しばらく前のことですが、すき屋の牛丼と豚丼の違いがわからない、と記事で書いたら、あなたは牛肉と豚肉の違いもわからないんですか?というような主旨のコメントが寄せられたことがありました。
自分は何も今食べた丼ものが果たして牛丼だったのか、豚丼だったのかがわからない、というようなことをいったつもりはないのです。それはわかりますよ。見た目が違うのだし、第一自分が注文したのだし。
自分が言いたかったのはすき屋では現在牛丼と豚丼に五十円の差額があるのだけれど、その差額がつくほど味(わかりやすくいえば満足度)に違いがあるのだろうか?ということです。
似たようなことをつい先日、サンマの蒲焼を食べたときにも思いました。
たまにスーパーマーケットで売っている中国産のウナギの蒲焼を指してまるでサンマの蒲焼のようだ、と貶す人がいて、言わんとすることはわかるのですが、でも敢えて反論させてもらうとサンマの蒲焼は粗悪な例えに用いられるほど不味くはないと思います。むしろ美味しい。
そりゃサンマの蒲焼を缶詰のままドンと食卓に並べられたら見た目は貧乏臭いけれど、それは調理の仕方でどうとでもなることであって、味とは関係のないことではないか、、、というようなことをサンマの蒲焼入り卵焼きを作っているとき、思いました。
そのサンマの蒲焼の缶詰は一缶百円でドラックストアで買いました。今スーパーマーケットで中国産のウナギの蒲焼はいくらぐらいで売ってるんでしょう、仮に一パック八百円だとして、八倍の値がつくほど美味しさに差はないと思うのです。
結局物の値段というのは満足度よりも希少性(市場での流通量、入手のしやすさ)で決まってしまうものなのでしょうね(まぁ経済学的には常識なのだろうけれど)。
それがそのまますき屋での牛丼と豚丼の値段の差にも当てはまるのかもしれません。
でもまぁ時代が時代ですし、我々はもっと賢い消費者になってもよいと思います。
賢い消費者とはすなわち本質を見抜く消費者であり、本質とは食べ物でいえば味であり、栄養であり、満足度だと思うのです。少なくとも希少性ではない。
というような偉そうなことを、『モダン・タイムズ』(伊坂幸太郎著)を購入する際、通常版より¥1000も高い特別版を選んだ自分に言う資格があるのかどうか、甚だ疑問ではありますが。汗。
自分は何も今食べた丼ものが果たして牛丼だったのか、豚丼だったのかがわからない、というようなことをいったつもりはないのです。それはわかりますよ。見た目が違うのだし、第一自分が注文したのだし。
自分が言いたかったのはすき屋では現在牛丼と豚丼に五十円の差額があるのだけれど、その差額がつくほど味(わかりやすくいえば満足度)に違いがあるのだろうか?ということです。
似たようなことをつい先日、サンマの蒲焼を食べたときにも思いました。
たまにスーパーマーケットで売っている中国産のウナギの蒲焼を指してまるでサンマの蒲焼のようだ、と貶す人がいて、言わんとすることはわかるのですが、でも敢えて反論させてもらうとサンマの蒲焼は粗悪な例えに用いられるほど不味くはないと思います。むしろ美味しい。
そりゃサンマの蒲焼を缶詰のままドンと食卓に並べられたら見た目は貧乏臭いけれど、それは調理の仕方でどうとでもなることであって、味とは関係のないことではないか、、、というようなことをサンマの蒲焼入り卵焼きを作っているとき、思いました。
そのサンマの蒲焼の缶詰は一缶百円でドラックストアで買いました。今スーパーマーケットで中国産のウナギの蒲焼はいくらぐらいで売ってるんでしょう、仮に一パック八百円だとして、八倍の値がつくほど美味しさに差はないと思うのです。
結局物の値段というのは満足度よりも希少性(市場での流通量、入手のしやすさ)で決まってしまうものなのでしょうね(まぁ経済学的には常識なのだろうけれど)。
それがそのまますき屋での牛丼と豚丼の値段の差にも当てはまるのかもしれません。
でもまぁ時代が時代ですし、我々はもっと賢い消費者になってもよいと思います。
賢い消費者とはすなわち本質を見抜く消費者であり、本質とは食べ物でいえば味であり、栄養であり、満足度だと思うのです。少なくとも希少性ではない。
というような偉そうなことを、『モダン・タイムズ』(伊坂幸太郎著)を購入する際、通常版より¥1000も高い特別版を選んだ自分に言う資格があるのかどうか、甚だ疑問ではありますが。汗。