ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 軽部謙介著 「官僚たちのアベノミクスー異形の経済政策」 岩波新書(2018年2月)

2019年08月13日 | 書評
スプレー菊

アベノミクスはどのように政策として形成されたか、官僚たちの流儀 第10回 最終回

第3部) 2013年2月ー21013年7月 日銀の異次元金融緩和(その2)

3-2) 異次元へ

政策が実行されるときは必ず官僚機構チウフィルターを通過する、彼らは省益をかけて政策の加えたり引いたりするのは日常のことである。アベノミクス第3の矢である規制緩和を中心とした成長戦略の主戦場となったのは、2006年に誕生した年金積立金運用管理独立行政法人GPIFをテーマとした厚生労働省包囲作戦であった。2013年1月このGPIFの持つ厚生年金運用資金の活用を巡って、金融庁と内閣官房、そして厚労省の激しい駆け引きである。金融庁の森信親総括審議官は米国の資産運用術を見て、内閣府に経済対策にこの問題を加えてほしいと要請した。内閣官房の日本経済再生本部総合事務局もこの問題に注目した。その中心人物は経産省出身の赤石で、佐々木豊成副長官(財務省出身)の下で成長戦略を練ることが任務であった。その中で公的資金の活用に注目していた。100兆円を超える資金が国債だけで運用される規制に問題を見出した。しかしGPIFの親組織は厚労省であり、金融庁は所管外だといわんばかりの排外意識を持っていた。自分の管轄、しかも莫大な金の管理権を侵されたくなかった。再生本部の飯塚厚(財務省出身)も加わり、赤石らは金融庁と協議した。内閣官房には力を裂くほど人がいないので、金融庁が人材提供を引き受けてくれるなら、厚労省と折衝するというつもりであった。そこで産業競争力会議を舞台とする駆け引きが始まった。厚労省年金局は年金積立金を資金運用部で運用していた。つまり財投金利であった。これまで国内外の債権・株でポートフォリアを組んだ運用である。2012年12月では約60%が国債運用比率であった。2013年1月11日の緊急経済対策会議で、公的資金の高度な運用・リスク管理の構築を目指して検討することになって、GPIF問題は次第に具体性を帯びてきた。1月23日の産業競争力会議が開かれ、麻生は「眠っている公的年金・共済などの運用を見直す」と宣言した。6月にまとまる予定の「日本再興戦略」にこの問題をどこまで練り上げるか課題となった。これに対する否定的な見方も金融界では存在する。もしデフレ脱却ができたなら国債価格は下落しGPIFは含み損が生じる。また円安によって株価が上昇したが、株を買っていたのは海外投資家である。GOIFは外資が売ろうとした日本株を買い支える役割を負わされる。アベノミクスの虚構を支えるために公的年金が材料にされるという意見も多い。そもそも年金の運用は「加入者の利益」にならないといけないし、他の目的に使われるのは御法度である。はかどらないせめぎあいを打開するため、4月に金融庁の総合企画室長だった油布志行に「内閣官房日本経済再生総合事務局参事官」の意辞令が出た。つまり金融庁と内閣官房が一体化してことにあたるという人事上の奇策であった。5月14日最後の山場を迎えた。日本経済再生本部総合事務局次長の飯塚厚と厚労省年金局の香取との会談が行われた。香取は最終的に「有識者会議」の設置に同意し、問題は内閣官房の手に移った。こうしてGPIFの運用は改変され、国が株を買う資金を提供することが可能となった。民間の機関投資家がやるべき仕事を国がやることは、意識的な株操作に介入することになる。
2013年3月大蔵省財務官からアジア開発銀行総裁ADBを務めていた黒田東彦氏が、第31代日銀総裁に就任した。本書の著者は黒田氏に日銀総裁就任について、いきさつや背景については何も知らなかったようだ。本書の経過では黒田氏のことは全く登場せず、最後になっていきなりポンと黒田氏就任が出て来るのだから、驚く。黒田氏は大蔵省現役時代、主税局、国際金融局、国際経済背策を統括する財務官を務めた後ADB総裁になった。リフレ派の一人で、デフレはマネーの現象という主張の持ち主であった。副総裁にはリフレ派の教祖で学習院大学教授岩田規久男氏、日銀理事であった中曾宏氏が選ばれた。そして金融政策の実務を取り仕切る理事には、日銀企画畑の雨宮正佳氏、国際担当理事は門間氏となった。黒田氏は「市場の期待に働き書けることが不可欠、2%の物価安定目標は国債標準、目的達成は2年がいい」というリフレ派の主張を国会答弁で述べた。黒田と岩田氏は物価目標である2%の達成時期は2年という具体的な年限に触れたが、中曾氏は年限には触れなかった。3月18日、日銀の新体制がスタートした。事務局では金融政策のモデルをシュミレーションする作業が実施された。金融政策は「オペレーション」という金融市場操作で、何を目標として作業を進めるかを「誘導目標」という。白川日銀総裁時代の最後の誘導目標は「無担保コールレート(一夜もの)」という極めて短期の市場金利であった。黒田新体制では誘導目標をマネタリーベースに変更した。マネタリーベースが年間60-70兆円というベースで増加するよう金融市場調節を行うことになった。マネタリーベースとは支柱に出回っている貨幣と各銀行が日銀に持っている当座預金残高の合計のことを言う。経済理論においてもマネタリーベースが基本であった。この操作で市場にが大きな衝撃が走るであろう。「心理を変える」、「期待に働きかける」が日銀の新たなキーワードとなった。日銀審議委員の木内登英氏は「2%に根拠はない、2%が国際基準というわけではない」と割り切っていた。4月4日金融政策決定会合において、誘導目標をマネタリーベースで60-70兆円の増加目標は決定された。期限は「2年を念頭に置いて、出来るだけ早期に達成する」という妥協的表現となった。木内審議委員は「2%の物価安定目標を2年程度の期間に達成することは大きな不確実性があり、金融面での不均衡形成につながりかねないので、2年を集中対応期間とする」案を提案したが否決された。また審議員の何人かは「サプライズ効果」を口にして賛成した。今回の異次元金融緩和策の決定に市場は敏感に反応した。長期金利が0.425%に上がり、株価も上昇した。円安傾向は輸出産業の差益利潤を上げ、株価は上がったと官房長官の菅氏は自信を示した。しかし現実は物価上昇は2%に達することなく、実質賃金は上がらず、格差も解消しない。こうした無制限金融緩和政策にともなう矛盾が徐々に表れて来るのは、すぐ後のことである。

(完)