当ブログでは映画『ガタカ』に対する考察記事が、これでもか!というぐらい書いてあります。
すべての記事ではないですが、中にはコメントのついたものもあり、
【『ガタカ』の嘘。】という記事の、「Question」さんの書いたコメントは当ブログ史上最長で、この先これ以上長いコメントがつくことはないだろう、そう思いました。
が、先日それを超える長さのコメントが寄せられました。
長いですが、一読の価値はあると思うので、以下転載します。
初めまして。いきなりの超長文を投稿してしまい申し訳ございません。
主さんに負けじとジェロームが自殺に至った理由を私なりに考察してみました。
またなぜ多くの人がジェロームが死んでしまったことに疑問を持っているかの理由も説明したいと思います。
まずはジェロームの人物背景から
・金メダルを取るべくして生まれた優秀な遺伝子をもつ。
・銀メダルしか取れない自分に絶望し車の前に飛び出し自殺しようとしている。
・下半身付随になり飲んだくれている。
まだありそうです。かなり省略しました。
ここから彼の自殺に至るまでの心理描写の考察となります。
ヴィンセントに出会うまでの彼の心境ですが簡単に説明すれば「生きることに否定的であるが、死ぬつもりはない」です。
もともと銀メダルしか取れないことに絶望し、自殺未遂した彼が今は車椅子で生活して、そして生きていることに不自然さは感じなかったでしょうか?
銀メダルしか取れないという境遇に加え、下半身付随というハンディキャップをおってしまった彼が自殺を行わないことに私は違和感を感じました。死ぬ理由を見つけていたのかもしれません。もちろん彼自身どう考えていたかはわからないですが、少なくともすぐに自殺する意思はないようです。しかし生きることに積極的になっているわけではありません。「自殺なんて馬鹿なことはもうやめてこれからは生きていこう!」とはもちろん考えていません。酒浸りの生活をしていることからそれがわかります。
ですので彼の心境を説明すると上記のようになると思います。そして彼の心境に変化が起こります。ヴィンセントとの出会いです。そして結果自殺します。多くの方が自殺したことに疑問を持つ理由は「ヴィンセントに出会ってジェロームが生きることに前向きになって自殺を思いとどまる」と考えているからこの結果に疑問を持つのです。本当は逆です。「ヴィンセントと出会ったことにより死ぬ理由が見つかったから死んだのです。」では彼がどのように心情が変化して自殺に至ったかを考察していきます。色々な説があると思うので候補をあげながら考えていきたいと思います。
説①銀メダルしか取れない上に下半身付随になった自分の境遇を思いつめていたため。
説②ヴィンセントとともにいる生活が当たり前になり、彼と一緒にいられなくなることに絶望したため。
説③目標を達成しその結果に満足したため。
自分がパッと思いつくだけですが三つ考えられますね。
それぞれの説について考えていきましょうか。
説①はヴィンセントに出会う前と後での心情の変化がありません。つまりヴィンセントがいなくても起こりうる結果ということになります。
心情の変化は映画内でいくつもみられますね。例えばお酒を飲むのをやめたこと。(お祝いの時は派手に飲んでますが・・・)他にも検査用のサンプルを一生懸命集める姿。捜査でヴィンセントが疑いにかからないように階段を登るシーンなども心情の変化による行動変容として説明できます。
説①は明らかにおかしいです。
説②ですが、主さんと近い説ですね。主さんは②をさらに飛躍させてヴィンセントが宇宙で死ぬと確信していたためとブログに書いていいますが果たして
どうでしょうか。映画本編から読み取れそうなところを抜粋します。ジェロームからヴィンセントに「僕が宇宙に行っている時はどうするんだい?」と聞かれた時は「本を読んで空想の旅にでる。友達を呼ぶ」と言っています。ヴィンセントはこの時どう感じたのかはわかりませんが、「実際にはどうするんだい?」ともう1度質問しています。2度聴くということは彼の回答に満足していなかったのでしょう。結局ジェロームはその質問に回答しておらず、ごまかしています。このシーンでジェロームはなにを考えていたのでしょうか?色々考えることができますね。「君が得なくなったら寂しいよヴィンセント」とか「君がいなくなる世界なんて考えられない」とか「本当は死ぬつもりだから言えない」とかとか色々あります。このシーンからわかることは彼はヴィンセントに宇宙に行った後のことの自分のことは触れられたくないということですかね。後ろめたい気持ちがあるのかそれとも彼に心配してもらいたくないのか。これはわかりません。このシーンぐらいですかねヴィンセントがいなくなった場合にジェロームがどう考えるかを読み取れるシーンは。主さんにはこのシーンは「君は宇宙で死ぬ運命だ。それなら僕も一緒に死ぬよ。君に心配はかけさせたくないから黙っておくよ。」というふうに見えたのでしょうか?では主さんの説ではその後の彼の行動に矛盾がないか考察していきたいと思います。まず大量のサンプルを用意したことについてです。