アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄・基地・歴史・人間・・・今年の3冊

2014年12月30日 | 沖縄と差別

          

 今年読んだ(出版された)沖縄関連の本から、3冊をピックアップし、特に感銘を受けた言葉を振り返ります。

◎『オリバー・ストーンが語る日米史の真実 よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』(オリバー・ストーン、ピーター・カズニック、乗松聡子著、金曜日)

 (知らされない歴史)
 「日本の人々は戦争の被害者であることに甘んじていないで、戦争を始めたのは誰なのか、そして戦時の日本軍によるアジア太平洋全域での加害行為や連合軍捕虜の虐待について子どもたちにしっかり教えるべきです。1931年に満州侵攻によって戦争を始めたのは日本なのです。日本の人々が自分の国の歴史を知っているのか大変疑わしく思います。日本の人々は、自らの政府によって歴史を否定されてきたようです。米国人も自らの歴史を否定されてきたのと同じように」(オリバー・ストーン)

 (日米同盟と沖縄)
 「米国は日本をパートナーとしては見ておらず、同盟諸国の一部にすぎず、とりわけ米軍基地費用のほとんどを払ってくれる都合のいい国です。そしてそれらの米軍基地の大半は沖縄にあります。・・・沖縄ではまだ戦争が終わっていないことを実感しました」(同)

 (沖縄知事選・辺野古)
 「11月の知事選で選ばれる人は前知事による埋め立て承認を撤回しなければならない。この基地は作ってはいけない基地なので、我々も作らせないために行動していくことが、米国人、日本人として、そして地球市民としての責任である」(ピーター・カズニック、乗松聡子)

 (安倍政権の軍拡・改憲策動に対し)
 「このようなことがどうしてまかり通ってしまうのかというと、根底には日本の日米関係至上主義のようなものがあるように思えてならない。・・・日本の人々はこのような見方を乗り越えて、アジアの一員として周辺諸国と平和的信頼に基づいた関係を築く必要がある。・・・それには何よりも隣国との確執の根源にある歴史認識問題に誠実に取り組む必要がある。日本の人々は自国の過去を正視し、否定はやめなければいけない。・・・『語られない日本史』は、日本の人々自身が語らなければいけないのである」(同)

◎『暴力と差別としての米軍基地 沖縄と植民地―基地形成史の共通性』(林博史著、かもがわ出版)

 
 (すでに日本は海外に軍事基地を設置している!)
 「二〇〇九年四月に日本政府と(東アフリカ―引用者)ジブチ政府の間で『自衛隊等の地位に関する』交換公文が交わされ、陸海空の三軍の自衛隊が派遣された。・・・日本政府は『活動拠点』という言い方をしているが、正真正銘の基地である。日本が戦後初めて海外に基地を建設したことを意味している。また交換公文の第八項により・・・派遣国が全面的に刑事裁判権を持つという植民地主義そのものの規定を日本が得たことになる。刑事裁判権の問題(「日米地位協定」-引用者)で米兵の犯罪を日本が裁くことができないという大きな問題を抱えている日本が、今度は他国にその矛盾を押し付ける立場になったのである」

 (日米同盟とは)
 「多くの国々への武力介入と侵略を繰り返してきて、それへの反省のない米国と、戦争責任・植民地支配への反省のない日本との同盟が日米同盟である。もし自らが過去におかした加害とおぞましい行為の数々の事実を直視し、二度と繰り返さないと決意して行動しようとするならば、今日のような日米軍事同盟はたちまちのうちに崩れ去るだろう」

◎『生きること、それがぼくの仕事 沖縄・暮らしのノート』(野本三吉=本名・加藤彰彦前沖縄大学学長著、社会評論社)

 (「六十歳で沖縄へ移り、沖縄大学の教員になった動機」は)
 「六十歳でぼくは大学(横浜市立大―引用者)もやめ、一人の市民に戻るつもりでいたのだが、その時に世界貿易センターの爆破事件が起こった。これまで人類が次々とつくりあげてきた近代文明が崩れていくような予感の中で、もう一度、生きものの原点、人類史の原点に戻って自分の生き方を問い直さなければいけない、そうぼくは直感したのだった」

 (「人間の能力」とは)
 「人間には共に生きる、あるいは支え合うということを通してはじめて真に生きることができるという叡智があるように思える。それが『人間の能力』だと考えている。これまでの長い歴史を人類が生きぬいてこれたのは、この支え合いの能力、共に生きる能力のためだとぼくは思う」

 「自分の暮らし、自分の場から考えることしかできないぼくら人間は、そうした自分の発想を絶対化し固定化して行動する。そうした限界を打ち破り、現実を知るためには、自分の世界から離れてもう一つの現実の中に身を置くことが必要である。・・・人間にとって『能力』とは何よりも生きぬく力であり、そのためには支え合う力、そして相手の立場を思う(感じる)力ではないかと思う」

 ☆今年の「日記」はきょうで終わります。次は1月1日に書きます。
 「敗戦70年」の来年はさまざまな意味できわめて厳しい年になりますが、今年よりも少しでもいい社会になるよう、「人間の能力」を信じて、生きてゆきたいと思います。
 1年間、ありがとうございました。

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