ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 軽部謙介著 「官僚たちのアベノミクスー異形の経済政策」 岩波新書(2018年2月)

2019年08月09日 | 書評
初穂

アベノミクスはどのように政策として形成されたか、官僚たちの流儀 第6回

第2部) 2012年12月ー2013年1月 アベノミクスの誕生 (その1)

2-1) スタートダッシュ

12月26日第2次安倍内閣の顔ぶれが決まった。予想通り首相安倍晋三、副総理兼財務大臣麻生太郎、官房長官菅義偉、経済再生担当相甘利明、経産大臣茂木敏充らであった。記者会見では安倍は、「内閣の総力を挙げて、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略、この3本の矢で経済政策を進めてまいりますと、」始めて「三本の矢」が公言された。閣議において「日本経済再生本部を全閣僚メンバーとして立ち上げる」と言った。マクロ経済運営全般については経済財政諮問会議で検討し、成長戦略の実現については日本経済再生本部に産業競争力会議を置いて検討する」と言って全閣僚に発破をかけた。閣議を終えた安倍は内閣官房参与への辞令交付を行った。官邸と各省の調整役として財務省元事務次官の丹呉泰健、飯島勲、金融政策の助言者本田悦郎、土建公共工事による積極財政論を説く京大教授の藤井総、エール大学のリフレ派教授浜田らを内閣参与とした。本田悦郎の役割は経済問題の対応方針の相談役と、経済理論学者浜田の考え方を政治的に言い直して安倍に伝える役割であったという。安倍内閣の発足後二日目12月27日に臨時閣議が開催され、大型補正予算と本予算の編成方針を決めることであった。補正予算は通常新たな国債発行を伴わないものだが、安倍首相は「公債発行も含めて必要な財源を確保する」というものであった。金融政策に加えて大規模な規制緩和、長期資金に対する政策金融の強化を行う。ばらまき補正予算はそもそもそも自民党政権にとって御家芸であった。内閣官房幹部は経済再生担当相甘利明と会って、再生本部に必要な官僚の人材の名前を挙げて要請してほしいという内容の議論をした。そして正月返上で内閣府と再生本部の事務局は1月11日の経済対策発表に向けて作業を加速した。1月3日内閣府で緊急経済対策のとりまとめをしていた制作統括官石井裕晶のところに、財務省金融庁の総括審議官森信親がやってきて「年金積立金管理運用独立行政法人」GPIPの問題をアジェンダに入れるべきだと要請した。GPIPは2012年12月末時点で焼く112兆円の資金を持っていた。それを低金利の国債だけで運用していていいのかという問題提起であった。資金を効率的に運用して経済を活性化する観点から内閣府は受け止めた。再生本部の赤石局長(経産出身)がこの問題の担当となった。内閣官房参与の丹呉泰健や飯島勲は小泉首相時代から経済財政諮問会議の面倒を見てきたが、この諮問会議は民主党政権時代は機能せず、諮問会議の再活性化を熟慮してきた。内閣府としても諮問会議、競争力会議、規制緩和会議、総合科学技術会議などを総合的に動かす仕組みについて、内閣官房参与の丹呉泰健がヘッドとなって検討会議を開催していたという。

(つづく)