あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

西田税 「 このように亂れた世の中に、二度と生れ變わりたくない 」

2021年08月05日 11時49分31秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)

(昭和十一年)十月二十二日、
死刑の求刑に対して北は、こう述べている。
「 裁判長閣下、青年将校等既に刑を受けて居ります事故、
私が三年、五年と今の苦痛を味う事は出来ません。
総てを運命と感じております。
私と西田に対しては情状酌量せられまして、
何卒求刑の儘たる死刑を判決せられん事を御願ひ申上げます 」

西田も同じように
「 二度と私は現世に生れ苦痛をいたしたくはありません。
狭い刑務所であります故、
七月十二日に十五名の青年将校及び民間同志が叛乱逆徒の汚名を着た儘、
君が代を唱へ聖寿万歳を連呼しつつ他界した事は、
私の片身を取られたと同様でありました」

と 陳述している。
死を覚悟している北や西田のことだ、
もっと痛烈な皮肉や批判の言をはなったことだろうが、
これは 公式な記録だから記録として残していないと思われる。
「 あるいはこの日であったかも知れないが、
私の記憶では翌くる年の十二年七月の中旬ではなかったかと思う。 
北、西田の最後の陳述を傍聴した。
その情景は今でも忘れられない 」
と、川辺はこう語った。
その日、北、西田の最後の陳述があるというので、川辺も第五法廷に入って傍聴した。
はじめに起った 北一輝は、国家改造方案は不逞思想ではない。
やがていつかは日本が行きづまった時、私の所説が必要になってくるだろう。
私の改造論を実現しようとして、青年将校たちが蹶起したとは思わないが、
彼らはもう既に処刑されている。
私も彼らに殉じて喜んで死刑になる気持ちでいる、
と淡々とした語り口で述べたのち、
最後にこう言った。
「 私はこれで喜んで極楽へ行けます。
お先に行って、皆様のおいでを待っております 」

と、笑みを含んだ顔で、深々と頭を下げた。
川辺は思わず涙ぐんだ。
こう淡々として死が迎えられるものだろうか、
話に聞く高僧の心境というのはこういう境地をさすのか、
と 心から感動した。
とたん、判士の一人が
「 馬鹿奴、貴様のような奴が極楽へ行けるか。貴様は地獄だ 」
と、憎々しげに吐き捨てるように言った。
「 心性高潔な被告と、品性下劣な裁判官とを象徴する言葉で、
巧妙なコントラストを見る思いであった 」  と、
西田税 
続いて西田が起ち、北と同じような所懐を述べたのち
「 昔から七生報国という言葉がありますが、
私はこのように乱れた世の中に、二度と生れ変りたくはありません 」

と、結んだ。
退廷する時、西田は川辺の顔をみて、微笑んだ。
「 おお、川辺か、よく来てくれた 」
と、声をかけてきた。
川辺は笑って答えようとしたが胸が迫って声が出ない。
黙って深く頭を下げたが、涙がホロリとこぼれた。
これが西田を見た最後であった。
しかし、川辺は西田のさっきの言葉が気になった。
「 せめて勇ましく七生報国、
七度生れて国に報いんと言ってくれるかと思ったが、
案に相違した西田の言葉は、なんとしても不満だ。
その夜、師の御坊の所へ聞きに行った 」
と、いう。
川辺は陸士に在学中、父親に死に別れ、
自身も死生の間をさまようような大病を病んで死生の問題を深く考えるようになった。
西田たちが国家改造論議に熱をあげているのを尻目に、
川辺は宗教書や哲学書を枕読していた。しかし、どうしても疑問が解けない。
大正十三年砲工学校に派遣されていた時、
顕本法華宗の大僧正 本多日生の講演を聞いた。
その話のなかに
「 人格実在論、霊魂不滅論の哲学的論証は、法華経以外では解決することはできぬ 」
と いう言葉があった。
これだと直感して、宿所の目黒の常楽寺を訪ねて、教えを乞うた。
本多日生は
「 今の君は 言ってみれば小学生程度だ。
小学生は算術は解けても 微積分はわかるまい。
微積分が理解できるまで修業することだ 」
と 言って、良い師僧を紹介してくれた。
妙満寺派の綜合宗㈻林の学頭、本村日法という権大僧正であった。
その頃、早稲田の正法寺に座っていた。
川辺は週に三回 ここに通い、本村日法の教えを受けることになった。
川辺の言う師の御坊とは、この人であった。
日法は川辺の不満らしい口吻を、静かに抑えて
「 いやいや、そうではない、
恐らくこんな言葉を吐ける人は万人に一人といないであろう。
死生を達観した達人、高僧の心境である 」
と、教えてくれた。
「 あの頃、西田も私も今流で言えば三十五か六、血気盛んな壮年だ。
こんな若い年で、こうした心境に到達した西田という奴は大した奴だ。
と 今さらのように感服したことを覚えている 」
と、川辺は語っている。
西田税 二・二六への軌跡 須山幸雄著 から
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西田税の最終陳述
私モ結論ハ北ト同様、死ノ宣告ヲ御願ヒ致シマス。
 私ノ事件ニ對スル關係ハ、
單ニ蹶起シタ彼等ノ人情ニ引カレ、彼等ヲ助ケルベク行動シタノデアツテ、
或型ニ入レテ彼等ヲ引イタノデモ、指導シタノデモアリマセヌガ、
私等ガ全部ノ責任ヲ負ハネバナラヌノハ時勢デ、致方ナク、之ハ運命デアリマス。
私ハ、世ノ中ハ既ニ動イテ居ルノデ、新シイ時代ニ入ツタモノト観察シテ居リマス。
今後ト雖、起ツテハナラナヌコトガ起ルト思ハレマスノデ、
此度今回ノ事件ハ私等ノ指導方針ト違フ、自分等ノ主義方針ハ斯々デアルト
天下ニ宣明シテ置キ度イト念願シテ居リマシタガ、此特設軍法会議デハ夫レモ叶ヒマセヌ。
若シ今回ノ事件ガ私ノ指導方針ニ合致シテ居ルモノナラバ、
最初ヨリ抑止スル筈ナク、北ト相談ノ上実際指導致シマスガ、
方針ガ異レバコソ之ヲ抑止シタノデアリマシテ、
之ヨリ観テモ私ガ主宰的地位ニ在ツテ行動シタモノデナイコトハ明瞭ダト思ヒマスケレド、
何事モ勢デアリ、勢ノ前ニハ小サイ運命ノ如キ何ノ力モアリマセヌ。
私ハ検察官ノ 言ハレタ不逞の思想、行動ノ如何ナルモノカ存ジマセヌガ、
蹶起シタ青年将校ハ 去七月十二日君ケ代ヲ合唱シ、天皇陛下万歳ヲ三唱シテ死ニ就キマシタ。
私ハ彼等ノ此聲ヲ聞キ、半身ヲモギ取ラレタ様ニ感ジマシタ。
私ハ彼等ト別ナ途ヲ辿リ度クモナク、此様ナ苦シイ人生ハ續ケ度クアリマセヌ。
七生報国ト云フ言葉ガアリマスガ、私ハ再ビ此世ニ生レテ來タイトハ思ヒマセヌ。
顧レバ、實ニ苦シイ一生デアリマシタ。懲役ニシテ頂イテモ、此身体ガ續キマセヌ。
茲ニ、謹ンデ死刑ノ御論告ヲ御請ケ致シマス。