この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

美食家、その4。

2017-12-08 22:41:15 | ショートショート
 うつらうつらと眠りに落ちていたダドリーは階段を降りてくる足音で目を覚ました。
「叔父さん、お早うございます」
 ダドリーは内心驚いていた。目の見えない状況では、ずいぶん時間の流れるのが速い。
「ご機嫌いかがですか、叔父さん」
「ああ、しごく良好だとも、クリスフォード・ケイン」
 実際ダドリーは目も見えず、手足もろくに動かせないというのに、近ごろでは覚えがないほど気分が上々だった。
「そ、それは良かった。何よりです」
 クリスはダドリーの返答に多少意表を突かれたようだった。
「それで何のようだ、クリス」
「朝食をご用意しました」
「フフ、まさか、昨日と同じメニューではあるまいな」
 前回の食事との違いはクッキーの枚数が一枚増えたことだけだった。もっともそのことでダドリーは文句をつけようとは思わなかった。一歩も動けない自分が満腹であっても意味はない。
 だが用を足さざるをえない時の屈辱感といったらなかった。足を椅子に固定されたまま、上半身を起こし、ズボンのファスナーを下ろされ、箸のようなもので(いや箸に間違いない)彼の性器をつまみ出され、目標を定めることもなく放尿する。特製の便器とはすなわち金属製のバケツであり、しかもそこから少なからずこぼれる始末だった。
「頼む、今だけでいい、手錠を外してくれ!」
 ダドリーの必死の懇願もクリスは非情にも拒否した。
「駄目です、それだけは聞き届けるわけにはいきません」
「くそっ、クリス、頼む…」
 やがてダドリーの尿意が収まった。
「クリス、許さんぞ…」
「申しわけありません、叔父さん。初めてだから上手くいかなかっただけで、次はきっと大丈夫ですよ」
 ズボンの汚れを拭かれ、再びダドリーは椅子に座らされた。
 それからダドリーは数度の食事と(結局セサミクッキーとミルク以外のメニューはなかった)、その間に何度か放尿をした。クリスの予言通り二度目からはうまく的に収まるようになった。
「三日目の、朝です」
 いつの間にか寝入っていたダドリーの耳元でクリスが囁いた。
「長い間、お疲れさまでした」
 ダドリーは、クリスがいると思われるほうへ顔を上げた。
「クリス、お前に、言っておかなければならないことがある」
「何ですか、叔父さん」
 ダドリーは少しばかり迷っていたが、やがて言った。
「こんな状況で言っても、お前は信じてはくれないかもしれないが、私はお前のことを、愛していた」
 クリスはダドリーの言葉に少し間を置いてからこう答えた。
「叔父さん…。こんな状況では、とても信じてはくれないでしょうけど、僕も、叔父さんのことを心から愛していますよ…」
 人に聞かれたら馬鹿馬鹿しいと笑われるだろう。だがダドリーは、クリスのその言葉を信じた。
「人はいつか、死ぬ。愛するお前の手にかかって死を迎えられるのであれば、考えてみれば、それも幸福な 死に方かもしれないな…」
 ダドリーのその問いに対して、クリスは何も答えようとはしなかった。その代わりにダドリーの口に匙を当てた。
「これが、最後の晩餐です。お口に合うといいのですが」
 ダドリーはその匙を口に含んだ。タドリーの口の中に芳醇で素朴な味がゆっくりと広がっていった。およそダドリーが今まで口にしたことのない、シンプルだが、それでいて何かに例えようのないほどの広がりを持つ味だった。
「これは、何だね?」
 ダドリーは思わず尋ねた。
「粥です。中華粥です」
 クリスの答えにダドリーはゆっくりと息を吐いた。美食を極めた自分の最後の食事が粥とは…。そう思いながらもダドリーの目隠しされた両眼の奥から涙が一筋流れた。
「もう、思い残すことはない…」
 その言葉を待っていたかのように、クリスがダドリーの足の戒めを解いた。そして次に両手の手錠を外し、最後に目隠しを取った。
「叔父さん…」
 ダドリーは二度、三度目を瞬かせた。そしてアッと短く叫んだ。目の前に執事のロバートと主治医のハーロンが立っていたのだ。
「お、お前たちもグルだったのか!?」 
 ダドリーがそう叫ぶと、慌てたようにクリスが言った。
「違うんです、叔父さん、二人には僕が無理を言って協力してもらったんです」
「どういうことだ、クリス…」
 そこでダドリーは気づいた。その地下室はどこでもない、彼自身の屋敷の地下室だったのだ(とは言っても彼が地下室に下りたのはもう五、六年も前のことだが)。
「僕が一芝居打つのに、二人に、この一日協力してもらってたんです」
「一日?三日じゃないのか?」
「いえ、一日です。正確には一日と四時間です」
 確かにやけに時間の流れが速く感じられたことをダドリーは思い出した。だが、それですべてを納得したというわけでもなかった。
「だが、どうしてこんな芝居をしなければいけなかったというんだ?」
 ダドリーの当然とも言える問いに、クリスは申しわけなさそうに首をすくめた。
「叔父さんに、この中華粥を食べてほしかったんです」
 二人の会話にハーロンが割って入った。
「ダドリー、お前さん、今のままの食生活を続けていれば、肝臓がパンパンに膨れ上がって、せいぜい半年の命じゃったんだぞ」
 ダドリーは二人に向かって、余計な真似を、と怒号を浴びせようとした。だがその瞬間さっき口にした粥の味が思い出され、なぜだか怒りは陽光に雪が解けるように消えてしまった。
「叔父さん、この中華粥を作ってくれたシェフを紹介するよ。彼女はロキシー・スェン」
 そう言ってクリスは男たちの間に隠れるように立っていた一人の女性を紹介した。年齢はクリスと同じぐらいだろうか、決して派手な美人というわけではないが、穏やかな表情をした、豊かな黒髪を後ろに束ねた東洋系の女性が、ダドリーの前に進み出た。
「お味は、いかがだったでしょうか、ミスター・オブライエン」
 ダドリーは、ロキシーに精一杯の仏頂面を向けてこう言った。
「今まで食ったものの中で一、二を争う不味さだ。だが猛烈に腹が減っていて今にも死にそうだ。急いでもう一杯おかわりを持ってきてくれ、ミス・スェン」




