ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 青山弘之 著 「シリア情勢ー終わらない人道危機」 (岩波新書 2017年3月)

2019年01月06日 | 書評
「独裁政権」、「反体制派」、イスラム国が入り乱れ、米国やロシアなど外国の介入によって泥沼化 第4回

3) 「人権問題」からの逸脱

米国、サウジアラビア、トルコ、カタールなどからなる「シリアの友」グループ諸国の内政干渉は、「人権」に基づいて自己正当化されてきた。シリア紛争の責任の一切がアサド政権、支援国であるロシア、イランにあるという見解は、徐々に行き詰まりを見せ、シリアの友グループもシリア内戦の泥沼に引きずり込まれていった。この章では次の3点からシリアでの人権問題の実態を検討してゆこう。
① 「人道危機」の被害実態 :2011年シリア国内に散発的に発生したデモ隊に、政権は戦車、ヘリコプターで弾圧し、自由シリア軍の反体制派の解放区をミサイル、白リン弾といった兵器で攻撃した。しかしシリア内戦はどの局面でも世界世論向けの情報戦としての性格が強く、あらゆる情報が政治的に操作されている。その最たる例がシリア内戦の被害とりわけ死者数の統計データにある。シリア政策研究センターが2016年2月に発表した報告書によると、2015年までに47万人が死亡し、1000万人が国内外で避難生活を余儀なくされたというものである。欧米諸国や日本で犠牲者数の典拠となるデータはシリア人権ネットワークとシリア人権監視団という反体制派NGOのデータが用いられる。シリア人権ネットワークは反体制派支配地域のみを調査対象とし、その死者はすべて政府側の攻撃による死者とされている。これに対してシリア人権監視団のデーターはシリア内戦の暴力が双方向的なものであるとして、陣営別に分類せず、2016年までに民間人の死者が半数を占め、戦闘員の死者の2/3はアサド側の死者であるとした。また民間人という項目を「民間人と反体制派戦闘員」に分け、死亡した民間人に占める武装民間戦闘員の数は1/3以上とした。2016年9月では、総死者数約30万人、民間人はその半数で、武装した民間人は1/3、武器をもたない民間人は2/3とみた。そういう意味では純粋の民間人死者数は10万人となる。国外難民は国連難民弁務官事務所によると、2012年に10万人、2013年には200万人となったという。国内難民は国連人道問題調整事務所発表によると、2012年の70万人、2014年に700万人になったという。それ以降は国内難民は増加していない。ドイツに逃れた国外難民890人のアンケート調査によると、命を脅かされた原因はアサド政権側と「反体制派」の双方による暴力である。善悪の見方によるのではなく、暴力は双方向的である。「国際問題化」、「アル・カイーダ化」以降においては特にそうである。アメリカ側からロシア側からミサイルが発射され、住民は逃げまどって被害を受けているし脅威とみている。
② シリアの友グループの支援実態 :シリアの友グループの内政干渉はアラブの春以降直ちに開始された。治安当局の弾圧を非難し、「民主化」を声高に叫ぶくらいで実効性のある措置は取られなかった。EUとトルコは2011年9月からシリアに対する金融制裁、石油禁輸措置、サウジアラビアやカタールはシリアへの投資を禁止し在外資産を凍結した。その時にはシリア内戦は「軍事化」となり戦闘が主要な局面打開策になっていた。国連においてはロシア、中国が安保理の決議案に悉く異を唱えた。拒否権によって欧米諸国の直接介入を阻止した。シリア国民連合や自由シリア軍は欧米の意向を歓迎し支援を獲得する方向に動いたが、欧米諸国は東アラブの不安定化を回避する負担を覚悟することに躊躇し、かつイラクの石油に相当するシリアの旨みがないため軍事力行使などの費用対効果は低いとみていた。しかしシリアの弱体化はイスラエルに対する安全保障上の脅威は軽減したことに、欧米は満足していたのだろうか。
③ 化学兵器使用疑惑 :欧米諸国はシリアの弱体化が東アラブ地域の安全保障の維持では一定の成果を得たが、「人権」だけではシリアの混乱を拡大再生産するには不十分であった。そこで持ち出されたパラダイムが2013年8月「化学兵器使用疑惑」であった。2013年に入るとシリア政府軍とヒズブッラー部隊は反転攻勢に転じ、ヒムス県クサイル市を奪還した。反体制派の攻勢は鈍化し、激しさを増したのが情報戦であった。化学兵器や有毒ガスが使用されたという噂が頻繁に流れるようになり、シリアの友グループはアサド政権の非人道ぶりを強調宣伝した。米国は4月30日にアサド政権による化学兵器使用を確認できれば、軍事介入すると公約した。その先手を打ってアサド政権は化学兵器を使っているのは反体制派であると主張し、3月国連に化学兵器使用の実態調査を要望した。米国のオバマ政権は及び腰になり、アサド政権打倒から化学兵器使用阻止のための空爆に限定され、米英仏の姿勢はシリアへの直接軍事介入を回避するものにすり替わった。同年9月アサド政権は化学兵器禁止条約に加盟し、シリア国内での化学兵器全廃に向けた行程に合意した。化学兵器禁止機関と国連調査団の査察を受け入れ、2014年度までに化学兵器全廃を目指す国際約束を行った。この合意は安保理決議に採択された。こうした国際合意はシリア内戦を地上戦で有利に展開しようとするシリア国民連合を一気に不利な立場に追いやった。アサド政権は一見米国の要請に従った形であるが、シリアを代表する正当な代表として認められたことになり、欧米諸国はアサド大統領の支配を黙認したことになった。2014年6月までに化学物質570トンは移送され廃棄された。2015年1月化学兵器禁止機関は廃棄を完了したと声明を出した。2013年12月の国連調査団の最終報告書では、シリア軍と「反体制派」双方が化学兵器を使用した可能性が高いと結論した。2014年度以降になるとイスラーム国が台頭し、化学兵器私用の最有力容疑者として注目されると、アサド政権へのパッシングは勢いを失った。2014年5月化学兵器使用非難も塩素ガス使用疑惑に矮小化された。米国オバマ大統領は塩素ガスは歴史的に化学兵器ではないという立場から重要視しなくなった。

(つづく)