「3・11」から4年のきのう、政府主催の「追悼式典」が都内で行われました。
例年同様、天皇・皇后出席のもとで行われるこの「国家儀式」を、たんなる「追悼式」として見過ごすことはできません。
「式」は地震発生の午後2時46分の直前に開会。参加者全員が起立して天皇・皇后を迎えることから始まりました。
そして、「君が代」斉唱です。震災被災者を「追悼」するのに、なぜ“天皇の御代”を賛美する「国歌」を歌わねばならないのでしょうか。
まもなく地震発生時刻にあわせて「黙祷」。これは式典だけではありません。政府はすでに全国の官公庁、学校、企業などに対し、同時に「黙祷」することを求める閣議決定(2月24日)を行っています。
安倍首相が「式辞」で強調したのは、「未曾有の国難」「強靭な国づくり」でした。
そして天皇の「お言葉」。「4年間、被災地においては人々がお互いの絆を大切にし、幾多の困難を乗り越え、復興に向けてきた。・・・これからも国民みなが心を一つにして寄り添っていくことが大切と思う」
ちょうど同じころ、会場の近くで、この「追悼式典」と全国一斉の「黙祷」に反対するデモが行われたことを知る人は多くないでしょう。マスメディアは無視したからです。
22の団体が賛同団体になったデモのスローガンは、「天皇出席の震災追悼式典・『全国一斉黙祷』反対! 原発推進・国家責任回避のセレモニーを許さない! 3・11を反原発と責任追及の日に!」
その「呼びかけ」文にこうあります。
「例年、『国家斉唱』に始まるこの式典の中心は、午後2時46分に天皇とともに行う一斉黙祷です。・・・天皇のもとでの一斉黙祷を強いるのは、政府と被害者がともに『国難』を乗り越え、核・原子力立国の復興を誓い合う場を演出し、国家・企業と被害者との対立をかき消すことになるのです。・・・天皇のもとでの『国民こぞっての追悼』により、被害者の憤怒を押さえ込み、被ばくや被害を甘んじて受け入れ共に原発推進に挺身せよと強制してきます」
「原発事故は明白な国家犯罪です。政府が行うべきは国家・責任企業による謝罪と完全な賠償、事故収束―全原発・関連施設の閉鎖です」
安倍首相は前日の10日記者会見し、今年で「集中復興期間」が終了することから、夏までに新たな「支援の枠組み」を決めると発表しました。それは、被災者と地元自治体にさらに大きな負担・犠牲を強いるものになるとみられています。
こうした政府(国家権力)の意向・政策と、天皇の下における「追悼式典」「一斉黙祷」は、けっして無関係ではありません。
被災者がもっとも危惧しているのが、「政府支援」のいっそうの後退であることは、NHKの調査でも明らかになっています(写真右)。
そんな中で、「国難」だから「絆を大切に」「国民みなが心をひとつにして」「困難を乗り越え」よというのは、被害者・国民の「憤怒を押さえ込み」、政府が押し付ける犠牲を「甘んじて受け入れる」ことを強要することにほかなりません。
これこそ、今日の日本社会における「天皇の政治利用」でなくてなんでしょうか。
「『3・11』を、いのちを奪われたすべての人々の憤りをうけとめ、原発事故の被害者、被ばくによる健康被害にさらされる住民や労働者と固くつながり、原発事故の国・独占資本の責任を徹底追及する日にしましょう」
「3・11デモ」のこの「呼びかけ」に心から賛同します。
この政府主催「追悼式典」に、沖縄のたいへんな状況をよそに、翁長雄志知事が2泊3日の「出張」で出席したことを付記します。