                                          了
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美食家、その3。

2017-12-07 22:30:30 | ショートショート
 闇は人から時間の流れの速さを計る感覚を奪う。ダドリーにはそれが光が進むように速くも、また亀の歩みのように遅くも感じられた。いつの間に眠ってしまったのか、ダドリーは肩を揺すられ目を覚ました。
「叔父さん、夕食を持ってきましたよ」
 クリスがそう言うと、ダドリーの唇に何かが触れた。ダドリーが口を開くと、それがさっと押し込まれた。胡麻の香りが香ばしいセサミクッキーだった。どうやら声の位置からして、ダドリーの口にクッキーを押し込んだのは、クリスではなくサムらしかった。いっそこのサムという男の指を噛み千切ってやるか、と一瞬ダドリーは思ったが、そのことまで頭に入れて自らが食事を与えようとしないのであればクリスの手に乗るのも癪だと思い直した。
 三枚目のクッキーがダドリーの口の中に消えた時点でクリスが、これで終わりです、と言った。
「こ、これだけか?」
 ダドリーは聞き間違えたのかと思い、問い返した。午前中はいつも食欲がなく、今朝も朝食をほとんど口にしておらず、そのためこの時はきわめて空腹であったのだ。
「ええ、そうですよ」
「しかし、これは、これだけじゃ…」
「叔父さん、何を贅沢言っているんです?自分の立場というのをわきまえてくださいよ」
 クリスが皮肉に満ちた口調で言った。
「せ、せめて何か飲み物を…」
「もちろん用意してますよ」
 ダドリーの唇にストローが当てられ、彼はむせ返りながらも人肌に温められたミルクを吸い込んだ。
「叔父さん、いっぺんに飲むと喉を詰まらせますよ」
 クリスの忠告に構わず、ダドリーは、カップ一杯のミルクを一気に飲み干した。それほど喉が乾いていたのだ。
「それでは叔父さん、明日の朝を楽しみにしておいてください」
 そう言い残してクリスは階上に去って行った。再び地下室にはダドリーともう一人、おそらくサムと呼ばれる唖の男が残された。だがそれもダドリーが息を潜め、精神を集中してようやくその気配をわずかに感じられるかどうかだった。
 ここにはお前一人なのだと言われれば、ダドリーはそれを鵜呑みにしたであろう。
 暗闇の中、ダドリーは思い出していた。クリスと初めて顔を合わせたのはもうかれこれ七年も前のことになる。ずいぶん軟弱そうな若者だと思ったものだが、なぜだか拒絶する気にはなれなかった。父が死んでからも一切エレンたちのことを顧みなかったことに罪悪感を覚えたのか、それともただ年を取ったことで人恋しかっただけなのかもしれない。
 自分でも説明がつけられないことだった。とにかく初めて会う甥の、人好きのする笑顔が偏屈な老人を捕らえて離さなかったことだけは事実だった。
 それ以来、ただひたすらダドリーの死を待ち続けたのだとすれば、他にどれほど欠点があるにしろ、クリスフォード・ケインという男ははずいぶんと辛抱強い性格だと言える。そして役者でもある。
 ダドリーは卑屈な笑みを浮かべた。出来ることならもっと長く、そう、自分が死を迎えるまで演じ続けてほしかったものだ…。
 そしてダドリーは息を大きく吐き出しながら決意した。クリスは、長くて三日と言った。たとえその時が来たとしても、見苦しく命乞いをするような真似だけはするまいと。


