アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

万博は植民地主義の歴史から脱却しているか

2023年12月02日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 開幕まで500日となった大阪・関西万博。建設費は当初見込みの2倍、2350億円に膨らみ、さらに「日本館」の建設などで837億円、計3187億円という膨大な出費になります。借金(国債)まみれの日本のどこにそんな無駄遣いをする余裕があるでしょうか。建設は大幅に遅れ、出展を取りやめる国も相次いでいます。

 万博の問題点はそれだけではありません。

 1851年にロンドンで始まった万国博覧会の歴史は、帝国主義・植民地主義の歴史と一体不可分でした。

「博覧会の時代とは、同時に帝国主義の時代であった。これは決して偶然ではない。…博覧会は、テクノロジーの発展を国家の発展、つまりは帝国の拡張に一体化させ、そのなかに大衆の欲望を包み込んでいったのである。…ロンドン万博を開催するに当たり、主催者側が最初に着手したのは、大英帝国の植民地や自治領からの出品全体を帝国の展示としてまとめあげることであった」(吉見俊哉著『博覧会の政治学』中公新書1992年)

 「植民地からの出品」は、モノだけでなくヒトにも及びました。原住民を連れてきて見世物にする悪名高い「人間の展示」です。それは日本も例外ではありませんでした。

 明治政府は1903年3月~7月、万博開催を想定して「第5回内国勧業博覧会」を開催しました(於大阪市)。
「会場内には日清戦争により領有することとなった植民地の台湾館や、会場外ではあるが、アイヌ、琉球、台湾、清国、朝鮮半島の人々などを展示する人類館などが設置された」(伊藤真実子著『明治日本と万国博覧会』吉川弘文館2008年)

 万博と植民地主義の関係は遠い過去の話ではありません

 佐野真由子京都大大学院教授(万博学)によれば、万博の開催ルールを定めた国際博覧会条約(1928年成立)の第2条に、万博における展示テーマの一つとして「植民地の開発」が明記されましたが、その例示は「実に1972年まで存続した」のです(11月15日付京都新聞)。

 今回の大阪・関西万博はどうでしょうか。

 日本国際博覧会協会(万博協会、会長・十倉雅和経団連会長=写真右)が7月、会場建設の遅れを取り戻すため、法律が定める時間外労働の上限規制を建設業界には適用しないように、という要望を政府に提出しました。
 労働問題に取り組む弁護士らでつくる民主法律協会(大阪市)は7月28日、「万博のためには、労働者の健康や生命の犠牲もやむを得ないと言わんばかりだ」と厳しく批判する抗議声明を出しました。

 万博協会は批判を浴びて要望を取り下げたとされていますが、自民党の万博推進本部会議(10月10日)では性懲りもなく、「超法規的な取り扱いが出来ないか」として万博建設工事を時間外労働上限規制の対象外とするよう要求する意見が出ました(10月13日のブログ参照)。

 建設現場が多くの外国人労働者で支えられていることは周知の事実です。経団連会長をトップとする万博協会や自民党の要求・主張は、万博のためなら外国人労働者は法の埒外、犠牲になっても構わないというものです。これは今日の植民地主義といっても過言ではないのではないでしょうか。

 万博は今も、帝国主義・植民地主義の歴史から脱却しているとは言えません。その点からも大阪・関西万博は即刻中止すべきです。
 
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陸自のオスプレイも撤去しな... | トップ | 日曜日記278・ドラマ「ガラパ... »