アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日米政府が隠ぺいしてきた戦後史の闇「占領軍人身被害」

2024年08月24日 | 戦争の被害と加害
   

 1945年8月24日、日本で強制労働させられていた朝鮮人3725人、乗員の海軍軍人255人を乗せ、青森・大湊を出て釜山へ向かっていた運送船「浮島丸」が、京都府舞鶴沖で爆発音とともに真っ二つに折れて沈没。朝鮮人524人、海軍軍人25人、計549人(政府発表)が死亡しました。「浮島丸事件」です。

 沈没の原因、正確な犠牲者数もいまだに不明。死亡した朝鮮人への謝罪・補償はまったく行われていないばかりか、日本政府は事件の真相を調査しようとすらしていません(2019年10月1日のブログ参照)。

 「浮島丸事件」の究明は重要な今日的課題ですが、ここでは同事件も含めた「占領軍人身被害」について考えます。

 占領軍人身被害。その概念も実態も、藤目ゆき・大阪大教授の『占領軍被害の研究』(六花出版2021年)を読むまで知りませんでした。以下、同書から。

 敗戦からサンフランシスコ講和条約発効(52年4月28日)までの約6年8カ月。「この連合国対日占領期の日本本土において、占領軍に起因する事件や事故によって旧植民地出身者を含む日本在住の民間人が死傷する事案が無数に発生している」。これが占領軍人身被害です。

「占領軍人身被害は、日本国が始めた戦争と連合国対日占領の結果、多数の民間人が体験した戦禍であり、戦後日本の出発点に起きた重大な歴史事象である。ところが、国民は一般に占領軍人身被害という事象についてほとんど知らされておらず、学術的な研究の蓄積もほとんどない。いったいどうしてなのだろうか」

 日本政府もGHQもその実態を明らかにせず、日本が「見舞金」を出すことでフタをしてきました。藤目氏が「見舞金」を出した「全国調達庁」の資料を分析したところ、61年7月の時点で把握されていた被害者は9352人。内訳は「死亡」3903人、「障害」2103人、「療養」3346人。「しかしこの数字は氷山の一角にすぎない」

 占領軍人身被害はどこでどうして起こったのか。同書の目次を抜粋すればこうです。
 ▶日本軍武器弾薬処理に伴う人身被害▶占領軍労務動員と労働災害死傷▶(占領軍の)暴行・傷害・殺人(危険運転を含む)▶軍事演習被害(開拓農民の占領軍被害を含む)▶朝鮮戦争被害

 藤目氏が強調しているのが、「在日朝鮮人の占領軍人身被害―不可視化される被害」です。

「日本による植民地支配を背景に朝鮮半島から渡日した人々は、日本が降伏した時点で200万人以上であった。…(日本の敗戦で)朝鮮人は…祖国帰還を熱望した。が、帰還支援の不在(などで)…日本に残留せざるを得なかった人は多い。…結局占領終結時点で60万人以上の朝鮮人が日本にいた。このような朝鮮人老若男女が受けた占領軍人身被害はかなりの数にのぼったと推察できる

 藤目氏は「あとがき」でこう書いています。

「占領期は戦争と軍国主義からの解放と民主化という明るい側面がしきりに強調され、日本占領こそ輝かしい「占領の成功モデル」だという言説が巷では今も流布している。「8・15終戦」史観「暗い軍国主義と戦争の時代から、明るい平和・民主主義・繁栄の時代へ」といった戦後観がとくに意識しないでも空気のように呼吸されているこの日本という国で、占領軍人身被害はまるで存在しなかったかのように忘れられている。
 だが占領期は、連合国占領軍が絶大な権力を行使し、その事故や犯罪のために市民が殺傷されてすら闇に葬られてしまう恐ろしい時代でもあった。この時代を支配していた恐怖、隠されてきた人びとの被害の経験を多くの人に伝えたいと念じ本書を執筆した」

 GHQ・アメリカ政府と日本政府が結託して隠ぺいしてきた占領軍人身被害。それによって美化されてきた戦後観。それはそのまま今日に引き継がれ、政治・社会の根幹にある日米軍事同盟(安保条約)の幻想・美化につながっているのではないでしょうか。

 占領軍人身被害の実態を究明し、日米両政府の責任を明確にし、被害者への補償を行うことは、戦後史の闇を切り開くと同時に、これからの日本の進路を考える上できわめて重要な今日的課題です。
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