ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 青山弘之 著 「シリア情勢ー終わらない人道危機」 (岩波新書 2017年3月)

2019年01月09日 | 書評
「独裁政権」、「反体制派」、イスラム国が入り乱れ、米国やロシアなど外国の介入によって泥沼化 第7回

5) 「シリアの友」グループの干渉 「テロとの戦い」 (その1)

2013年夏の化学兵器使用疑惑事件は米国のシリア政策に転換をもたらすものであった。しかしアサド政権の賢明な対応によって、もはや化学兵器使用問題はシリアの友グループ中でも米国による干渉の有力な手段では無くなり、逆にアサド政権にシリアにおける唯一の正統な代表としての存続理由を与えた。次の転換点となったのがシリア内戦の第5局面「アル・カイーダ化」による「テロとの戦い」であったと言える。シリアの友グループはアサド政権に代わる有力な「反体制派」を見つけることができなかった。そこでシリアの友グループは政権の打倒そのものを目指すのではなく、「反体制派」の育成から始め、反体制派の劣勢を打開する勢力バランスの変化をめざ明日という控えめな戦略をとった。この戦略を取らざるを得なかった理由のひとつが、2012年6月に国連主催で行われたジュネーブ会議である。この会議にはシリアの友グループから米国、英国、フランス、クウェート、トルコが参加し、これに対抗するロシア、中国、イラクが参加した。ジュネーブ合意はシリア内戦を平和的対話と交渉のみによって解決すると決め、軍事的な決着を否定した。そこでシリア政権側、反体制派、それ以外の組織によるメンバーから構成される移行期統治機構を当事者の創意でのもとで発足させるという政治移行プロセスの存続を是認した。国民対話による憲法改正投票によると定めた。この時点でアサド政権排除は放棄され、アサド政権の存続は既定路線となった。反体制派の育成はシリア国民連合の結成でこれを国民の唯一の代表にするという戦略であった。シリア国民連合の暫定内閣構想は有効に機能しないまま無力化した。米国がヌスラ戦線を外国テロ組織に指定したことで欧米諸国はイスラーム過激派を警戒をした。しかしイスラーム過激派の武力の前には弱体の「反体制派」は対抗できなかった。そこでシリアの友グループは「穏健な反体制派」として最初はシリア国民連合を後押しした。のちに過激派を除く武装集団である自由シリア軍を自称する「反体制派」を支援することになった。しかしイスラム過激派と共闘する自由シリア軍が穏健であるはずがなく、サウジアラビアはアル・カイーダ系譜の石ラーム過激派への支援に躊躇する一方、シリアムスリム軍の台頭を懸念しておもにイスラーム軍を支援した。ところがトルコ、カタールはイスラーム過激派(ヌスラ戦線ら)を積極支援した。このようにシリアの友グループ内でも認識や温度差は顕著でありとても一枚岩とはいえないし、対応もまちまちなのである。しかしシリアの友グループの反体制派支援は、アサド政権を退陣に追い込む軍事バランスの変化をもたらさなかった。それはアサド政権が強かったというよりも、シリアの友に対する反発からロシア、イラン、レバノンのヒズブッラーの後援の力が抵抗したというべきである。アサド政権の支配地域は縮小したままで、首都ダマスカス、アレッポ市、ラタキア市、ヒムス市、ハマー市など政治経済の中心地域だけを死守するに過ぎなかった。この膠着状態の打開のために考えられたのが2013年8月の化学兵器使用疑惑事件であった。それは米国とロシアのジュネーブ合意による政治秩序形成を促した。2014年1月国連主催でジュネーブⅡ協議が行われた。

(つづく)