アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記50・ブレーキとアクセル・「加害者ではなかったか」・靖国抗議見せしめ弾圧

2019年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

☆ブレーキとアクセルの踏み間違い

 高齢者運転の自動車事故は他人事ではない。被害者はもちろん、わずかな不注意で加害者になれば、一瞬で人生が暗転する。高齢者事故の多くは「ブレーキとアクセルの踏み間違い」と報じられる。この言葉を何度聞かされたことだろう。

 自動車業界、そして政府(国交省、経産省)は、「ブレーキとアクセルの踏み間違い」にいったいどのような対策をとってきたのか。抜本的な対策はとられていない。今日の科学・技術を駆使すれば「踏み間違い」を車体の構造的に防止することは不可能ではないはずだ。

 公共交通を次々に廃止し、自動車がなくては生活できない「自動車社会」をつくりだして自動車業界をぼろもうけさせておきながら、頻発する事故への対策はとらない。自動車業界と政府の癒着・責任放棄は言語道断だ。人はいくら注意してもミスを犯す。それを防止し、影響を最小限に抑えるのが企業の社会的責任であり、政府の義務ではないのか。

 自動車企業は「史上最高〇兆円の利益」と浮かれたり、内紛に明け暮れている場合ではない。政府はリニアモーターカーにうつつを抜かしているときではない。ただちに全力を挙げて、「ブレーキとアクセルの踏み間違い」への抜本的な対策を取るべきだ。

 ☆「加害者ではなかったか」の問いかけ

  ハンセン病の国家賠償訴訟で画期的な勝訴を勝ち取った熊本地裁判決(2001年)。その原告(元患者)弁護団長で、いまは同家族訴訟の弁護を務めている徳田靖之弁護士が、5月12日放送のEテレ「こころの時代」で話していた。
 学生時代から底辺の生活にあえぐ人々に接し、自らの立ち位置を常に見つめながら、原告(元患者ら)に寄り添い、政府とたたかってきた素晴らしい弁護士だ。

 徳田さんは熊本判決の2年後に起こった「ホテル宿泊拒否事件」を例に、「差別をつくっているのは国だが、直接の加害者は隣近所の一般市民だ」として、こう語った。

 「一般市民が自分たちの加害性をどれだけ認識できるかがカギを握っている。自分はハンセン病をどう考えてきたか、どうかかわってきたか、何か知ろうとしてきたのか。『自分は加害者ではなかったか?』『あなたは加害者ではなかったですか?』。その問いかけがとても大切です」

 ☆靖国抗議見せしめ弾圧事件と私たち

 「人質司法」として日産・ゴーン元会長の長期勾留が報じられることは多いが、私たちが「ゴーン問題」と同様に、いや、それ以上に知らねばならない不当な長期勾留がある。

 日本帝国陸軍による南京大虐殺のメモリアルデー(1937年12月13日)前日の昨年12月12日、靖国神社外苑で、「南京大虐殺を忘れるな 日本の虐殺の責任を追及する」と書かれた横断幕を掲げて抗議活動を行った香港人男性と、それを取材していた香港人女性記者が不当逮捕された事件だ。
 2人は不当逮捕から5カ月以上たった今も勾留されている。しかし、この事件自体、そしてその後の経過を知る日本人は少ないだろう。日本のメディアが無視しているからだ。

 2人の逮捕・起訴はたんに不当なだけではない。彼らはわれわれ日本人が本来やらねばならない抗議活動を、われわれに代わってやってくれたのだ。それに対し、日本の国家権力は2人を逮捕・起訴することによって、南京大虐殺の史実を隠ぺいし、抗議活動を抑止しようとした。明らかな見せしめ弾圧事件であり、国家権力の狙いは日本の「一般市民」の支配だ。

 メディアのせいにして「知らない」「知らなかった」ではすまされない。われわれは自らに問いかける必要がある。「自分はこの事件を知ろうとしたのか、南京大虐殺の歴史を知ろうとしてきたのか。自分は加害者ではないか?」


この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 丸山議員に対する「辞職勧告... | トップ | 白鵬の「日本国籍取得」と天皇制 »