アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

南洋戦国賠訴訟・許してならない「国家無答責の法理」

2018年01月25日 | 戦争・安倍政権

     

 「本土」のメディアはほとんど取り上げませんでしたが、23日、那覇地裁で重要な判決がありました(琉球新報は1面肩で報道=写真左)。
 サイパンやテニアンなどの南洋諸島やフィリピンで戦争被害を受けた沖縄県出身者や遺族らが、国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟です。

 生活苦のため沖縄からの移民が多かった南洋・フィリピン群島には、当時約8万人の県出身者がおり、約2万5000人が命を失ったといわれています。そのうち「1万7000人から2万人の戦没者が未補償のまま放置」(原告)されています。

 判決で、「剱持淳子裁判長は戦時は旧憲法下で、国家賠償法施行前のため『国は不法行為責任は負わない』などとして原告側の訴えを全面的に退け」(24日付琉球新報)ました。
 いわゆる「国家無答責の法理」です。毒ガス遺棄を含め、戦争関連の国家賠償訴訟はほとんど退けられていますが、その不当判決に共通しているのがこの「法理」です。

 私たちは主権者として、「国家無答責の法理」を認めるわけにはいきません。なぜなら、それは天皇主権の大日本帝国憲法(明治憲法)の遺物にほかならないからです。

 「国家無答責の法理とは、明治憲法の下で、国の行為のうちで権力的作用の部分については、それによって損害が生じても国は責任を負わないとされていた法理です。この考え方の源流は、絶対主義時代にまで遡ります。当時は、国王の権限は神からの授かりものであるという『王権神授説』に基づいて、『王は悪をなさず』という原則が正当化されていました」(馬奈木厳太郎氏、水島朝穂氏編『未来創造としての「戦後補償」』現代人文社)

  したがってその考えは近代の「国民主権」の下では当然否定されるべきものでした。

 「日本でも現在の憲法が制定されるに至って、憲法17(「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国または公共団体に、その補償を求めることができる」)で国家責任が規定されることになり、この規定を受けて、国家賠償法が制定されました。国家無答責という考え方は、戦後の憲法の制定とともに葬られたのです」(同)

 ところが、国は葬られたはずの「法理」を今も持ち出して国家賠償を回避し、司法もそれを容認しています。

 これに対しては各訴訟の原告側からさまざまな反論がなされています。その1つはこうです。

 「[国家無答責の法理が一般論としては認められるとしても]この法理が認められるためには、保護されるべき公務の存在が必要であり、それがない場合には適用されない(幼い子どもを虐殺したりする行為には保護すべき公務性はみいだせない)」(同)

  では南洋戦で帝国日本はいかなる「公務」を行ったでしょうか。今回の原告弁護団長の瑞慶山茂氏(写真中の左)の「意見陳述」(2013年11月13日)から抜粋します。

 「日本軍による住民殺害 日本軍が日本人一般住民に対して狙撃して殺害したり、手榴弾を投げて殺したり、軍刀で殺傷したり、泣き声をあげる乳幼児の首をひねて殺害するなど、ありとあらゆる残虐非道な行為を行った。このようにして殺害された一般住民数は数千人にのぼるといわれているが、被告国が調査を実施していないためその詳細は不明」

 「サイパンの戦いは、日本人が生活している地域ではじめて戦われた地上戦だった。日本軍人を信じてついてきた民間人が、隠れ家となる洞窟内で受けたむごたらしい仕打ちは、グアム、テニアンなどでも見られたが、最後の戦いとなった沖縄戦では大規模に発生した」

  沖縄戦の教訓の1つは、「軍隊は住民を守らない」という軍事の本質が露呈したことですが、すでにその9カ月前の「サイパンの戦い」から一般住民に対する日本軍(皇軍)の蛮行は行われていたのです。

 主権在民の現行憲法の原理からも、また残虐行為を行った帝国日本に「保護すべき公務」など一片もなかったことからも、「国家無答責の法理」が否定されるべきは当然です。

  言うまでもなく、帝国日本(日本軍)の蛮行は日本人住民だけでなく、現地の住民に対してはより残酷非道に行われました。「国家無答責の法理」は、そうした日本の侵略・加害行為を隠ぺいし、謝罪と補償を回避するための口実にもなっているのです。けっして過去の話ではありません。

 「戦後の今日にもなお国家無答責の法理を裁判にもちだすという国の姿勢は、現憲法の価値原理に拘束されなければならない公務員の義務(憲法第99条―引用者)から逸脱したもの」(馬奈木氏、前掲書)
 「問いたいのは、先の戦争の誤りだけじゃない。いまの政府の対応、判断なのです」(瑞慶山弁護団長、19日付朝日新聞)

 明治憲法の「法理」だった「国家無答責」で侵略・加害責任を隠ぺいし国家賠償を回避しようとすることは、「明治維新150年」キャンペーンで「明治」を美化し、「新たな国創り」(22日の施政方針演説)を図るという安倍首相の狙いに通じるものです。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝鮮学校の差別・窮状はひと... | トップ | 天皇の「慰霊の旅」と南洋戦... »