ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 軽部謙介著 「官僚たちのアベノミクスー異形の経済政策」 岩波新書(2018年2月)

2019年08月10日 | 書評
みそはぎ

アベノミクスはどのように政策として形成されたか、官僚たちの流儀 第7回

第2部) 2012年12月ー2013年1月 アベノミクスの誕生 (その2)

2-2) デフレ脱却は誰の責任か

政府と日銀の間でデフレ脱却の責任論争となった、安倍内閣官房参与の金融政策相談役本田は「とにかく日銀の責任を明確にすべきだ。白川日銀は社会経済構造が変わらないと物価は上がらないといっているが、責任の所在を明確にした合意文書にすべきだ」と安倍を焚きつけた。2012年末に日銀は「物価上昇率2%は飲むとして、2年などという期限は絶対に約束しない」という態度を決めた。一方安倍は1%という数値は絶対に書かせない、1%→2%の段階論ではなく目標はあくまで2%を掲げるを主張して譲らなかった。白川日銀は日銀法に書かれた日銀の使命すなわち「日本銀行は、物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資することを理念として金融政策を運営するとともに、金融システムの安全確保を図る責務を負う」を楯にして粘りを見せ、2年の期限を明記することには強い拒否反応を示した。日銀は財務省に「2%目標は受け入れるが、期限2年は受け入れられない」と伝えて、内閣府との折衝を財務省に任せた。内閣府事務次官の松本氏はリフレ派に近いとみられていた。内閣府は共同声明案の「幅広い主体の取り組み」という言葉が「政府の取り組み」責任論に転化することを恐れ、目標を達成できない場合その理由を書面で表明するよう日銀に求めたが、貨幣を大量に発行して解決するリフレ派と、デフレは経済構造を含めた総合的な問題の結果であり金融政策だけでは解決しないという日銀との意見の差は埋まらなかった。内閣官房参与の本田氏は共同声明案を「アコード」とっ呼ぶことを主張したが、中央銀行との「共同声明」はカナダやオーストラリアにも例があったので財務省は「共同声明」を主張した。安倍は「日銀は成長戦略が必要だとして政府にも責任を負わせるつもりらしいが、日銀に2%達成について全面的に責任を負わせ、目標達成期限を明示させて、逃げられないようにさせる」といったという。このころ米国は進む円安に非公式に懸念を評した。国際金融では意図的に自国通貨を安くすると輸出に有利になるので、自国経済を立て直したいとき通貨安が大きな武器になる。東日本大震災後の円高に対して2011年3月18日に7000億ドルの円売り介入が行われ、8月には4兆5000億円の介入が行われた。10月にはさらに9兆900億円の円売り介入がなされた。しかし安倍第2次政権が誕生し、円は86円台の安値となった。2013年1月8日ユーロ圏の「欧州安定機構ESM」の債権を購入する際、米国から円安の懸念が寄せられた。1月8日財務大臣の麻生氏と財務省事務次官の真砂靖氏は日銀との合意点を説明するため官邸と協議した。概ね安倍の了解を取り付けた。内閣府では1月15日に「金融有識者会議」を予定しており、リフレ派の多い委員の反発が予測されるので内閣府は財務省見解の差し戻しを要求した。麻生以下財務省ではこれ以上日銀を攻めると白川氏は辞任するだろうし、国家統治が混乱する様を晒すことはできないとして、日銀合意案で再度安倍の説得にかかった。1月11日G7の財務相代理(G7D)による電話会議が開かれた。財務省から中尾氏、日銀から中曾宏しが会議に参加した。日本側は金融緩和に意図的な為替介入はないと弁明に努めたが、米国は為替水準は市場の決定に委ねるべきだという主張の平行線となった。

(つづく)