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エルドアン大統領がギリシャに、クーデター関与の軍人らの送還を依頼

2017年05月13日 | 国際
5月14日 エルドアン大統領は、北京で行われた中国政府主催の「一帯一路国際協力フォーラム」で、ギリシャのアレクシス・ツィプラス首相と会談しました。

 Hurriyet

会談はフォアシーズンズ・ホテルで行われ、1時間に及びました。エルドアン大統領はトルコの元軍人たちを送還しないというギリシャの判決に不満を述べました。元軍人たちは、2016年7月の未遂クーデター後、ギリシャに逃げ込み、亡命を申請していました。クーデターはフェトフラー・テロリスト組織(FETO)が首謀者だったと考えられています。

2016年7月15日、未遂クーデターから数時間後、3人の少佐、3人の大尉、2人の曹長ら8人の軍人が、軍のヘリでギリシャのアレクサンドロポリスへ逃げました。ヘリは翌日返されましたが、軍人たちはすぐに亡命を申請し、ギリシャにとどまりました。

ギリシャの最高裁判所は1月26日、トルコ政府の送還要請に応じない判決を下し、彼らを返せば、彼らは公正な裁判を受けられず、彼らの命は危機にさらされるだろうと言いました。トルコ政府は、その後、2度目の送還要請を送っています。会談中、エルドアン大統領は、クーデターに関わった人々がギリシャにとどまっているのは正当ではないと言い、問題の処理のために必要な手順を踏むよう要請しました。

エルドアン大統領とツィプラス首相は、この問題のほかに、エーゲ海の緊張緩和と問題解決のための対話の重要性を話し合いました。両リーダーはまた、キプロス問題解決のための努力をつづけることでも合意しました。


ハサンケイフの水没前に、550年昔の霊廟を移転

南西部バトマン県ハサンケイフにある、550年前の霊廟が、このエリアがウルス・ダムの建設で水没することになったため、移転させられたと、ドーアンニュースが報じています。

 Hurriyet

ゼイネル・ベイの霊廟はもとあった場所から「ハサンケイフ新文化公園」に運ばれました。巨大な霊廟はバトマン県ハサンケイフ地区のシンボルでした。霊廟の移転のために、アスファルトが敷かれ、レールが設置されて、霊廟は解体されることなく運ばれました。技師を含め50人が、移転のために働きました。

移転作業は5月12日午前7時45分に始まり、11時35分に終了しました。霊廟は2キロ離れた新しい場所に設置されましたが、すべての作業が終るまでには3日間かかると思われます。移転中は、警察と憲兵隊が警備に当たり、ドローンも空から警戒しました。憲兵隊は爆発物を見つけるために、探知機と特別に訓練された犬を使いました。

ヴェイセル・エロール森林・水事相は、「霊廟は金曜礼拝までに設置されるだろう。ヨーロッパはこのダムに反対しているが、われわれは8件の文化遺産を移転させている。これは世界のモデルになるだろう」と言っています。ダム建設はトルコ南東部の一部を水没させ、貴重な考古学的遺産を破壊するとして、長年、論議を呼んできました。

ゼイネル・ベイの霊廟は、ハサンケイフのアク・コユンル部族財団が残した唯一の遺産です。ゼイネル・ベイは、アク・コユンル族の統治者だったウズン・ハサンの息子でしたが、アク・コユンル族とオスマンが戦ったオトゥルクバシュの戦い(1473)で命を落としたと考えられています。


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“アタテュルクを侮辱した”歴史家が逮捕された

2017年05月13日 | 
5月13日 トルコ共和国の建設者ムスタファ・ケマル・アタテュルクを侮辱したとして逮捕状が出ていた2人の歴史家の1人が、5月12日、イスタンブルで逮捕されたと、ドーアンニュースが報じました。

 Hurriyet

イスタンブルの裁判所は、「アタテュルクの記憶を侮辱し」「人々の憎悪と敵意を煽った」として、歴史家シュレイマン・イエシルユルト氏の逮捕を命じました。逮捕状が出た後、彼は、イスタンブル・バクルキョイ裁判所に出頭し、アタテュルクを侮辱したことはないと主張しました。

イスタンブルのエルトゥールル・サルヤル主任検察官は、5月11日、イエシルユルト氏とハサン・アカル氏に、テレビ番組でのコメントに関するようぎ逮捕状を出しました。2人の発言は、政治家、作家、歴史家、ソシアルメディアの利用者たちを憤慨させました。バクルキョイの主任検察官事務所は、イエシルユルト氏が“アタテュルクの記憶を侮辱した”か否かの調査を開始し、また、アカル氏の、アタテュルクの母親に関するコメントについても調査を始めました。

“Derin Tarih”(歴史の深層)という民放TVショウの司会者を務めていたイエシルユルト氏は、5月6日、「アタテュルクの養子の1人アフェト・イナンは、彼の事実上の妻だった」と主張しました。アカル氏はさらに、「アタテュルクは私生児だった」と主張し物議を醸しました。

イエシルユルト氏とアカル氏に対する拘束命令が、検察から警察に送られたと、5月9日、アナドル通信が報じました。警察が訪れたとき、容疑者たちは自宅にいませんでした。


ロシア政府報道官の令嬢がアンタリヤでファッション・ショウに出る

ロシア政府報道官ドミトリー・ペスコフ氏の、トルコ生まれの令嬢エリザヴェッタ・ペスコワさんが、ファッション・ショうに出るために、トルコ南部のリゾート地アンタリヤを訪れる予定です。

 Hurriyet

ペスコワさんは、トルコ最大のファッション・ショウ「ドッソ・ドッシ・ファッション・ショウ」に出るため、アンタリヤを訪れると発表しました。ショウは6月8日から13日まで開催されます。ペスコワさんは1週間の滞在中、アンタリヤで、観光関係や既製服業界の代表たちとの会合を開きます。

ペスコワさんは、父親が1990年から2000年、ロシア大使館勤務中に、アンカラで生まれました。


エルドアン大統領が“シリアのツイッター少女”にIDカードを渡した

5月12日、エルドアン大統領は“シリアのツイッター少女”バナ・アラベドちゃん(7歳)に、トルコ市民のIDカードを渡しました。彼女は戦いに荒廃したアレッポーからツイートして世界の注目を集めました。

 Hurriyet

エルドアン大統領は中国へ発つ前、アンカラのエセンボーア空港で、アラベドちゃんの家族と会いました。大統領は家族にIDカードを渡し、いっしょに写真も撮りました。アラベドちゃんは幼い身で、積極的にツイッターを利用し、故郷のアレッポーの状況を伝えて世界に知られました。

多くの人々が読んでいる彼女のツイッター記事には、瓦礫が散乱する街路など、アレッポーの惨状を伝える写真が添えられていました。彼女は2016年12月19日、アレッポーから撤退しました。彼女は家族とともにトルコに移住し、エルドアン大統領からアンカラの大統領宮殿に招かれたこともありました。


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