アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

戦争と個人・・・島田叡知事はほんとうに「偉人」か?

2013年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 20日の沖縄平和学会でショッキングな話を聴きました。沖縄戦で亡くなった「最後の知事」と言われる島田叡(あきら=写真右)についてです。
 
今年8月7日、TBS系テレビ報道ドラマ・「生きろ」で、沖縄戦における島田知事の活躍が「実話をもとに」したドラマとして放送されました。それを私はこの「日記」(8月11日)で取り上げ、「多くの偉業をなした」と賛美しました。ところが、平和学会で川満彰さん(名護市教育委員会)がこう述べたのです。「陸軍中野学校出身の離島残置諜者(離島残って諜報活動を行う兵士)に教員免許を交付(「沖縄県青年学校指導員」「沖縄県国民学校訓導」を辞令)したのは島田叡だ。その戦争責任はどうするのか」。島田知事は大本営直属のスパイの偽装に手を貸したというわけです。吉川由紀さん(沖国大非常勤講師)も、ドラマでの島田美化にたいへんな違和感を持ったとし、「(島田は)第32軍の南部撤退に反対したというが、同じく反対して拷問で殺された人もいたはず(なのに島田はおとがめなし)」。2人から島田叡の負の側面を突き付けられたのです。
 
あらためて調べてみました。県立図書館にある資料の限りではやはり島田知事を「庶民の立場に立った知事」と賛美するものが圧倒的です。がその中で、『具志川市史第5巻』に次の記述がありました。1945年4月27日、壕の中で行われた県下市町村長・警察署長会議の冒頭、島田知事は訓示で7点を指示しましたが、その第1はこうです。「必勝信念、敵を見たら必ず打ち殺すというほどの敵愾心の高揚」。さらにこう述べています。「米国が理不尽に仕かけてやむを得ず矛をとった昭和16年12月8日のことを思へば負ける道理がない」。日本軍による真珠湾奇襲攻撃の美化です。
 
島田知事が日本軍と親密な関係にあり、戦争を鼓舞していたことは動かせない事実のようです。一方、ドラマや他の書籍が誇張も含めて賛美しているように、「住民思い」で「命の大切さを主張」したのも事実でしょう。平時でも人間にはいろいろな側面があるのですから、戦争という異常事態の中で1人の人間がさまざまな面をもっていたとしても不思議ではありません。問題は、その一面だけが誇張され、美化されることです。そしてさらに難問は、多面性を持つ人物を戦争・平和教育の中で取り上げるとき、どのような描き方をするべきか、ということです。
 
例えば川満さんは、「護郷隊」を組織した陸軍中野学校の村上治夫中尉が、当時地元では誰もけなす人のない「人格者」だったと聞き取っていますが、名護市史の中ではあえてその側面は記述しなかったと言います。村上が戦争で果たした役割から見ればそれは主要な側面ではないからです。しかしそれでいいのでしょうか。それほどの「人格者」でも非人間的な行為をするのがまさに戦争だ、という教材化もありうるのではないでしょうか。
 
戦争の中の「個人」をどう描き、どう評価するか。戦争における「具体」と「普遍」の問題として、研究されるべき重要な課題だと思います。

 <今日の注目記事>(25日付沖縄タイムス1面トップ)

 ☆<オスプレイ違反79件 24機態勢以降 県、飛行情報収集>
 「米軍普天間飛行場でオスプレイが全24機態勢になったことを受け、県が1日から市町村の目視調査情報を集めたところ、15日時点で違反とみられる飛行が79件寄せられていることが分かった。…全24機態勢となって25日で1カ月。日米両政府が本土への訓練移転などで負担軽減を図るとする一方、県内では昼夜を問わず飛行を繰り返すオスプレイに不安の声は根強い」
 ※訓練の一部を他県に移したところで沖縄には何の「負担軽減」にもならず、危険性もまったく減らないことがあらためて示されています。

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