ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 青山弘之 著 「シリア情勢ー終わらない人道危機」 (岩波新書 2017年3月)

2019年01月07日 | 書評
「独裁政権」、「反体制派」、イスラム国が入り乱れ、米国やロシアなど外国の介入によって泥沼化 第5回

4) 「反体制派」の諸勢力 (その1)

シリア内戦が軍事化の様相を強め、シリア国内は混乱の泥沼に陥った。ここでいう「反体制派」とは独裁政権に対して武力で立ち向かう自由シリア軍、革命家、フリーダム・ファイターと認識されることが多い。しかし反体制派をカッコつきで表現しているのは、シリア内戦の第5の局面である「アル・カイーダ化」を見えなくする言葉であるからだ。アル・カイーダがはたして反体制派なのか、外国勢力によるシリア乗っ取りなのか、いまだ判別できないからである。「アル・カイーダ化」は軍事化の背後で進行していた。アル・カイーダの指導者であるアイマン・ザワーヒリが2012年2月に声明を出し、シリア政権を世俗的宗派体制と指弾し、周辺諸国のイスラム教徒にシリアの同胞を救済すると呼びかけた。つまりアル・カイーダはシリア国家を破壊し、イスラーム原理主義国家を樹立するということである。シリア国内ではアフガニスタン、イラクなどの外国人やシリア過激派が、シャームの民のヌスラ戦線の名で活動を本格化させていた。2012年指導者のムハンマド・ジャウラーニーがヌスラ戦線の結成を宣言し、シリア北部で爆弾テロ、要人暗殺の犯行声明を出した。イドリア県、アレッポ県、ハマー県などでシリア軍事基地を攻撃し支配地区を拡大した。2012年12月米国務省はヌスラ戦線をイラク・アル・カイーダと登録し、外国テロ組織FTOに指定した。国連も2013年5月ヌスラ戦線をアル・カイーダの別名として制裁リストに登録した。しかし欧米諸国はイスラーム過激派の活動がシリア国内に限定されている限り、反体制派と見なして放置していた。欧米諸国が「アル・カイーダ化」への対応に本腰を入れるようになったのは、イスラーム過激派の活動が国境を越えてイラクに及ぶようになってからであった。2013年4月にイスラーム国の指導者バグダーディーが、ヌスラ戦線はイラク・イスラーム国の延長であってその一部に他ならないとしたうえで、両組織を統合して「イラク・シャーム・イスラーム国」ISISを名乗ると宣言した。当のヌスラ戦線の指導者ジャウラ―二―は両組織は異なるとしたうえで、シリアではヌスラ戦線の名で活動を継続すると声明を出した。「イラク・シャーム・イスラーム国」はラッカ市から「反体制派」から追い出して、同市を首都と位置付けた。アル・カイーダ指導者ザワーヒリは両組織の調整を行ったが、「イラク・シャーム・イスラーム国」Iはこれを拒否したので2014年2月ザワーヒリは「イラク・シャーム・イスラーム国」を除名した。2014年1月より「イラク・シャーム・イスラーム国」はイラクでの活動を活性化させ、6月イラク第2の都市モスルを完全制圧しカリフ制の樹立を宣言し、組織名をイスラーム国ISに変更した。シリアで活動していたイスラーム過激派はヌスラ戦線とイスラーム国ISだけではなく、シャーム自由人イスラーム運動、ジュンド・アクサ―戦線、ムハージリーン・ワ・アンサール戦線、ムハンマド軍、イスラーム軍、シャーム軍団なる組織が次々と結成された。2015年以降シャーム自由人イスラーム運動はアル・カイーダとの関係を否定し「フリーダム・ファイター」をアピールするようになった。シャームの鷹旅団など自由シリア軍を名乗る「反体制派」を次々吸収統合した。乱立するイスラーム過激派の共通点をあげると、その多くが共通の起源を持ち、外国人が主導的な地位を占めていることである。また組織・個人の所属が極めれ流動的であることである。さらに連合組織結成や共同戦線設置を通じて共闘したことである。

(つづく)