アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記228・「死んだ後の世界」に対する責任

2022年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
 「50歳が目前のせいだろうか。最近、自分の死と、その後の世界のことをよく思う」(13日付中国新聞)
 1年間「論考2022」(月1回)を共同配信で連載してきた人類学者の磯野真穂さん(写真)が最後の論稿でこう書いている。

「50歳が目前」の磯野さんがそう思うのだから、「70歳が目前」の私が同じ思いを持つのは、むしろ遅きに失していると言うべきか。

 磯野さんは、「自分の死の後の世界」のことを思いながら、「今ある世界の問題のせいで、子どもたちが将来苦しむことのないようにと切に願う」と書いている。

 同じようなフレーズを岸田文雄首相が16日の会見で口にした。「軍拡3文書」を閣議決定した直後の会見だ。「今を生きるわれわれが将来世代への責任として対応すべきものだ」
「5年間で43兆円。そのための大増税」「米軍と一体となった敵基地攻撃」。それらは「将来世代への責任」だとうそぶいた。

 東アジアを侵略し朝鮮半島や台湾を植民地支配した日本という国家と、それを止められなかった国民の「戦争責任」。それに対し、1945年以降に生まれたわれわれに対しては「戦後責任」という言葉が使われてきた。「戦後」に生まれた日本人には、戦争の罪を償う責任があると。

 だが、それがいま、明らかに変わってきた。今問われているのは「戦後責任」ではない。「戦前責任」だ。

 日本が日米軍事同盟(安保条約)の下で米軍と一体となって戦争する時が、目前に迫っている。そのための国内の戦時体制づくりが急速に進んでいる。「軍拡3文書」はそのマニュアルだ。

 「死んだ後の世界」への責任。ずっと考えてきた。それがいま、抽象論ではなく、具体的な課題として突き付けられている。このまま日本を戦争国家にしてはならない。何としても食い止めねばならない。
 それこそが、「今ある世界の問題のせいで、子どもたちが将来苦しむことのないように」するわれわれの責任だ。

「戦前責任」を「戦争責任」にしてはならない。「戦後責任」のままで終わらせなければならない。

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