                                    美食家、その4に続く
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美食家、その2。

2017-12-05 22:10:23 | ショートショート
 クリスは拳銃が握られていないほうの手でアイマスクをダドリーに差し出した。
「これ、つけてもらえますか、叔父さん」
 差し出されたアイマスクを握りしめ、ダドリーはクリスを睨みつけた。
「クリス、自分のやっていることが何を意味するのか、本当にわかっているのか」
 クリスは、ダドリーの射るような視線もどこ吹く風と受け流すように肩をすくめた。
「叔父さんこそ、僕の手に握られた拳銃が何を意味するのか、本当にわからないんですか」
 クリスの口調が普段とあまりにも変わらなかったため、逆にダドリーは恐怖を覚えた。 アイマスクをつけさせたあと、クリスは次にサングラスを、最後に手錠をダドリーに掛けた。
「叔父さんには隠していたんですけど、僕、結構ギャンブルが好きなんですよ。もしかしたら、これは叔父さん譲りかもしれません。それでですね、最初の頃はビギナーズラックもあって勝っていたんですけど、段々と負けが込みだしましてね。でも僕がダドリー・オブライエンの甥だとわかると、特に唯一の法定相続人だとわかってからは、胴元がいくらでもお金を回してくれたんです。けれど最近になって、返済請求が急に厳しくなりましてね」
 クリスの告白に、ダドリーは意外な念を禁じえなかった。彼の知りうる限りクリスフォード・ケインという男は真面目一辺倒のはずだった。ダドリーと違い、毎週の教会通いも欠かさず、女性関係も特に浮き名を流すということもなかった。それが実際はこうもギャンブルにのめり込んでいたとは…。
「しゃ、借金はいくらあるというんだ」
 どうにか唾を飲み込み、ダドリーは言った。クリスは軽い口調で答えた。
「なに、ほんの、二百万ドル程度ですよ」
「に、二百万ドルだと?」
 ダドリーは自分の声が我知らず裏返るのを聞いた。構わずクリスは続けた。
「それでですね、期限までに借金を返さないと、やつら、僕のことを殺すって言うんですよ。最初、叔父さんに借金を肩代わりしてもらおうかとも思ったんですけど、母の前例もあるでしょう。もし叔父さんに見捨てられたら、僕は殺されてしまうんです。それでこの計画を思いついたというわけです」
 母の前例とは、この場合、エレンが父ヘンリーに勘当されたことを指すのだろうとダドリーは察した。
 エレンは、ヘンリーの意に沿わぬ男と駆け落ち同然で結婚したために彼の怒りに触れ、結局ヘンリーが生きている間は彼と再会することはなかった。
「前途のある僕と、余命幾許もない叔父さん、どちらか一人が死ななければいけないとしたら、その答えは明らかでしょう」
 ダドリーは深いため息をついた。彼自身、顔を合わせることのなかった十数年、エレンとその家族がどのような暮らしをしてきたか特に関心を払ったこともない。非情と責められても仕方のないことかもしれなかった。
「私はな、クリス、すでに遺言書も作成しておる。私の遺産を相続するのは、クリス、お前だと、それには明記しているんだ」
 ダドリーの告白に、クリスはそれが既知であることをあっさりと認めた。
「知ってます。でなければ善人を装って、気難しい老人に毎週欠かさず会いに来たりはしません。でも状況が変わったんです。一年後、いや、半年後でも遅いんです。もう待っている時間はないんです」
 ダドリーにはもはや何かを言う気力も失われた。けれど、それでも確かめなければいけないことがあった。
「私を…、殺すというのか」
「最終的にはそうなるでしょうね」
「最終的?」
「実はこの計画は僕一人で立てたものではないんですよ。叔父さんを、いつ、どこで、どうやって殺すかについては、まだ決まっていないんです。やつらと、最後の打合せを終えてからでないと」
「やつらだと?」
 クリスはしゃべりすぎてしまったと自戒するように急に黙り込んだ。
「クリス、お前は騙されている。私を殺したところで、お前の手元には一セントだって残りはしない。いや下手をすればお前の命も危ないんだぞ」
 クリスはそれ以上何も言わずダドリーの口にガムテープを貼り、その上に風邪用のガーゼマスクをした。
 それから車は最果ての地を目指すかのようにドライブを続けていたが、やがて何の前ぶれもなく、停車した。
 いったいここがどこなのか、目隠しをされたダドリーには見当もつかなかったが、走行時間から相当遠くまで来たのだろうと彼は思った。
「着きましたよ、叔父さん」
 そう言ってクリスはダドリーに車から降りるように促した。今度はサムと呼ばれた運転手が、ダドリーの降車を手伝った。
「さあ、しっかりと歩いてくださいよ」
 ダドリーの耳元でクリスが小声でそう囁いた。クリスとサムに両脇から抱えられるように覚束無い足取りでダドリーは歩いた。
 視覚には因らず、ダドリーは目の前の建物が彼自身の屋敷にも負けないほどの大きさであることを肌で感じ取った。
 玄関の扉がギギギィ…と不吉な音を立てて、三人を迎えた。建物の中は外と変わらないほどに冷えていた。
 まるで建てられて以来その中では一度たりとも火が灯されたことがないようだとダドリーは思った。廃墟であるのか、やけに埃っぽく、建物の奥から空き缶がカラカラ…と風で転がる音がした。
「こっちですよ、叔父さん…」
 手を引かれるままにダドリーはついていき、そして彼らは立ち止まった。
「これから、下に降りる階段です。気をつけてください」 
 目の見えぬ自分に何を気をつけろというのかとダドリーは思ったが、それでも慎重に一段一段を確かめていく。地下室への階段は地獄へと続く洞穴のようにダドリーには感じられたが、無論それは錯覚に過ぎなかった。
「階段が終わります」
 クリスの言葉にダドリーは擦り足で床面をゆっくりとさぐった。
 それからクリスは無言のまま用意していた椅子にダドリーを無理やり座らせると、彼の足首を椅子の脚にロープのようなもので結わえた。そのあと手錠を一旦外し、改めて椅子の背もたれ越しに後ろ手ではめ直した。あらかじめ手順を決めていたような手際の良さだった。
「今から、猿ぐつわを外します。でも最初から言っておきますが、叫んでも無駄ですよ。叔父さん」
 そう言ってクリスはダドリーのガーゼマスクをそっと外し、そしてガムテープを力任せに一気に剥ぎ取った。
 ダドリーは新鮮な空気を求め、ハアハアと荒く息をついたが、口に入るのは澱んだ空気ばかりだった。
「目隠しは取ってはくれないのか」
「それは贅沢というものです、叔父さん」
 ダドリーの注文をクリスが冗談めかして、だがはっきりと断った。
「これからしばらくの間、申しわけありませんが、叔父さんには、その格好で過ごしてもらいます。多少窮屈でしょうが、なに、長くても、せいぜい三日といったところですよ」
 クリスは自分がさもおかしい冗談を言ったかのようにクスクスと笑った。
「用があれば、僕か、サムに言ってください。もっとも、ご希望に添えない場合もあると思いますが。それと、尿意を催したときですが、特製のトイレを用意しているのでご心配なく。ただし、それは、僕とサム、二人が揃っているときに限らせていただきます。サムは、いつでも叔父さんのそばに控えてますが、僕はどうしても外に出かけなければいけないときがあるので。僕がいないときはすみませんが、我慢していただくしかありません。ここまでで何か、質問は?」
 ダドリーが口を開く前に、クリスが、そうそう忘れていました、と付け加えた。
「僕もサムも、叔父さんの世間話につき合うのにやぶさかではありません。でもサムからの返事は期待しても 無駄ですよ。何しろ彼は残念ながら口がきけないのでね」
 それだけを言い残すと、クリスは今降りてきたばかりの階段にその身をとって返した。
「ちょっとばかり出かけてきます。次に来るときは何か、夕食を持ってきますよ。叔父さんの口に合うといいけど」 
 地下室にクリスのハハハ…という笑い声が響いた。木霊が消えると、静寂が残った。こうしてダドリーの長い午後が始まった。


