさんには『マーダーボール』というドキュメンタリー映画のDVDを貸しました。今から3年か、4年前に。
 もう見る気がないんでしょ、だったら返してよ、と言うと、いや、見るつもりだとKくん。
 失くしたんでしょ、正直に言いなよ、と言っても、いや家にある、とKくん。
 何なんだよ、って思いますね。
 たぶん、紛失したのでしょう、結婚を機に引っ越しをしたと言っていたので。
 さっさと紛失を認めてくれたらこっちとしても気分的に楽になるんだけどなぁ。
 Kくんには子供もいるのですが、自分の子供にも人から借りたものは返さなくていいって教育しているんでしょうかねぇ。

 ちなみに今人に貸しているDVDは再入手が比較的容易なものばかりなので、紛失、もしくは破損したとしても特に気にしません。
 出来たら再購入費用として500円欲しいですが、それが払えないというなら払わなくていいです。
 多少の痛手ではありますが、勉強代と思うことにします。

 さて、先ほど人から借りているものはないと言いました。
 ただ、実はお金を借りてはいます。
 というのは、先月のお茶会でうっかり飲食代を払わずにそのまま帰ってしまったのです。
 お店のマスターとは電話で話して、会計は次にお店に来た時でよいという言葉は頂いています。
 しかし、次にお店に行くのがいつになるかわかんないんですよね。
 少なくとも今月のお茶会は大阪出張があって行けません。
 7月は日程がわかってないので行けるかどうかわかりません。
 このままだといつまで経っても返せそうにないので、今週末、時間を作って行こうかと思っています。
 ちょっと遠いんですけどね、そのお店。
 うちから片道1時間半かかる。笑。
 でも返しに行けるようであれば返しに行きます。

 お金の貸し借りは物の貸し借りと同様に、いやそれ以上にその人の人間性がうかがえるものなので。
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体罰は本当にいけないことなのか?

2019-06-10 21:12:01 | 戯言
 体罰はいけないことなのだそうです(こちら)。
 自分は必ずしもそうだとは思いません。

 まずこの記事に書いてあることで賛同できないのは、「体罰と虐待の区別はつかない」と言い切ってしまっていることです。
 そんなことはないでしょ。
 体罰も虐待も暴力の一種であることに違いはありません。
 しかし虐待が暴力を振るう側の気分次第で振るわれるのに対して、体罰は体罰を受ける側の何らかの落ち度によって課されるものです。
 まったく性格が違います。
 
 確かに躾けと称して虐待をする毒親もいます。
 だからといって躾けのための体罰を否定するのはあまりに乱暴な気がします。
 まるで刃物で人を殺傷する人間がいるから、刃物の使用を全面的に禁止しようと言っているように思えます。

 体罰を全面的に禁止しようと言っている人は本当にそれだけの覚悟があるのかな、と疑わずにはいられませんね。
 何の覚悟かと言えば、子供がどんなことをしても、何をしても、話し合いだけで済ませるという覚悟ですが。

 例えば我が子がおばあちゃんの家のタンスからこっそりお金を盗んだことがわかったとき。

 例えば我が子が悪質ないじめの主犯格であることがわかったとき。

 例えば我が子が同級生を殺傷したとき。

 例えば我が子が、、、

 自分の子供がどんな悪辣なことをしたとしても、「そんなことはやってはいけないよ。わかった?」と教え諭すことだけで済ませるのでしょうか。
 それですべてが解決するとはとても思えないのですが。

 自分が体罰を否定しない理由、それは自分自身が実際に父親から体罰を受けたことがあるからです。
 自分は父親が嫌いでした。
 まぁ理想の父親像の対極にあるような父親でしたからね。
 といっても別段暴力的だというわけでなく、ただ理想から遠かったってだけなんですが。笑。

 そんな父親から思い切りぶん殴られたことが一度あります。
 そのことで父親を恨んでいるのか?
 いや、全然。
 具体的に何をしたかまでは言いませんが、自分が殴られるだけの悪いことをしましたからね。
 それで恨むとしたら逆恨みですよ。

 断っておきますが、自分は体罰を推奨しているわけではありません。
 体罰なんてない方がいいに決まっています。
 ただ、自分はすべての子供たちが体罰なしで済ませられるほど清廉でも潔白でもないということを経験則で知っているというだけです。

 最後に『よつばと!』のワンシーンを貼っておきますね。


   

 このときとーちゃんは約束を守らず自転車に乗って一人で遠出をしたよつばに二回ゲンコツを喰らわせています。
 これも立派な体罰ですよね。
 でもこの体罰によってよつばの性格がゆがんだのか?
 よつばととーちゃんの関係にひびが入ったのか?
 とーちゃんの体罰はこの後エスカレートしたのか?
 そういったことを考えれば自分の、体罰は必ずしも否定するものではないという主張も理解してもらえるんじゃないかと思うのですが、、、漫画だと説得力がないですかね?
 
 以上です。
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