ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本義隆著 「近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻」(岩波新書2018年1月)

2019年08月27日 | 書評
栃木県下野市 三王山ふれあい公園 

エネルギー革命で始まる「殖産興業・富国強兵」は総力戦体制で150年続き、敗戦と福島原発事故で二度破綻した 第1回

序(1)

昨年2017年は明治維新150年に当ったので、様々な日本の近代化を振り返る書籍が多く出た。それ以前からも明治維新を日本の近代化の始まりとして見る歴史観の書籍は極めて多いなかで、政治・経済・社会の面から考えることが主流をなしておりそれこそ掃いて棄てるほどの本が出版されたが、本書のような科学技術史(特にエネルギー革命)の面から見る本は少ない。しかも日本の近代化は大成功だったとする見方あるいは進歩史観が大多数であるが、日本の近代化の歴史が果たして歪んでいないか、限界にあるのではないかという見方は少ない。もちろん戦後のマルクス主義者からの見方は近代化のマイナス面(戦争、格差、封建的残渣)を強調しているが、その科学技術進歩史観は旧態依然である。西欧のエネルギ―革命は19世紀におき以来200年間科学技術の発展と経済成長を伴って世界を席卷してきた。日本はほぼ50年遅れで開国し、ドイツと同じように後発国としてその世界的潮流に取り込まれ、そのキャッチアップに邁進してきた。それは中国のようにさらに50年遅れでキャッチアップしていたのでは植民地化される瀬戸際にあった。日本は西欧で開発された技術革新をキャッチアップするにはちょうどいい位置にいて、じつに効率的な「近代化」を成し遂げた奇蹟ともてはやされ、東方の端に居たので帝国主義の植民地化の牙から免れた。しかし2011年の東電福島第一原発事故は科学技術の限界を象徴し、明治・大正・昭和の日本を支配してきた科学技術幻想の終焉を示している。科学技術の進歩によってエネルギー使用を拡大し続け、それによって経済成長が永久に可能になるという(持続可能な成長という矛盾)幻想が破綻したことである。その上2011年度からの人口減少は、経済成長の幻想を見限った市民の隠しようもない社会現象であり、成長の限界と生存に必要な物資の不足を感じ取った成熟した市民の当然の行動である。2012年に始まったアベノミクスの3本の矢の3本目の成長戦略なるものは最初からあり得ない経済政策として破綻しているが、安倍政権の「原発輸出、武器輸出、カジノ解禁」は正常な経済政策ではない奇策である。明治大正時代の「殖産興業・富国強兵」、昭和の戦前期の「総力戦体制による高度国防結果の建設」、昭和の戦後と平成時代の「経済成長と国際競争」として語られてきた物語、すなわち大国主義ナショナリズムと結合した科学技術も進歩に基づく経済成長の追求といった近代日本150年の歩みから、我々は最終的に決別すべき岐路に立っている。「人口減少社会の設計」とか「ポスト資本主義」、「持続可能性」とかいわれる背景がそれである。安倍政権は国家権力の絶対化を宣伝するが、その及ぶ範囲は官僚機構内のことであり、市民社会は国家・市場経済に対する制御力を発揮し、国家の枠組みは相対的に低下してきた。戦争の防止、核兵器使用の全廃、多国籍資本の監視、国境を超えた国際環境保護運動が可能となるシステムを形成しつつある。そして先進国と言われる国は成長の経済から再配分の経済に向かわなければならない責任がある。限りある資源とエネルギーを大切に使う持続可能性社会を作り、国内的には格差是正、貧富の差をなくしてゆく方向にある。

(つづく)