                                      美食家、その3に続く
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美食家、その1。

2017-12-03 21:55:49 | ショートショート
 ダドリー・オブライエンにとって、甥であるクリス、クリスフォード・ケインの裏切りは、晴天の霹靂だった。
 ダドリーの亡くなった妹エレンの忘れ形見であるクリスは、ダドリーにとってもこの世に残された唯一の血縁であった。繊細そうなクリスの細面を見ると、ダドリーはエレンのことを思い出さずにはいられなかった。
 その日ダドリーは、主治医であるDrマーカス・ハーロンを、治療のやり方に細々と注文をつけることで怒らせることに成功した。憤懣やるかたないといった感じで顔を真っ赤にさせながらダドリーの寝室を後にするハーロンと入れ代わるようにして、クリスはダドリーの前に現れた。ダドリーは甥の来訪に内心の感情を表に出さないように努めた。
「やあ、叔父さん。元気そうで何よりだね。ところで今、Drハーロンとすれ違ったんだけど、どうかしたのかい?何だかずいぶん怒っていたみたいだけど」
 クリスの挨拶代わりの言葉にダドリーはフンと鼻を鳴らした。
「あの藪医者か。まったく、話にもならん。奴は患者の気持ちというものが全くわかっておらん」
「どうしたっていうんです?Drハーロンが何か叔父さんの気に障るようなことでも言ったんですか?」
 ダドリーは苦虫を潰したような顔でうなずいた。
「奴め、私から唯一の生きがいを奪おうというのだ」
「唯一の生きがいですって?」
「そうじゃ。ハーロンの奴、私に食事制限をしろなどと言い出しおった」
 クリスは、よく理解できないというふうに首を捻った。
「医者として、当然の助言では?」
「冗談じゃない!」
 ダドリーは鼻息荒く言った。
「この年になると、さすがに女にも興味がなくなった。ギャンブルもさして面白いとは思わん。長生きしようとも思わん。正直明日の命もわからん。だがだからこそ、美味いものをたらふく食って死にたいのだ」
 ダドリーは有言実行の男だった。最近では自宅の寝室から外に出ることも億劫がるようになっていたが、唯一の例外が外食に出かけるときだった。東に美味いイタリア料理を出す店があると聞けば重い腰を上げ、西に評判のフランス料理店があれば車を手配してまで味を確かめに行くのだった。だが実際、舌の肥えたダドリーが満足することなどめったになかった。
「その私に、やれコレステロールだの、カロリーの摂取過剰だのと脅したところで、今さら宗旨替えなぞしてたまるものか!」
 ダドリーの怒りの矛先を収めるかのようにクリスが話題を変えた。
「そ、そういえば、叔父さん、今度郊外にできたチャイニーズレストランがなかなか美味いものを食べさせるんだ。ちょうど昼時だし、ドライブがてら、今から行ってみないかい?」
「ふーむ、中華か。悪くないな。その店では何が評判なんだ。北京ダックか、それともフカヒレのスープか」
 クリスは首を振った。
「中華粥だよ、叔父さん」
「中華粥、だって?あんなものは病人の食べるものだ。私は決して口にせんぞ」
 ダドリーのへそを曲げたような物言いにクリスは慌ててこう付け加えた。
「も、もちろん、北京ダックだって、フカヒレのスープだって、注文すればいくらでも食べられるさ。そ、それに…」
「それに?」
「叔父さんに、会わせたい人がいるんだよ」
 ダドリーは内心少しばかり驚いていた。何しろクリスがそのようなことを言い出した事はそれまで一度もなく、 甥のことを朴念仁だとばかり彼は考えていたのだ。
 ダドリーは少しの間考え込むような素振りをしていたが、やがて、いいだろう、と物々しく言った。
「まあたまには、甥の勧める店に行くのも悪くなかろう。それに、お前の会わせたい人とやらにも興味があるからな」
「良かった。じゃ、早速行くことにしようか。実はもう、車のほうは呼んであるんだ」
 ホッとしたように安堵の息を漏らすと、クリスは、ダドリーがベッドから起き上がるのと、彼の着替えを甲斐甲斐しく手伝った。
 さらに玄関までダドリーの肩を支えるようにエスコートをした。
 正門の先に一台の黒塗りの乗用車が停まっていた。ダドリーの見慣れぬ会社のハイヤーだった。運転手の姿が見えるが、二人が出てきたことに気づかぬのか、車から降りてくる気配もない。けしからんとダドリーは憤慨したが、クリスの方はそれを気にする様子もなかった。ダドリーを車に乗り込ませると、執事のロバートと二言三言会話を交わしてから、クリス自身もダドリーの隣に座った。
「じゃ、出してくれ、サム」
 どうやらクリスはサムという名前の、この無愛想な運転手と知り合いらしい。それが少しばかりダドリーには意外な気がした。
 出発してしばらくの間、ダドリーは窓の外の景色に目をやった。狂乱と言っていい夏の暑さのはようやく過ぎ去り、街は落ち着いた秋の装いへと衣替えしようとしていた。
「それにしても、ずいぶんと車を走らせたが、そのチャイニーズレストランとやらには後どれくらいで着くんだ?」
 ダドリーの問いにクリスはその童顔に似合いの、屈託のない笑みを浮かべた。
「そのことなんだけどね、叔父さん」
 そう言ってクリスが懐から取り出したものが何なのか、正確にはそれが何を意味するのか、ダドリーには分からなかった。
「いったい、何の冗談だ、クリス」
 クリスの右手に握られた拳銃を半ば茫然と見つめながら、ダドリーはようやくそれだけの言葉を口にした。
「冗談なんかじゃないんだ、叔父さん」
 変わらず笑みを浮かべたまま、クリスはそう答えた。


                                   美食家、その2に続く
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『シンデレラは眠れない』(一段目)

2017-10-18 21:42:21 | ショートショート
 ゴォ-ン、ゴォ-ン、ゴォ-ン…。
 お城の時計塔が十二時を告げる鐘を鳴らし、王子様とのダンスに夢中になっていたシンデレラははっと我に返りました。
 それにしてもシンデレラも王子様も、舞踏会が何時に始まったにしろ夜中の十二時まで踊り続けるなんて大した体力です。それに付き合わされている、舞踏会に招かれたお客様、さらには演奏を延々と続けなければならなかった宮廷楽団の方々もいい迷惑です。
 それはまあともかく、十二時になればシンデレラにかかっていた魔法も解け、シンデレラは元のみすぼらしい灰被り娘に戻ってしまいます。そんな恥ずかしい姿を王子様に見られるわけにはいきません。
「まあ、大変、帰らなくっちゃ」
 そう言ってシンデレラは一緒に踊っていた王子様の手を振りほどこうとしました。シンデレラのこの振る舞いに驚いたのは王子様の方です。それまで共に楽しい時間を過ごしてはずの女性がいきなり帰るといい出したら、王子様でなくても、おいおい、それはないだろと言いたくなります。
「どうしたというのだ、そなた…」
 そう言いかけて王子様は自分が一緒に踊っていた女性の名前を聞いていなかったことにようやく気付きました。名前どころか、住所も、好きな食べ物も、趣味も、スリ-サイズも…。ワオ!何という大失態!
 王子様は一瞬自分の迂闊さを呪い、天を仰ぎ、オゥマイガッと十字を切るマネをしました。その隙をついてシンデレラは王子様の脇をするりとすり抜け、階段へと駆け出しました。
 しかし所詮ドレスをまとったシンデレラが足の速さで王子様に敵うはずもありません。王子様は階段の途中でシンデレラに追いつきかけました。
「待ちたまえ、そなた…」
 王子様がその手をシンデレラの肩に置こうとした、その時です。 ひときわ大きく、まるで世界の隅々にまで一日の終わりを知らしめようかというようにゴゥオォォワワワァ-ンと時計塔が最後の鐘の音を鳴り響かせました。
 そして王子様は思わず息を飲んで立ちすくんでしまいました。何ということでしょう。ウォォォン…という鐘の音の、重く、低いその余韻の中で、シンデレラの体からまるで蝶の燐粉のように光がふっと発せられては消え、消えては発し、それが繰り返され、シンデレラの姿が少しづつ変わっていったのです。
 それまで着ていた最新流行の最高級品かつ最悪趣味のパ-ティドレスから、町娘の身なりに、いいえ、町娘というのでさえはばかられる、薄汚れた乞食のような格好に変わってしまったのです。
 必死に走っていたシンデレラ自身は自分の姿が変わってしまったことに気付かないようでした。また自分の靴の片一方が懸命に駆けるあまり脱げてしまったことにも…。
 駆けていくシンデレラの後ろ姿をただ茫然と見送りながら、王子様はシンデレラが履いていた靴を拾いあげ、首をかしげました。
「何という不思議な娘なのであろう…」
 王子様は一人呆然と立ち尽くしたまま、名前も知らぬ娘の消え去った闇を、いつまでも、いつまでもただ
見つめていました。


