アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「今年の漢字」で元号廃止を考える

2019年12月14日 | 天皇・天皇制

    

 12日、「今年の漢字」(21万6000余の応募の1位)は「令」と発表されました。予想通りですが、これをこのままにしておくわけにはいきません。確かに「令和」は今年を象徴する言葉ですが、その意味は、元号の存在を問い直すことでなければならないはずです。

 元号が「皇帝は時間をも支配する」という古代中国の思想を天皇制に引用したものであることは周知の事実です。元号は、「天皇が時間を支配する」ことを示すためのものです。それはきわめて重大な意味をもつことです。

 生涯を天皇制廃止の思想・主張で貫いた作家の住井すゑさん(1902~1997、『橋のない川』の作者、写真中)は、「浦島太郎」に言及する中でこう語っています。

 「地球の生物は、時間から逃れられないんです。われわれを支配するのは時間なんです。時間以上の王様はいないんです。…どんな権力でも、その人間に平等に通過する時間は妨害できない。人間のつくった権力は、絶対に、宇宙の法則には及ばないんです。時間の前に、すべて人間は平等ですね」(『わたしの童話』1988年新潮文庫)

  時間という「宇宙の法則」はすべての人間に平等。その平等な時間を「人間のつくった権力」が支配しようとする。それが元号であり、天皇制です。

 元号の廃止はけっして「左翼」だけの主張ではありません。少なくとも敗戦後しばらくは。のちに自民党代議士となり、首相にまでなった石橋湛山(1884~1973年、写真右)は、議員になる前のジャーナリスト時代(1946年)、「憲政の父」といわれた尾崎行雄が「改元」によって元号制度を残すことを主張したのに対し、こう批判しました。

  「記者(石橋―引用者)はふるくからその必要を痛感していた事だが、この際さらに一歩進めて、元号廃止、西紀使用を主張したい。…この支那(ママ)伝来の制度の為に常にわが国民はどれ程の不便をなめているか。…欧米との交通のはげしい今日、国内限りの大正昭和等の年次と西暦とを不断に併用しなければならない煩わしさは馬鹿馬鹿しき限りだ。改元を主張する尾崎翁はまだ旧日本の因習に囚われたりと言わねばならぬ」(1946年1月12日号「顕正議」、「石橋湛山全集第13巻」東洋経済新報社より。旧漢字は一部仮名にしました)

  石橋湛山の主張は、天皇制の本質を突いたものではなく、あくまでも西暦との併用の「不便」さが主な理由ですが、それでも元号を「旧日本の因習」と指摘し、西暦との併用を「馬鹿馬鹿しき限り」と喝破していることは重要です。のちに自民党政権の首相になった人物でさえこう主張していたのです。

  元号に対するこうした批判的視点を持たず、それを当然のもののように受け入れる思考停止は克服されなければなりません。安倍政権によって「令和」キャンペーンがふりまかれた今年を振り返り、元号の意味、その使用が事実上強要されている政治的・社会的意味に視点を向け、元号の廃止、さらに天皇制の廃止へ向けた議論を広めたいものです。すべての人間に平等な「時間」を真に平等なものにするために。


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