文字だけで見れば彼が帰ってきても大丈夫なように残したのではないかと考えることもできますし(実際にそうジェロームが言っている)、主さんの主張するように宇宙に行く彼に心配させないためと考えて行動したとしても矛盾はありません。ですが彼が焼却炉を使って自殺したことに関してはどのように考察しているのでしょうか?ヴィンセントと一緒に死のうと考えていた彼が選ぶ手段としては適切でしょうか?まずは焼却炉が作品内でどのような意味合いで描かれていたかを考えてみてください。焼却炉の作品での意味合いは「焼却炉」=DNAを消去する手段です。自分のDNAを消去することこれがヴィンセントが一人で生きて行くために必要だと彼が感じたので自殺の手段に焼却炉を選んだのです。これだけだと意味不明でしょうからわかりやすいように少し例え話をしたいと思います。
例文)仲の良い親子がいるとします。二人は貧乏でしたが幸せに暮らしていました。しかし息子は病気が原因で余命が短いと医師から宣告されています。息子の余命はとっくに過ぎておりいつ死んでもおかしくありません。親は自分に多額の保険金をかけて事故に見せかけて自殺をしてしまいました。なぜ保険金をかけて自殺するという行動に出たのでしょう?主さんの主張に照らし合わせるなら息子が死ぬとわかっていたから自分も死んだ。になります。これだと保険金をかけて死ぬ行動の理由づけがありません。保険金をかけているということは自分が死ねば息子にお金が入ると考えているわけです。お金が入ることが息子にとって幸せかどうか考えているかはわからないですが、余命少ない息子が生きて行くためにお金が必要と考え自殺したのであれば自殺理由として矛盾はありません。ここで残された息子のことを考えたら自殺するなんておかしいと考えるべきでしょうか?息子が自殺死体をみたらトラウマになるからそういうことを考えていなかったのか無責任だ!と考えるべきでしょうか?死ぬ間際まで息子と一緒にいるべきだ!と考えるべきでしょうか?親がそれを必要と考えたためその手段を選んだのであれば文句を言う余地はありません。親が息子は自分がいなくても一人でやっていけると考えていたならなおさらです。本編に戻ります。ジェロームが自殺する理由は後で後述しますが、自殺する手段は焼却炉を利用するという手段でなくてはいけなかったのです。自分のDNAを消去することがジェロームが二人いるという矛盾を解消し、ヴィンセントが今後一人のジェロームモローとして生きて行くために必要だから自殺手段に焼却炉を選んだのです。本編での根拠はジェロームの台詞に「私がいなくなっても大丈夫なように」と言っていることです。彼は自分がいなくなったことを想定してサンプルを残し、焼却炉で自分を抹消したのです。ヴィンセントが今後生きて行くための献身的行動と考えれば本編の内容と矛盾しません。(彼の献身的行動は他にも本編で確認することができます)またジェローム自身はヴィンセントを「お前はすごいよ。ヴィンセント」と言っているように」彼を認めるシーンがあります。例え自分がいなくなったとしてもヴィンセントは生きていける強い人物だと考えている根拠になります。また他の自殺手段はいくらでも考えられると思っていそうなので言っておきますが、常識で考えないでください。作者が焼却炉にどう言う意味づけをしたかったのか考えてください。自分を抹消する方法はいくらでもありますが、本編で出ていた焼却炉を使うことに意味があるのです。作者の意図を考えることが考察においてなによりも大切なことです。自分の感じた主観は入り込む余地はありません。以上のことから主さんの主張では焼却炉を使って自殺するという行動の理由づけがないことに気がつきますね。根拠が本編にないのに考察してはいけません。(妄想を根拠にしてはいけません。同人誌を根拠にしているのと同じですよ)最後に説②が正しいかどうかですが、ジェロームが死ぬ理由としては不適切です。死ぬ間際の行動が全てヴィンセントのために行なっていることが本編からわかります。ヴィンセントと別れるもしくは死別する絶望という感情はヴィンセントのが今後生きて行くために献身的に行動している彼の感情と一致しません。
説③ですがこれが彼が死んだ理由だと思います。本編に全て描かれているので考察するのも面倒臭いです。矛盾があれば返信でお聞かせください。
全て説明してくれとおっしゃるなら全部説明いたします。力尽きてしまいました本当にすいません(泣)この考察についてはご要望があれば後日書き込みたいと思います。