 舞踏会の次の日、シンデレラは一睡もせずに朝を迎えました。
 とはいっても舞踏会での興奮が冷めやらず寝つけなかった、というわけでも、王子様のことを想うあまり目が冴えてしまった、というわけでもありません。
 本来ならば舞踏会の間に片付けておかなければならなかった、ジャガイモの皮剥き、台所の床掃除、姉達の飼っている猫の蚤取り、馬の毛並み繕い、洗濯、縫い物、その他諸々の雑用がシンデレラから眠りを奪ったのです。魔法使いのおばあさんもさすがにそこまでのフォローには気が回りませんでした。
 もちろん本当であればシンデレラとしても舞踏会から帰ってすぐにベッドに倒れ込みたくて仕方ありませんでした(とはいってもシンデレラのベッドは古くなって使われなくなった暖炉に藁を敷きつめただけの粗末なものでしたが)。
 何しろ舞踏会の間中ずっと王子様と踊りっぱなしでしたし、靴を片っぽ忘れた事に気付いて途中で戻ったのはいいのだけれど、お城に再び入ることは叶わず、小一時間も花壇の隅でしゃがみ込んだまま、結局お城から家までの(行きは馬車で楽ちんだった)道のりを片方裸足で歩いて帰らなければなりませんでした。
 とにかくすぐに眠りにつくというような贅沢はシンデレラには到底許されませんでした。もし言いつけておいた用事を怠けていたことがわかったら、義母や義姉に何と言って苛められるかわかりません。
 シンデレラはジャガイモの最後の一個の皮を一番鶏の鳴き声とともにようやく剥き終え、ふらふらとしながらも何とか立ち上がりました。体力はとうに限界を超え、意識は朦朧とし、頭もひどくズキズキと痛みます。
 もう、だめ…。死んじゃう…。
 さすがのシンデレラも思わず弱音を吐いて、へたり込みそうでした。しかしこれから義母や義姉のために朝食を用意しなければなりません。彼女たちがまた朝からよく御召し上がりになられるので用意する量も半端ではありません。
 シンデレラはふらつく足取りでかまどの前に立つと、今日の朝食のメニュ-は何にしようかしら…とぼんやりとした頭で考えました。何を作ろうかしら…。昨日は何を作ったのかしら…。シンデレラにとって今日は昨日の続き、いつもと同じ、何一つ変わらない地獄の始まりでした。


「シンデレラっ!!」
 台所のドアがバンと開け放たれ、テ-ブルに突っ伏して眠っていたシンデレラはヒャッと飛び起きました。
「お前ったら、何て朝寝坊で、怠け者で、愚図なんだろ?まだ朝飯の用意もできてないじゃないか?一体何様のつもりなんだい?」
 赤い布を見て突っ込んできた猛牛よろしくまくし立ててきたのはシンデレラの義母でした。かまどにかけられた鍋にはお湯がぐつぐつと煮えたぎっています。
「ごめんなさい、お義母様、私ったら、つい、つい、ごめんなさい、お義母様!眠ってしまって!」
 シンデレラの言葉などまるで耳に入らず、目ざとい義母はすぐにそのことに気が付きました。
「まあっ、まあっ、まあっ、何てことなの、シンデレラ、お前ったら、靴を片っぽしか履いてないじゃあないか?」
 そうでした。シンデレラはお城に靴を忘れたままでした。ちなみに彼女には替えの靴、などという贅沢なものはありません。
「ごめんなさい、私ったら、靴を、靴を、失くしてしまって…」
 涙声で謝るシンデレラに義母は冷たく言い放ちました。
「シンデレラ、お前の馬鹿さ加減にはほとほと愛想が尽きたよ。いいかい、罰として、これから一ヵ月の間、靴を片っぽだけでお過ごし!」
「そ、そんな、これから冬を迎えるというのに…」
「まあ、お母様ったら、シンデレラにはホントお優しいんだから」
 シンデレラの言葉を途中で遮ったのは、いつの間に現れたのか、一番上の義姉でした。
「私だったら、少なくとも半年は靴を片っぽで過ごさせるのに!」
「そんな、そんな、お義姉様、半年もだなんて…」
「まあ、お母様も、お姉様も、シンデレラにはお甘くって困るわ」
 シンデレラの言葉を再び遮ったのはやはりいつの間に現れたのか、二番目の義姉でした。彼女は勿体ぶって言いました。
「私だったら一年間は裸足で過ごさせるのに」
 もうシンデレラには何かを言い返す気力も失われていました。どうして、自分ばかりがこんな目に合わなければいけないのだろう。どうして自分ばっかり…。お母さん…。
 その時、来客を告げる呼び鈴が鳴らされました。
「まあ、誰かしらね、こんな朝早くに」
 最初、義母はシンデレラに来客の応対をさせようとしましたが、シンデレラの薄汚い格好に目を留め、さすがにそれは思い止まりました。
 義母が玄関先でお客様の相手をしている間、シンデレラは朝食の準備をしていたので、そのお客様の姿を目にすることはかないませんでした。しかし、そのお客様は家の隅々にまで通るほどたいそう朗々とした、大きな声の持ち主だったので、自らが城からやってきた王子の使いの者であること、本日昼十二時ちょうど、国中の未婚の女性は普段履き慣れた靴を持参して城の大広間に集まること、などと述べていることはシンデレラの耳にも入ってきました。
「どの靴を持っていこうかしら、お母様?」
 朝食を食べている間も、義姉達二人は大はしゃぎです。普段履き慣れた靴を、というお達しも耳の穴から鼻の穴に突き抜けてしまったようでした。
「でも、シンデレラは、」
 そう言って二人の義姉は顔を見合わせ、ケラケラと蛙のような笑い声をあげました。
「靴を失くしてしまったからお城には行けないわよ、ねぇ」
 自分たちがよそ行き用の靴を持っていこうとしていることなどまるで頭に無いような台詞を彼女たちは声を合わせて言いました。
 けれどシンデレラは、義姉達の嫌味もよく耳に入りませんでした。目の前で起こっていることが全てどこか遠い世界の、自分には関係のない出来事のようでした。
「じゃあ、行ってくるわね、シンデレラ、留守番、ちゃあんと、よろしくね」
 昼近くになり、二人の義姉は顔に化粧をぎとぎとと塗りたくり、まだ一度も履いたことのない取っておきの靴を後生大事に抱え、また義母は付添いでお城へと出掛けていきました。
 一人残されたシンデレラは黙々とジャガイモの皮を剥きながら、義姉達はお城の大広間で王子様とお目通り叶っているのだろうかと思いを巡らしました。そしてこうも思いました。再び自分が王子様と会える日がいつか来るのだろうか…。
 その時です、馬のいななきが聞こえたのは!
 誰かしら、義母たちが用事を早めに切り上げて戻ってきたのかしら…。
 不審に思ったシンデレラはジャガイモの皮剥きの手を休め、表に出ました。そしてシンデレラはあっと声を上げてしまいました。
 そこにいたのは、誰であろう、白馬に乗った王子様だったのです。
「お、王子様…」
 シンデレラは目の前に王子様がいることが信じられず、言葉を失っていました。
 王子様はそんなシンデレラを横目でちらりと見ると、さらりとした前髪を優雅にかきわけ、ひらりと白馬から降り立ちました。
「シンデレラよ…」
 どこで調べたのか、王子様はシンデレラの名を優しく呼ぶと、シンデレラがあの日忘れていった片方だけの靴を彼女に差し出しました。
 王子様…。
 シンデレラは感激のあまり、涙を流しそうになりました。
 私の、私のために、わざわざ、靴を、届けて、くれ、る、なんて。王子様…。
 王子様は、シンデレラの手を優しく包み込み、そっと靴を握らせると、耳元でこうささやきました。
「シンデレラ、この靴を、このボロボロの薄汚い靴を、あの日と同じようにガラスの、いや、出来たら金の靴に変えてくれないか、私の、目の、前で」


