ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山口育子著 「賢い患者」 岩波新書(2018年6月)

2019年08月25日 | 書評
翠 菊

患者本人の意思を尊重し、患者・医療者の賢明なコミュニケーションを目指す活動 第11回

7章) 患者を支え抜くー辻本好子のキーパーソンとして (その2)

乳がん治療後8年が経過した2010年5月、COML20周年記念パーティの直後、辻本氏は胃が痛いと不調を訴えた。胃カメラ検診ではかなり深い胃潰瘍で出血の恐れがあるとの連絡が医師より山口氏に入った。その数日後胃カメラで採取した細胞の生検結果より胃がんであると判明したという連絡があった。そしてがん細胞は「印環細胞がん」というスキルスガンよりさらに悪性度の高いがんだと判明した。辻本氏は検査結果を口で言うと曖昧になるので病理診断書報告書を添えて文章でメールするようにとの指示があり、それによって二人の医師の言葉の理解がかなり異なることが分かった。メールまたはファックスで淡々と本人に事実を突きつけることはつらいことですと山口氏はいう。1時間ばかりの手術前説明は、二人で一緒に聞いた。印環細胞がんという未分化がんは増殖速度が速く悪性度が高いのでリンパ節への転移は免れない。術前CT検査では明確な腹膜転移はなかったが、浮遊のがん細胞や結節状の転移はあるかもしれないという。息子さんらに説明するため、この術前説明を文章にまとめ辻本氏に渡すと、本人が受け止めている内容と多少食い違いがあることが分かった。手術後の執刀医の説明は「厳しいな」で始まりました。手術は胃の1/3は残して切除し、NIレベルのリンパ節も切除したが、CTでは見えなかった腹膜への転移、結節状の転移が直腸付近まで連続的に見られた。腸間膜の転移はすぐに影響が出るので切除し、それ以外はそのままにしてある。腸閉塞や直腸近くの腹膜転移は大腸の閉塞となり人工肛門を考えなければということであった。腹水が溜る心配もある。胃の幽門部付近のリンパ節転移が胃に流入するガンもあった。印環細胞がんの一部がスキルス化している疑いもある。腹膜転移があった段階でステージはⅣ(末期)であった。医師(部長)は余命1年と伝えた。手術の翌日朝早く医師(部長)は山口氏同席の上で、辻本に術後の話に入った。辻本は医師にいきなり余命の話を切り出した。うろたえた医師はお茶を濁して出て行った後、辻本氏は山口氏に改めて余命のことを問いただした。出来るだけ正確に口頭で伝えたが、辻本氏は文章にしてほしいと要求する。それはCOML歴20年の山口氏にとって人生を変えた大先輩の病状の事実を正確に伝えることは,生涯で最もつらい文章作成であったといいます。辻本氏には手術中から痛み止めの「硬膜外カテーテル」がしてあり術後5日目に針を抜くと、患部の痛みが出るので午前2時ごろナースセンターから鎮痛剤の頓服を希望したそうです。持ってきた看護婦に辻本氏は「このつらい気持ちを聞いてほしい、10分でいいから時間がほしい」といって、山口氏が作成した説明分を読んでもらった。看護婦は「こんな大事なものを読ませていただいたのに、私にはして差し上げることが何もない」と涙ながらに謝るのであった。辻本氏は「あなたに何かしてほしいわけではない、あなただから聞いてほしいの」と思いのたけを全部吐き出したそうです。何故その看護婦なのかを考えると、心のこもった看護をする人だったから、患者は伝えたい医療者を選択しているのだ。辻本が手術を終えて退院したのは同年の夏である。自宅療養に入ってから辻本氏の気持ちに激しい動揺が生じ始めました。あまりに激しい感情の発言に山口氏も苦しみました。COMLを継承発展させるには山口氏しかいない、自分はまだまだやりたいことがいっぱあるのに、その葛藤に引き裂かれているのでした。「あれだけ人に嫌な面を出さない辻本があそこまでマイナス感情をぶつけてきたのは、とことん私のことを信頼していたからだ」と思えるようになったのは、辻本氏の死後2年たってからのことです。

(続く)