他にも考察する内容として対比表現や作品のテーマなどがあります。作品のテーマは作品の冒頭に示されていますが、本編から読み取れましたでしょうか?テーマの中に「神が曲げて作られたもの」とありますが本編では何のことを指すのでしょうか?テーマにある「自然」と「挑戦」とは何のことでしょうか?ガタカの最後の台詞「多分僕は家に帰るかもしれない」と主人公が言っていますが主さんはこれが対比表現だと気がつきましたか?最後のシーンはもろに対比表現でしたよね。登場人物も対比表現がいっぱいでしたね。指が6本の多指症のピアニストを登場させたのは作者はなにを伝えたかったのでしょうか?考察しがいがありますよ。まだまだ考察の旅を続けてください。お願いします。そして考察は感情移入せずに考えてください。妄想ではなく作品の中にある表現を根拠にしてください。もしこうならば〜などのifの世界を使わないでください。作者がそのifの世界まで考えているとは限りません。常識や確率は作者が決めます。現実の世界を基準に考えないでください。作品のテーマをもう一度考え直して見てください。テーマにあたる部分を作品を見直して本編から該当箇所を探してください。また映像作品、フィクションだとういうことを考慮して文学表現を見逃さないようにお願いします。
最後に私自身ここまで一つの作品を考察したことは今までありませんでした。作品をなんども見直すたびに新たな発見がありました。全て主さんのおかげです。本当にありがとうございました。
まず思うのは勿体ない、ってことですね。
この考察文ははうだつの上がらないブログのコメント欄に留めておくような内容じゃない、そう思いました。
見ず知らずの他人のブログに長文コメントを書いてはいけないという決まりはありません(少なくとも当ブログにはないです)。
ただ、これだけの考察文を書いて、もっと多くの人に読んでもらいたいという欲求が筆者であるツカサさんにはないのでしょうか。
それが不思議です。
さて、反論に移ります。
結局ツカサさんを含め、証拠隠滅派の方々は、ビンセントが地球に生きて帰ることを前提に考察をしているんですよね。
この段階で自分の考察とは相容れないのです。
自分はビンセントはタイタンに行く途中、心臓発作で死んだと考えています。
元々医者からは30歳までしか生きられないという診断でしたから、そう考えたとしても何ら不自然ではないでしょう。
しかし証拠隠滅派の方はこう反論するでしょう、30歳までしか生きられないという診断の確率は100%ではなかった、であれば奇跡的に一年間の宇宙旅行の間、彼の心臓は持つかもしれないじゃないか、と。
そうですね、それは認めます。
確かに彼が宇宙旅行の間に心臓発作で亡くなる確率は100%ではありません。
しかしその場合彼の前に立ちはだかるのはもう一つの障害である極度の近視です。彼はコンタクトレンズなしではまともに物が見れませんでした。
ろくにプライヴェートな空間がないであろう宇宙船の中で、コンタクトレンズを装着している人間がそのことを隠し通せるのってどれぐらいの帰還でしょうか。
一日であれば難しくないでしょう。
一週間であればあるいは出来るかもしれません。
一ヶ月となると相当難しいでしょう。
一年は、、、まず無理だと思います。
コンタクトレンズを装着していることがバレるということはすなわち不適正者であることがバレるというのと同意です。
DNAの詐称は『ガタカ』の世界では重犯罪です。
例え心臓発作を起こさずともビンセントは犯罪者として地球に戻るのです。
いや、コンタクトレンズを装着していることがバレるとは限らないじゃないか、ビンセントは一年間上手くそのことを誤魔化せるかもしれない、そう証拠隠滅派の方は言うかもしれませんね。
奇跡が起こって発作が起こらず、さらに奇跡が起こってコンタクトレンズのことも隠し通せる、まさに奇跡のバーゲンセールですね。笑。
まぁ、いいでしょう。
奇跡的にビンセントはタイタンでの任務を無事に終え、地球に戻ったとします。
問題はその先なのです。
地球に戻ったその先はどうなのか、ということです。
ビンセントは宇宙に行くことが子供のころからの夢でした。
そしてその夢を叶えるがためにジェロームと入れ替わったのです。
ジェロームと入れ替わったのはあくまで夢を叶えるための手段であり、決してそのことが楽しかったわけではありません。
証拠隠滅派の方に問いたい。
地球に戻ったビンセントが亡くなったジェロームの代わりとして生きていくとしたら、それは何のためですか?
二度目の宇宙行きが可能だと可能だと考えますか?やっぱり奇跡が起きて?
さすがにそれはもう奇跡の安売りのし過ぎでしょう。
友もなく、夢もなく、いつDNA詐称がバレるのかひたすらおびえる日々。
そんな日常をビンセントが過ごさなければいけない理由って何ですか?
自分はビンセントは宇宙で死ぬと書きました。
しかし自分はそれを悲劇的な結末だとは考えていません。
宇宙に行くことが子どものころからの夢だった男が宇宙に行って、そこで生涯を終えるのです。
彼にとってこれ以上望ましい人生の終わり方はないと自分は思います。
ビンセントが地球に帰還することは確率的に限りなく低いことだったというだけでなく、彼にとって必ずしも望ましいことではなかったのです。
今述べたことがツカサさんへの反論になっているのかどうか、正直よくわかりません。
テーマ的に難しいことは自分にはよくわからないのです。
ただ間違いなく言えるのは、ビンセントが宇宙で亡くなることは決して悲劇ではない、ということを認めない限り、自分と証拠隠滅派の方々との考えの溝が埋まることはないでしょう。