 さて、これにて一段目は終了です。
 随分と性悪な結末になったものと自負しております。二段目はさらに輪を掛けて極悪なものとなっています。
 そういったものが苦手な方、食傷気味な方は読み進めない方が賢明でしょう。
 それでは二段目をどうぞ。


       *『シンデレラは眠れない』(二段目) へ
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バッティングセンター(再録)

2017-10-11 21:43:28 | ショートショート
 会社の帰り、最新の設備が整っているというバッティング・センターに寄ってみた。
 最近どうもろくなことがないので、とにかく憂さ晴らしをしたかったのだ。
 今朝も一雨来そうだからと傘を持って家を出れば途端に空はからりと晴れるし、通勤電車の中では女子高生から痴漢に間違われるし、仕事のほうはといえばあと少しで正式な発注という段階になって大口注文のキャンセルを喰らうし、細かいことを上げれば切りがないが一事が万事その調子で何もかもが上手くいってなかった。
「最新の設備って今までのとはどう違うの?」
 受付にいた女性の従業員に聞いてみる。
「えぇ、お客様、当センターの自慢は何といってもバーチャルな点です」
「バーチャル?ってことはプロ野球の投手が投げているような映像が映し出されたりするってこと? そんなの、よく聞く話じゃないか」
「いえいえ、当センターではすべてがバーチャルなのでございます。ボールまでも」
 その従業員はにっこりと営業スマイルを浮かべて言った。
 すべてがバーチャル?ボールまでも?
 しかしボールが立体映像だったら打つ時の手応えはどうなるのだ?
 そんなので本当に憂さ晴らしになるのだろうか?
 いくつも疑問は湧いたが、とにかく一度お試しください、という彼女の言葉に従い、渡されたバットを手にしてゲージの中に入った。
 するとどこからともなく、ボールをお選びください、という無機質な声が聞こえた。
 ボールを選べってどういう意味だ?
 私の戸惑いも無視してその声は続けてこう言った。
「男性にしますか?女性にしますか?」
 意味不明の質問だったが、とりあえず「女性」と答える。
 さらに髪の長さは?目鼻立ちは?などといった質問が続き、私も馬鹿正直にそれにつきあった。
 ようやくすべての質問が終わると、スクリーンに出来損ないのモンタージュみたいな女性の顔が映し出された。
 それは私が心の中に思い描いた顔とは違ったが、それでもどこか特徴を捉えていた。
「それでは第一球です」
 え?と思う間もなく、スクリーンの女性の顔がぎゅ~んと縮まり、生首のようにばっと私に向っ て飛び出してきた。
 思わず私は持っていたバットをぶん!と大きく振り回す。
 だがまるで手応えがなく、どうやら空振りをしたと判定されたようだ。
 ストラ~イク!!という声とともに、キャハハハ…という女の奇声がゲージの中に響いた。
「第二球です」
 今度は私もバットを短く持って慎重に構え、バッターボックスに立つ。
 喰らえ!渾身の力を込めてバットを振った!
 カキーン!という快音と確かな手応えを残し、ひぇ~という叫び声をあげて、生首は遥か場外へと消えていった。
 ホ~ムラン!!
 どうだ、思い知ったか!私は内心ガッツポーズを取った。
 私はそれから小一時間そのバッティングセンターで汗を流し続けた。
 うん、バーチャルもなかなか悪くないじゃないか、と思いながら最後の一球をセンター前にはじき返す。
 額の汗をハンカチで拭いながらゲージの出口をくぐった私は丁度隣りのゲージから出てきた女性と鉢合わせになった。
 その女性は髪は振り乱し、化粧は汗で流れ落ち、眼はやたらとギラギラと光らせ、どうやら私以上に熱心にバットを振り回してきたようだった。
 他でもない、それは妻だった。
 二人は無言のまましばらくの間向き合った。
「こんなところで何してる?」
 ようやく私がそう問うと、
「ここでバットを振る事以外に何かすることあるの?」
 そう妻は険のある言い方で答えた。
 やっぱりバーチャルじゃダメだな、バットのグリップを強く握り締めながら、私はそう思った。
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一人暮らし(再録)

