ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 青山弘之 著 「シリア情勢ー終わらない人道危機」 (岩波新書 2017年3月)

2019年01月05日 | 書評
「独裁政権」、「反体制派」、イスラム国が入り乱れ、米国やロシアなど外国の介入によって泥沼化 第3回

2) 「独裁政権」アサド大統領の素顔

「アラブの春」の正義において、アサド大統領は廃絶されるべき独裁者「悪」としてレッテルを張られてきたが、しかし未曽有の混乱の中でも同政権は崩壊せず、シリア内戦の主たる当事者として存続した。そこでバッシャ―ル・アサド大統領の「独裁政権」とはどのようなものか、振り返ってみよう。バッシャ―ル・アサドは、30年間にわたってシリアの絶対的指導者として統治したハーフィズ・アサド前大統領(1930-2000年)の次男として1965年に生まれた。父ハーフィズはバアス党に入党し空軍士官となり1963年のバアス党政権掌握クーデタに参加し1970年に全権を掌握した。権力闘争に明け暮れた政治的に不安定な弱小国シリアを中東第一の安定した強い国家に躍進させた。四男一女の兄弟で、長男のバースフィルは後継者と見なされ、大統領治安局長という要職について支配下にあったレバノンの政務を担当した。1994年長男バースフィルが交通事故で不慮の事故で死亡すると、次男バッシャ―?の人生は変わった。はじめは医師を目指してロンドンに留学して帰国後後継者の道に進んだという。バッシャ―ルは強さと同時に政治手腕に優れ、進歩国民戦線という翼賛会的な与党連合を結成し、政治的諸派をバース党の同盟者にした。外交的にはレバノンのヒズブッラーやパレスチナ諸派を支援してイスラエルに対抗した。1990年代には冷戦後の欧米諸国との経済関係を改善し、レバノンを実効支配した。政治的権謀術数に優れたバッシャ―ル・アサドは2000年の父の死に伴って34歳で大統領の権限を引き継いだ。軍総司令官にも就任した。こうして父ハーフィズの権力移譲は混乱なく行われ、社会の安定を損なう勢力は現れなかった。この辺りは北朝鮮の金一族の権力継承とよく似ている。開明的なイメージの強かったバッシャ―ル大統領は、近代化、ハイテク化の旗手として多角的な改革に着手した。2005年のバアス党大会で改革政策が打ち出され、非常事態令の見直し、政党法の制定、情報法、出版法の改正、選挙制度改革、クルド人の権利回復、社会的市場経済の導入が図られた。しかしシリア強権支配の根幹には改革は触れなかった。アサド一族支配は腐敗の権化として非難を浴びた。宗教的にはアラフィー派独裁と反体制派もスンナ派の対立の構図は当たらない。人種的にはアラブ人が90%で、クルド人が8%で、宗派の分布はスンナ派が76%、アラフィー派は12.5%に過ぎない。権力中枢はアラフィー派の教義に基づくわけではなく、シリアの政治が特定の宗教の教義のみに基づく排他主義に陥ることはなかった。2011年の「アラブの春」の混乱は抗議デモをアサド政権が弾圧したことが直接の契機であった。しかし同時にアサド政権はデモの要求に応じるべく「包括的改革プログラム」という上からの改革に着手した。1973年に定められた憲法は、バアス党を「国家と社会を指導する政党である」と定め、前衛党として超法規的な国家運営が認められていた。一連の「包括的改革プログラム」は、2011年4月から8月にかけて制定されたが、2005年の改革の深化を約束したものであった。2014年の大統領選でアサドは89%の支持を得て信任され、新憲法を公布した。バアス党の独裁を改め、政治的多元主義を採用した。5月には人民議会選挙が行われ、バアス党は議席を増やした。2014年の大統領選挙では複数の候補者が立候補したが、アサド大統領が88%とという圧倒的多数で再選を果たした。こうして「政権交代なき体制転換」という政治移行が行われた。しかしアサド大統領は2012年6月「テロ撲滅三法」を制定し、治安維持強化を図った。

権力には表向きの顔と内向きの顔があり、これを「権力の二層構造」と筆者は呼んでいる。バッシャ―?・アサド大統領が継承したシリアの政治構造は、内閣や人民会議といった法的・制度的枠組みの中で権力を行使する「公的」な政治主体と、こうした枠組みを越えて権力を行使する「非公的」な政治主体が密接に組み合わされて機能している。しかし公的な政治主体が行使する権力は、体制に民主的・多元的な様相を与える「表向きの権力構造」に過ぎなかったようである。これに対して非公式な政治主体は法の枠組みを越えて独断的に政策決定を行い、その主な担い手とは軍と「ムハーバラート」と呼ばれる治安当局であった。「包括的改革プログラム」はこうした憲法の例外規定を廃止し、裏の権力装置の関与を抑制するはずであったが、シリア内戦によって表向きの名目的な権力機構が弱体化・形骸化し、テロとの戦いの担い手となった軍・治安当局に加えて、「大統領・権力機構に直結した腐敗した権力」(ビジネスマン)や「人民防衛組織」など新たな権力に担い手(第三層)が登場した。彼らは法的根拠がないにもかかわらず、大統領との個人的関係を利用して政策決定に大きな影響力を発揮した。第三層の「ビジネスマン」とは政権高官の子息をの隠語で、政権の庇護の下で投資・貿易事業で莫大な利益を得ている。その筆頭がラーミー・マフルーフで「シリア開発信託」に拠って既存の政治権力を財政面で支援してきた。「シャッビーハ」とは武装犯罪組織の隠語でアサド大統領の叔父が結成したマフィア組織だが、地中海地域で密輸、麻薬、人身売買にかかわっている。その数は2万人から10万人といわれるが実態は分からない。「人民防衛諸組織」とは国防隊や人民諸委員会といった親政権武装組織をさす。予備部隊ともいわれる。内戦以前のシリア軍は常備軍32万人、予備役35万人であったが、内戦後の2013年には常備軍は17万人に減少し、離反兵が相次いだ。非正規の武装組織「国防隊」はアサドの甥のハラール・アサドが設立した。「シャッビーハ」から豊富な資金を得て2013年には10万人を要するともいわれている。「人民諸委員会」とはアラブ諸国でよくみられる地域・職場の民兵組織であり、アラブの春当初には抗議デモの弾圧や治安維持活動に参加した。こうした民間武装集団が雨後の筍のように輩出し、小規模軍閥のような離合集散を繰り返している。シリア内戦によって中東随一の「強い国家」だったシリアは、弱い国家に転落した。無数の「参加型暴力装置」(軍閥)が紛争という異常事態の中で国を分裂させた。

(つづく)