「将軍の末裔」2013年5月25日
おおむね三年前の話です。朝から青空が広がり、新緑を散策する人々がとても気持ちよさそうな一日でした。ひとりの女性がふらりと入って見えたのは、昼下がりだったと記憶しています。白っぽいワンピース姿で、お見受けするところ四十歳くらいでしょうか。どこかに気品を感じたものです。
女性は草履素材のイ草を見つけると、「これはどちらのイ草ですか?」。言葉のアクセントに九州を感じ、熊本県の八代とお答えしました。「あたし長崎から来ましたの。愛犬を連れて一人で車の旅をしてます~!」。
長崎県大村市にお住いの女性は、出発から二十日目で角館を訪れたと話していました。
大村市と角館は戊辰戦争で浅からぬご縁があります。でもその経緯を女性は知りませんでした。知る限りの史実をお教えすると、女性はややいたずらっぽい笑みを浮かべて、「あのぅ、実はあたし、一橋慶喜の子孫なんですぅ」。
バッグから取り出した船舶免許で私に氏名を提示し、そのうえ一橋家の一員でなければ知り得ないであろうエピソードを数多く教えてくれました。草履を編む手はとっくに止まったままでしたね。
血統の良さとは裏腹に、とても気さくな女性でした。西宮家から徒歩5分ほどに、幕府側とは敵であった官軍墓地があります。現在お暮しの大村藩士も埋葬されていますから、女性にそのお寺を教えると、「じゃあ今から行ってきま~す!」。
小一時間ほどでお戻りになり、「途中のお菓子屋さんで名物を買ってきましたよ~」。無邪気といいますか、人の好さがよく分かりました。
お帰り際に西宮家の米蔵をしみじみ眺め、ぼそっと呟いた言葉が忘れられません。「昔はお金持ちだったんでしょうね…」。
徳川最後の将軍慶喜は大政を奉還し、将軍も幕府もなくなりました。代わる新政府に多くの資産を没収されたご先祖を、彼女なりに悔やんだのかもしれません。
今にして想えば、なぜその日の夕食に誘わなかったかが私には悔やまれてなりません(笑)
おおむね三年前の話です。朝から青空が広がり、新緑を散策する人々がとても気持ちよさそうな一日でした。ひとりの女性がふらりと入って見えたのは、昼下がりだったと記憶しています。白っぽいワンピース姿で、お見受けするところ四十歳くらいでしょうか。どこかに気品を感じたものです。
女性は草履素材のイ草を見つけると、「これはどちらのイ草ですか?」。言葉のアクセントに九州を感じ、熊本県の八代とお答えしました。「あたし長崎から来ましたの。愛犬を連れて一人で車の旅をしてます~!」。
長崎県大村市にお住いの女性は、出発から二十日目で角館を訪れたと話していました。
大村市と角館は戊辰戦争で浅からぬご縁があります。でもその経緯を女性は知りませんでした。知る限りの史実をお教えすると、女性はややいたずらっぽい笑みを浮かべて、「あのぅ、実はあたし、一橋慶喜の子孫なんですぅ」。
バッグから取り出した船舶免許で私に氏名を提示し、そのうえ一橋家の一員でなければ知り得ないであろうエピソードを数多く教えてくれました。草履を編む手はとっくに止まったままでしたね。
血統の良さとは裏腹に、とても気さくな女性でした。西宮家から徒歩5分ほどに、幕府側とは敵であった官軍墓地があります。現在お暮しの大村藩士も埋葬されていますから、女性にそのお寺を教えると、「じゃあ今から行ってきま~す!」。
小一時間ほどでお戻りになり、「途中のお菓子屋さんで名物を買ってきましたよ~」。無邪気といいますか、人の好さがよく分かりました。
お帰り際に西宮家の米蔵をしみじみ眺め、ぼそっと呟いた言葉が忘れられません。「昔はお金持ちだったんでしょうね…」。
徳川最後の将軍慶喜は大政を奉還し、将軍も幕府もなくなりました。代わる新政府に多くの資産を没収されたご先祖を、彼女なりに悔やんだのかもしれません。
今にして想えば、なぜその日の夕食に誘わなかったかが私には悔やまれてなりません(笑)
角館の歴史を語るとき、「関ヶ原」と「明治維新」は欠かせません。
実演席の話題にもよく登場するこの二つは、お客様の興味の
有無にかかわらず紹介しています(笑)
誰がなんと言おうとわれわれは、歴史の上に今を生きています。
「角館には明らかな歴史を感じる」というお客様の評価は、
角館人として素直に喜びたいですね(^^)