2017-10-04 21:45:13 | ショートショート
 座布団の上で丸まっていたニャンゴローが、眠いのか、それとも面倒くさいだけなのか、外から帰ってきた私の出迎えをわずかに首をもたげただけで済ませた。ご主人様の帰りだというのに、ニャアの一鳴きもしないとは不届きな奴とは思ったが、私のほうは律儀に、ただいま、ニャンゴロー、と声をかけた。
 だがやっぱり応答はなし。
 一人暮らしのわびしさに、ついペットなど飼ってはみたものの、こうも愛想がなくては返ってわびしさもつのるというものだ。
 コートを脱いでハンガーにかけ、リモコンを二つ手に取り、ヒーターとテレビのスイッチを入れる。ヒーターの温風が体を包み、私はブルッと一度身震いし、自分の体がいかに冷え切っていたかを知った。
 テレビからは(もはやアンティークといっていいブラウン管のガラクタだが)、二十世紀終わりの街角の喧騒を伝えるリポーターの声が聞こえてくる。
『二十一世紀の始まる瞬間を共に過ごそうという人で街は・・・』
 新年を一緒に迎える相手がいる人間は幸せだ。私はこれからたった一人(と一匹)で長い夜を過ごさなければいけないというのに。
 こんな時は寂しさを紛らわすのに酒の力に頼るのも悪くない。戸棚から、取って置きのブランデーを取り出した。
 ブランデーはホットでも、またロックで飲んでも旨いが、今日のような寒い日は逆に後者に限る。コタツで手足をぬくぬくと温めながら、ちびちびとやる。最高だ。コタツは人類が生み出した、最高の暖房器具だと思う。
『二十世紀よ、さようなら、いよいよ二十一世紀のカウントダウンが・・・』
 コタツから首だけを覗かせて、グラスの端を舐め、テレビの画面を見るともなしに眺める。
 人々は新世紀の来訪を心から祝っているようだった。
 人々の乾杯の音頭に合わせ、小さく呟いてみる。
 ハッピィ、ニュー、イヤー・・・。
 気がつくと、いつの間にかグラスの中の氷が溶けてなくなっていた。今さらぬるい酒を飲む気もない。冷凍庫から氷を出そうとして立ち上がり、よろめいて、何かにつまずいた。
 ニャンゴローだった。
 ニャンゴローはニャンとも、ワンとも鳴かなかった。触れると、まるで自分を氷の代わりにグラスの中に入れてくれよとでも言うかのように冷たく、ぴくりとも動かなかった。
「ニャンゴロー…」
 普段から愛想がないものだから、元気がないことにも気づかなかった。
 どうして…。どうして、こんな時に…。
 私は冷蔵庫の上の小物入れをまさぐった。電池のストックが切れていた。
 “街”まで出かければ電池の一個や二個ぐらいすぐに見つかるだろう。
 だが今日“街”から戻ってきたばかりで、そうするのはひどく気が重い。外は寒い。凍えるくらいに寒い。
 窓辺に寄って、カーテンをゆっくりと開ける。
 私はそこから見える風景が大嫌いだった。
 地平線まで続く、荒寥とした大地。そこに立つ、限りない数の墓標。
 今それが、夕陽に照らされ、私をいざなうかのように長く影を伸ばしていた。
『今、希望の世紀が始まりました!』
 画面の中のレポーターが叫び、人々は歓喜の涙を流して抱き合っていた。
 私にもいつか、新年の訪れを共に喜ぶ人が現れるのだろうか。いつか…。
 薄紫に焼けた空に浮かぶ黄金の月を眺めた。
 私はリモコンに手を伸ばし、再生停止のボタンを押した。

                                         了
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ウエストエンドの悪魔

2016-07-05 21:56:31 | ショートショート
「神父…、ショーンハウザー神父、目を覚ましたかい?
 一つお願いがあるんだ。今から猿ぐつわを外す。だが、お願いだから余計なことはしゃべらないで欲しいんだ。
 甲高い声で命乞いでもされたその日には、それだけでアンタの喉元をナイフで掻っ切ってやりたくなるからな。
 俺が誰だか知りたいか?おぃ、聞いてることには答えてくれよ。そうか、知りたいか。
 俺の名前は、いや、通り名といった方が正しいか、『ジャック・ザ・オーヴァーキル』。俺が名乗ったわけじゃないが、聞いたことぐらいはあるだろう。世紀の大殺戮者、オーヴァーキル様だよ。
 まぁ心配すんな。アンタのことは殺しやしないよ。もっともアンタが約束を守ってくれれば、の話だがな。
 アンタには話を聞いてもらいたいんだ。ちょっと変わった告解だと思ってくれればいい。
 時々、誰かに無性に聞いてもらいたくなるんだ。俺の今までやってきた殺しや盗み、その他犯罪について、話したくなっちまうんだよ。俺の悪い癖だな。だがどうにも止められないんだ。
 先に言っておく。さっき言った通りアンタのことは殺すつもりはない。ちゃんと解放してやる。目隠しも取ってやる。アンタの身体を椅子に縛りつけてあるロープも解いてやる。
 だが、覚えといてくれ。今夜自分の身に起こったことを誰かに話そうものなら、そのときはアンタの命はない。忘れないでくれよな。
 じゃあ始めようか。
 俺が初めて人を殺したのは、俺がまだ14歳のガキの頃だった…」

