「諸君!チャムスの荒野の未開地には内地から武装農民が鳴り物入りで入植しています。
冬は零下三〇度にまで下がる大地です。
食うや食わずでゲリラの襲撃に怯えている一方で、
新京の料亭では幹部が芸者を侍らせて毎晩、豪勢な宴会を繰り広げている。
もっと下の将校たちも、ゲリラの討伐に出るとしばらく酒が飲めないと云って、
市中に出て酒を飲み、酩酊して酒席で秘密を漏らしてしまう。
果ては討伐に一週間出て、功績を上げれば勲章が貰えるというので、
必要もないのにむやみに部隊を出す将校もいる。
ですがゲリラにも遭遇しません。
これが軍の統計上、一日に平均二回、討伐に出ていると称していることの実態です。
皇軍は腐敗し切っているのです。
こんなことで満蒙の生命線は守れますか?
日清日露を戦った貧しい兵士一〇万人の血で贖われた土地ですよ!
みなさん!
必要なのは粛軍!
それゆえ我々は蹶起したのです!」
・・・中橋中尉 ・ 幸楽での演説 「 明朝決戦 やむなし ! 」
万民に
一視同仁であらせられるべき英邁な大御心が
我々を暴徒と退けられた。
君側の奸を討つことで大御心に副う国内改革を断行する。
これらを大義とした蹶起が、なんと陛下ご自身から拒絶を受ける。
一命を賭した直接行動は、単に大元帥陛下に弓を引くだけに終わったのか。
オレの蹶起行動になんの意味があったのか。
・・・万民に 一視同仁であらせられるべき英邁な大御心が 我々を暴徒と退けられた
中橋基明 ナカハシ モトアキ
『 義を見てせざるは勇無きなり 』
参加の動機は如何との法務官の問に、そう答えた
目次
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・ 昭和維新 ・中橋基明中尉
・ 中橋基明中尉の四日間
中橋中尉は抜刀して号令をかけた
「 気を付け 前列三歩前へ 番号 右向け右 前へ進め 」
こうして前列の者が第一小隊となって出発した
途中シャム公使館のくらがりで停止、
第一小隊だけに実包が配られた
中橋中尉は実包を私ながら小さな声で
「 国賊高橋是清を倒せ 」 と号令した
・・・近衛歩兵第三聯隊七中 隊龍前新也二等兵
雪未だ降りやまず(続二・二六事件と郷土兵)から
・ 中橋基明中尉 「 吾、宮城を占據す 」
・ 朝日新聞社襲撃 『 國賊 朝日新聞を叩き壊すのだ 』
・ 朝日新聞社襲撃 ・緒方竹虎
・ 中橋中尉 ・ 幸楽での演説 「 明朝決戦 やむなし ! 」
・ 最期の陳述 ・ 中橋基明 「 大義のために法を破ったものであります 」
吾人は決して社会民主革命を行ひしに非ず。
国体叛逆を行ひしに非ず。
国の御稜威を犯せし者を払ひしのみ。
事件間、維新の詔勅の原稿を見たる将校あり、
明らかに維新にならんとして反転せるなり、
奸臣の為に汚名を着せられ且つ清算せれるるなり。
正しく残念なり。
我々を民主革命者と称し、我々を清算せる幕僚共は昭和維新と称するなり。
秩父宮殿下、歩三に居られし当時、
国家改造法案も良く御研究になり、改造に関しては良く理解せられ、
此度蹶起せる坂井中尉に対しては御殿において
「 蹶起の際は一中隊を引率して迎へに来い 」 と仰せられしなり。
之を以てしても民主革命ならざる事を知り得るなり。
国体擁護の為に蹶起せるものを惨殺して後に何が残るや、
来るべきは共産革命に非ざるやを心配するものなり。
日蘇会戦の場合果して勝算ありや、内外に敵を受けて如何となす。
吾人が成仏せんが為には昭和維新あるのみ。
「日本国家改造法案」は共産革命ならず。
真意を読取るを要す。
吾人は北、西田に引きづられしに非ず、
現在の弊風を目視し之を改革せんとするには、
軍人の外非ざるを以て行ひしなり。
« 註 »
文中、維新の詔勅の原稿を見たる将校あり、というのは安藤輝三大尉のことである。
また、秩父宮殿下が坂井直中尉に対して 「 蹶起の際は一中隊引率して迎へに来い 」 と謂われたとあるが、
坂井中尉は これについて何も書く残していないので、確める術はない。
殿下との連絡将校であった坂井中尉がふと話したことが、おそらく中橋中尉に強く印象づけられたのであろう。
・ 中橋基明 『 感想 』
・ 中橋基明 『 随筆 』
・ あを雲の涯 (十一) 中橋基明
・ 昭和11年7月12日 (十一) 中橋基明中尉
昭和一一年七月一二日(日)早朝 死刑が執行される
中橋基明中尉のみは
一発、二発で落命せず、三発目にして落命した、
全身血達磨であったと謂う
笑ひ声もきこえる。
その声たるや誠にいん惨である。
悪鬼がゲラゲラと笑う声にも比較できぬ声だ。
澄み切った非常なる怒りと恨みと憤激とから来る涙のはての笑声だ。
カラカラしたちっともウルオイのない澄み切った笑声だ。
うれしくてたまらぬ時の涙よりもっともっとひどい、形容の出来ぬ悲しみの極の笑だ
・・・磯部浅一 ・ 獄中日記 (三) 八月十二日 「 先月十二日は日本の悲劇であつた 」