アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

被災者がなぜ「軍服」を着なければならないのか

2018年07月09日 | 自衛隊・軍隊

     

 「西日本豪雨災害」は死者88人、安否不明者58人(9日未明現在、NHK)という大惨事になりました。さらに被害が拡大することが懸念されます。

 昨日のブログにも書いたように、これは単なる天災ではなく、人災、安倍政権の無為無策によって被害が拡大した”安倍災“とも言うべきものです。

  例えば町の3割近くが浸水した岡山県倉敷市真備町では、堤防の改修工事が今年から開始される予定でしたが、まだ始まっていませんでした。岡山大学の前野詩朗教授は「工事が早くできていたら今回のような大きな被害はなかったと思う」と指摘しています(8日のNHKニュース)。

  甚大な被害、被災者の窮状を見るにつけ、どうしても見過ごせないのは、自衛隊です。

  真備町で救出された被災者たちが身に着けていた(着けさせられていた)のは、なんと「迷彩色のライフジャケット」でした(写真左)。救出したのが自衛隊だったからです。

 「迷彩色のライフジャケット」は言うまでもなく自衛隊員が戦場で使うことを想定して作られているもので、いわば「軍服」です。敵の目を欺く「迷彩色」にしているのはそのためです。被災者がなぜ「軍服」を着なければ、着させられなければならないのでしょうか。

 「ライフジャケット」だけではありません。自衛隊が救助に使ったボートは、おそらく自衛隊用(軍事用)でしょう(写真中)。被災者は「軍用」ボートに乗せられて救助されたのです。

 広島県呉市では、自衛隊基地に停泊中の艦船の風呂が「被災者に開放」されました。利用者を揚陸艇で送迎するという念の入れようです(写真右)。入浴したい被災者は軍艦へどうぞ、というわけです。

 そしてNHKは、自衛隊に救出された被災者や艦船の風呂に入った被災者の、「自衛隊のおかげで助かった」という声を何度も流すのでした。

 こうした状況が、自衛隊という軍隊への抵抗感を薄め、逆に”親近感“を作り出す政府・自衛隊の政治的意図によってつくられていることは明白です。いわば「災害の政治利用」と言っても過言ではありません。

 それはこれまでも災害のたびに言ってきたことですが、今回、被災者が「迷彩色のライフジャケット」を着させられているのを見て、別のことを考えました。
 もし自分が被災者になって、救出にきた自衛隊に「迷彩色のライフジャケット」を着るように言われたら、どうするだろうか…。おそらく拒みきれずに着るでしょうね。

 万一、徴兵制がしかれたときは「良心的兵役拒否」を貫くつもりですが、災害で被災した場合、「迷彩色のライフジャケット」くらいなら、「風呂」くらいなら、と思って受け入れるかもしれません。そうやって「軍服」を身に着け、軍艦に乗り、ある部分で自衛隊(軍隊)と同化する。これは、生命・生活の維持と引き換えに、「いかなる場合も軍隊を拒否する」という自分の信条を融解させることではないだろうか。

 災害のたびに自衛隊が出動し救助活動を行うことは、政府・自衛隊の側からすれば自衛隊(軍隊)への抵抗感をなくし「存在意義」を偽装することだけれど、被災者(市民)の側からすれば、半ば強制的に自衛隊(軍隊)に取り込まれ同化させられる、「思想・信条の自由」の侵害に通じることではないでしょうか。

 自衛隊は憲法の前文、9条に違反する明白な違憲の軍隊です。そう主張する声がだんだんかき消され、「世論調査」で圧倒的多数が自衛隊を容認・支持するという事態は、こうした政府・自衛隊の戦略によってつくりだされたものであることを銘記する必要があります。

 これからも災害は必ず起こり、自分や家族が被災者になる可能性は十分あります。そのとき、自衛隊のボートに乗せられ、「迷彩色のライフジャケット」を着させられることがないように、自衛隊(軍隊)に代わる文民の災害救助専門組織を早急につくらせる必要があると痛切に思います。

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