アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「場所の力」を自覚して生きる・・・毛利孝雄さんから学ぶもの

2013年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3Photo_4 「沖縄戦の記憶と戦争を拒否する思想。米軍支配の無権利状態のなかから、民衆自身の闘いによって『憲法』を獲得してきた戦後史・・・沖縄の学生は、この沖縄という『場所の力』にもっと自覚的であってよいのではないか」。毛利孝雄さん(63)は11日のシンポで学生たちにこう語りかけました。
 「場所の力」。その言葉を聴いたとき、毛利さんがなぜ61歳で埼玉県から沖縄大学に入学したのかが本当に分かった気がしました。毛利さんの人生の「源流」は20歳の時に4カ月間分校の代用教員を務めた岩手県岩泉町の山間僻地でした(3月19日の私の「日記」参照)。そこで出会った20人の子どもたちと家族の「戦後史」を記録する。それが毛利さんの「レイトワーク」です。そのための「批判精神」をつけるのが沖縄で学び直す動機でした。毛利さんに人生のテーマを提起したのが岩手県の山間僻地。そのテーマをやり遂げるための力をつけたのが沖縄。どちらも「場所の力」だったのです。毛利さんは2年間の沖縄生活の中で、実に多くの人びとと出会い、その人生から学んできました。「場所の力」は同時に、その「場所に生きる人の力」でもありました。
 「人間は生きてきた軌跡というものを、最後に思想化するのでなれば、生きてきた意味がないのではないか」。大江健三郎さんのこの言葉が毛利さんの座右の銘です。「思想化」とは、「戦後民主主義の時代を生きた自分が、今度は戦後民主主義を体現して生きる、そのような自分へと自ら変革していくこと」だと、沖大卒業論文で毛利さんは書いています。私はさらに毛利さんに尋ねたことがあります。「人生の軌跡を思想化するとは?」毛利さんは少し考えて言いました。「考え続けることかな」。
 どこで生きるのか。その「場所」から何を学ぶのか。学んでどう人生の軌跡を描くのか。それを考え続けながら生きる。私が毛利さんから学んだのはこのことでした。
 毛利さんは今日(13日)、沖縄をいったん離れます。次の「場所」での新たな人生の始まりです。(13日の朝も、毛利さんはいつものように普天間飛行場大山ゲートに向かいました)
(写真右は、沖大の卒業論文と、岩手の代用教員時代からの軌跡を自費出版した『山びこのうた』。表紙のイラストはご長男のお嫁さんの作です)

 <今日の注目記事>(13日付琉球新報第2社会面から)

 ☆<命どぅ宝裁判 国外初の原告団参加 国賠求め月提訴>

 「沖縄戦で母を、パラオでの空襲で父を亡くした米国ジョージア州在住の新垣勝江・ガーナーさん(75)=西原町小那覇出身=が12日、沖縄戦で戦争被害を受けた民間人や遺族らが国に賠償と謝罪を求める『沖縄戦被害国家賠償訴訟』(命どぅ宝裁判)の原告団に加わった。同訴訟に国外在住者が参加するのは初。新垣さんは第4次原告団の一人として8月15日に那覇地裁に提訴する」
 「沖縄戦」はまだ終わってはいません。


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