                     *

 男は私の耳元で自分が犯してきた凶行を嬉々としながら語った。
 ろくに抵抗も出来ない老人の全身の骨を砕いて殺したり、年端もいかない少女を嬲ったりと、男の話は本当に耳を塞ぎたくなるほど残酷で、私は終始身体の震えが止まらなかった。
 気が抜けないのは不意に男が、なぁ、今の殺しは俺のせいじゃないよな、と同意を求めてくることだった。そのたびに私は、あぁ、君のせいじゃない、と震えながら答えた。
 そんな時間がどれぐらい続いたのか、男が、今の殺しが三日前のことだ、と話を締めた。
 ようやくこの地獄から解放されるのか、そう思った私の耳元で男が言った。
「今からロープをほどいてやる。目隠しも取ってやる。だが、すぐに目を開けるんじゃねぇぞ。
 いいか、千数えるんだ。ゆっくりとな。千数え終わったその時は目を開けていい。椅子から立ち上がってもいい。お前のしたいようにすればいい。
 だが、千数え終わる前に目を開けたら、その時はどうなるかわかっているな?お前の喉元にナイフを突き立ててやる。それが嫌ならきっちりと千数えるんだ。
 誰もいないなんて思わない方がいいぞ。俺は誰よりも気配を消すのが上手いんだからな…」

                     *

 995、996、997、998、999、1000…。
 私は出来るだけゆっくり千まで数を数えた。目を開けるのが怖かった。目を開けたら目の前にまだ奴がいて、本当に助かるとでも思ったのか?と言いながらナイフを突き立ててくるのではないか、そう恐怖したのだ。
 だが目を開けても教会の中には私の他に誰もいなかった。ただ静寂だけが闇を支配していた。
 私を縛っていたロープと目隠し用の布きれがなければ、私自身恐ろしい夢を見ていただけだ、そう思ったに違いない。
 しばらくの間椅子に座ったまま、私は身体の震えが収まるのを待った。どうにか震えが収まると、私は立ち上がり、教会の奥にある霊安室へと向かった。
 男は警察には知らせるなと何度も念を押した。だが私はそんなことをするつもりは毛頭なかった。
 霊安室のドアを開け、壁一面に掛けられている天使のタペストリーの右端をめくり、地下室へと続く階段が開くスイッチを押した。 
 地下室へと続く階段を下りながら、身体が再び震えだした。今日は本来地下室を訪れる日ではない。だが抑え切れなかったのだ。男の話を聞いているうちに私の天使たちに会いたい衝動に駆られてしまったのだ。
 階段を下り切り、地下室の扉に手をかけたとき、後ろから声がした。
「霊安室の地下にこんなものがあるとはね。わからなかったよ」
 男がゆっくりと階段を下りてくる。
「本当に帰ったと思ったのか?」
 男が私の隣りに立ち、その時になって私は初めて男の顔を目にした。
 そんな、、、そんなことが…。
「どうか、お助け下さい…」
 私の懇願に男は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「あぁ、アンタの魂と名誉は救ってやるよ。神の名にかけてな」

                     *

 ロンドン・プラネットニュース一面より。
「19日深夜ウエストエンド地区のワールドワーズ教会にて火災が発生。教会の地下室から大人一名と子ども12名の死体を発見。大人はショーンハウザー神父と思われるが、子どもたちは遺体の損傷が激しく身元は不明。
 現場に残されたいくつかの証拠から犯行は『ジャック・ザ・オーヴァーキル』と名乗る犯罪者によるものと推測される。
 スコットランドヤードでは現在市民からの情報の提供を募っている…」  

                         
                              end
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戯曲『桃太郎・改 いざ、鬼が島へ!!』

2015-09-09 21:05:10 | ショートショート
桃太郎(以下桃)なぁ一つ聞きたいんだけど。
犬   何です、桃太郎さん。
桃   鬼が島までは舟で行くんだよな?
犬   そりゃまぁそうですね。キジさんと違って私たちは飛べませんから。
桃   その舟は誰が漕ぐわけ?もしかして、俺?
犬   そりゃそうですよ。サルさんの手は櫂(かい)を持つには小さいですし、
    私やキジさんではそもそも櫂を持てませんからね。
桃   ヤダ。かったるい。
犬   何ですって?
桃   知ってる?鬼が島の周りってスゲー潮の流れが速いってこと。
    あの潮の流れを乗り切って鬼が島まで舟で辿りつくのってそーとー大変よ?
    無事辿りつけたとしても疲労困憊、ヘロヘロになって鬼たちと戦っても
    絶対勝てっこないって。
犬   何を言ってるんです、今さら!
桃   だからさ、俺、考えたんだよね。
    この際キジに夜中にこっそり鬼が島まで飛んでもらって、
    奴らの村の井戸に毒を混ぜたらどうだろうって。
キジ  え、あっしがですか?
犬   そ、そんなの卑怯すぎます!
桃   いいじゃん、絶海の孤島で何が起ころうが、誰にもわかりっこないんだし。
    サルはどう思う?
サル  いいんじゃないですか。鬼が全滅したころを見計らって鬼が島に乗り込みましょう。
桃   よし、決まった!
犬   ひどすぎる!!
桃   まぁそう言うなって。この世の中、勝ったもんが正義ってことよ。
サル・キジ まったくですな。
犬   鬼はあんただよ、桃太郎さん…。


                                   おわり
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ある恋の終わり

2015-01-22 21:42:50 | ショートショート
「私の前に二度と現れないでって言ったじゃない、リック!」
「ジョセフィーヌ、君のことを忘れるなんて、そんなこと、僕には出来やしない」
「わかって頂戴、リック、貴方と私では生きている世界が違うのよ」
「そんな!生きる世界が違うだなんて、そんな理不尽な理由で君に会えないなんて!」
「お願い、わかって…。私だって貴方に会えないのはつらい。でもこうして私の前に現れるだけで貴方の命は危険に晒されるのよ。それが私には耐えられないの」
「ジョセフィーヌ、僕は一向に構わないよ。君に会えるならこの命、いつだって投げ出す覚悟は出来ているよ」
「本当なの、リック?」
「もちろんさ、ジョセフィーヌ!」
「リック、私嬉しい!!」
「あぁ、ジョセフィーヌ…」

                            * 

「あ」
「どうしたの?」
「今カエルがヘビに飲み込まれた」
「へぇ、何も見えなかったけどな」
「でも変だった」
「変?」
「飲み込まれる前にカエルとヘビ、何だか見つめ合ってたみたい」
「見つめ合ってた?ヘビに睨まれたカエルってこと?」
「うぅん、そうじゃなくて…」
「なくて?」
「まるで愛し合ってる恋人達のようにじっと真剣に見つめ合ってたわ」
「愛し合ってる恋人達?じゃあ、まるで僕達みたいだね」
「あ、そういえば、今日貴方を呼び出した理由、まだ言ってなかったわね」

                             * 

 今二つの恋が終わりを迎えた。
 一つは生きる世界が違いすぎたため、もう一つは単なる性格の不一致のためである。
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