アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記51・虐待死と「子どもの権利条約」・裁判員と死刑制度

2019年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆虐待死と「子どもの権利条約」

 子どもの虐待死が後を絶たない。表面化するのは文字通り氷山の一角だろう。命を落とさないまでも日常の虐待でどれだけの子どもが死の苦しみにあえいでいることか…。
 これは、われわれ大人全員に突きつけられている緊急・最大の問題だ。
 虐待・いじめ防止法などでは何も変わらない。国家権力の強化は解決に逆行する。何が必要なのだろうか。

 沖縄民間教育研究所の機関紙「共育者」最新号(第20号)は、「心愛さん(小4)をどうして救えなかったのか」という長堂登志子所長の論考とともに、教育評論家・大田堯氏(2018年12月23日逝去。私と同郷、広島県三原市出身)の論考を掲載している(「子どものしあわせ」3月号からの転載)。
 タイトルは、「来るべき生命尊重最優先の世紀を拓く―日々のこどもたちとのつきあいの中に、子どもの権利条約の精神を生かそう―」 

 「子どもの権利条約は、この地球上で、今の大人たちと明日の大人である子どもたちとが、どうつきあうか、毎日の道理にあった正しい関り合いとはどういうものかを提示したものです。…(同条約が締結国に求めている)『子どもの最善の利益』の核心には、その子その子のかけがえのない<生命>―最大限可能な限り、その存在の確保(第6条)ということがあるのです。まさしく、地球生命系の生きたシンボルであるかけがえのない子どもの命を保障することから、私たち一人ひとりに、“もう一つの生き方”の勇気ある選択を求めているのです」

  児童虐待問題は、地球生命系という視点から、われわれ大人の生き方が問われている問題だ。「子どもの権利条約」をもう一度学び直そうと思う。

 ☆裁判員と死刑制度

  21日で裁判員制度開始から10年がたった。共同通信は裁判員経験者にアンケートし、「経験して良かった」98%、「制度を続けるべきだ」84%などの結果を報じたが、経験者にアンケートすればこんな数字が出ても不思議はない。また、意味もない。 目を向けねばならいのは、候補者に選ばれながら辞退した人が67%にのぼり、その数字が年々増加している現実だ。

 ところで、共同通信のアンケートの中に驚くべき結果があった。「死刑判決に裁判員がかかわった方がよい」が51%におよんだことだ。これは本当だろうか?

 私は制度発足前から、裁判員制度には反対だ。理由はいくつもあるが、最大の理由は日本に死刑制度があることだ。死刑とは国家による殺人にほかならない。裁判には冤罪がつきものなだけ、死刑制度の危険性と罪は大きい。死刑制度がある中での裁判員制度は、「一般市民」を「国家による殺人」に巻き込み共犯者にすることだ。

 ところが裁判員経験者の半数以上はそれを肯定しているという。これはきわめて深刻な実態だ。死刑制度を温存しつつ裁判員制度を導入した勢力の思惑通りと言えるかもしれない。この思想・人権感覚が社会にまん延すれば、どんな世の中になるか、背筋が寒くなる。

 どうしても裁判員制度を続けたいというなら、最低限、日本の非民主性を象徴する死刑制度を直ちに廃止すべきだ。


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