ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート サイモン・シン著 青木薫訳 「フェルマーの最終定理」 (新潮文庫2006年6月)

2019年01月17日 | 書評
17世紀フェルマーによって提示された数学界最大の難問 第5回

2) 数論 (その2)

数論の領域でユークリッドに匹敵する業績を上げたのはアレクサンドリアのディオファントスの「算術」である。AD250年ごろのアレクサンドリアの人であった。全13巻のうち半分が中世を生き延びてルネッサンス期の数学者に多大な影響を与えた。アレクサンドリアはユークリッドからディオファントスの数世紀間、文明世界の知的首都であった。しかしAD389年キリスト教の皇帝テオドシウスによって破壊され、AD642年征服したイスラム教国によってわずかに残っていた図書館は灰燼に帰した。それから千年近く西洋の数学は沈滞し、その燈火はアラビアやインドで受け継がれた。インドでは数学にゼロという新しい要素が数に加わった。またアラビア数字は計算に便利で広く普及し、ゼロと併せて位取りや計算が非常に容易になった。10世紀になってフランスではスペインのムーア人からこの記数法を学び、西洋に広く伝わった。西欧の数学にとって一大転機となったのは1453年のオスマントルコによるコンスタンチノープル掠奪によって、アレクサンドリから避難してきた書物がまた破壊の危機にさらされた。「算術」の貴重な数巻が西欧へ避難し、デイファントスはフェルマーの机上に登ることになったのである。フェルマーは特定の数学者の影響を受けたという記録はないが、ディオファントスの「算術」がフェルマーを導いた。フェルマーが読んだ「算術」は1621年出版のガスパール・パシェのラテン語訳であった。フェルマーは「算術」の本の余白に、論法やコメントや自分の発見したもっと難しい問題を走り書きをした。フェルマの発見した「友数」という数の問題がある。ピタゴラスの「完全数」と深い関係にある数で、一方の約数の和が、片方の「数の約数の和になるという関係である。たとえば280の約数は1,2,4,71,142でその和は220であり、220の約数は1,2,4,5,10,11,20,22,44,55,110でその和は284である。284と220は友数と呼んだ。ピタゴラス教団は(220、284)しか友数を発見できなかったが、フェルマーは(17296,18416)を発見した。後にデカルトは(9363584、9437056)を発見し、そしてオイラーは何と62組の友数を発見した。20世紀になってこの数論の延長で「社交数」という数の組が発見された。一番目の数の約数の和が2番目の数になり、2番目の数の約数の和が3番目の数になり、3番目の数の約数の和が一番目の数となるというループの関係である。この数の問題(お遊びに近い)はそれほど深い話ではなく他の分野への影響もなかった。ディオファントスは「不揃いの三角形」を構成する3つ組の数について述べている。2つの短辺の値が1しか違わないピタゴラスス数である。無数にあるが中でも(20、21,29)は20^2+21^2=29-2というピタゴラスの定理を満たす数である。この数の組が無数に存在することはユークリッドが証明したことは上の「ユークリッド・ジオファントスの方法」によるリストに示した通りである。フェルマーはピタゴラスの方程式x^2+y^2=z^2を見ている時、突然z^3+y^3=z^3を思いついた。これに解があるのだろうか。もっと一般にはx^n+y^n=z^n (n≧3)の解を求める問題である。そして「算術」の余白に「ある3乗数を2つの3乗数の和で表すことは不可能である」そしてさらに「私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここには記することはできない」と書いた。この思わせぶりな書き方がフェルマーの真骨頂である。1665年1月12日フェルマーは亡くなったが、フェルマーの書き込みは誰に読ませるために「書かれたわけでもないので、あやうく永遠に失われる運命にあった。長男のサミュエル・フェルマーが5年の歳月を費やして「算術」への書き込みを整理して、1670年「フェルマーによる所見を含むディオファントスの算術」を刊行した。そのメモの確証を取る作業は後世の数学者の宿題となった。18世紀最大の数学者オイラーは「素数定理」の証明に取り組んだ。素数は約数を持たない数で、4n+1,4n-1で表される数である。フェルマーの素数定理とは4n+1で表せる素数は常に2つの2乗数の和となり、4n-1で表される素数はそうは表せないという。オイラーは1749年この素数定理を証明した。フェルマーが遺した定理のどの一つにも厳格な証明がなされなければならない。定理こそは数学の土台である。なぜなら一度証明されればその上に安心して他の定理を築くことができるからだ。フェルマーの定理も万人が納得できる方法で証明されなければ「フェルマーの最終予想」と呼ばれる。証明ができていない問題は多数ある。」「リーマン予想」もそうである。

(つづく)