あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

村中孝次 ・妻 靜子との最後の面會

2021年08月19日 14時01分31秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)


村中孝次

昭和12年8月16日

面會人
妻 静子
義弟 宇野 忠
面会時間三十分


村中
どうして來たのか

役所から電報が參りましたから驚いて來ました
村中
そうか  皆元氣で居るか

はい 元氣です
本を送らうと思ひましたが忠様が來る時 持って來て貰ふ心算でした
村中
約一年も殘って 別に大したこともないのだから
もう長くもあるまい

兄様 ( 修一 ) は チチハルに轉任しました  副官だそうです
村中
そうか 少佐の副官とは守備隊がな
兎に角 お前達も暑い時だから確り元氣出して氣を強く持って居らねば駄目だよ
僕は大學に入らず地方に居ったら最早満洲にでも行って 前に死んで居るのだが
永遠の死場所を見つけ出したは幸福だよ
俺も同志の遺族の爲に力を盡くしたいと思ったが出來ない
未だ他に殘って居る人が多くあるから見捨てはしないよ 心配するな
僕らも理想を持って居たが 全く水の泡になった
時に法子は未だ乳を飲むか

はい 時々飲みます
村中
兄様方は軍人だから安心は出來ないから
忠様がこれからは全責任を持って居て下さい
頼みます

承知しました  一生懸命にやります

私は花を一週に二回宛して居ります
後は何とでもして行きますから御心配ないやうに願ひます
村中
それで僕も安心だ
別に殘すことはない
體を大事にしてくれ

よく解りました
では 明日でも出来たら参ります
刑囚に対する面會人の狀況  昭和十二年八月十八日
陸軍大臣  杉山 元 殿    憲兵司令官  藤江惠輔
から


家族寫眞  9. 6

昭和12年8月17日

面會人
妻 村中静子
義弟  宇野 正

法子の冩眞は今日見たよ

そうですか 文子さんが冩して下さったのです
皆様が宜しく傳えて下さいと申しました
高崎さんが私の処に御訪ね下さいました 宜しくと申されました
住所はお聽き致しませんでしたが 東京にお住まひと云ふ事です

今度の事變で俺の知って居る者も戰死したと云ふ様な事を新聞で見ないか

別に見受けません

俺と同期の大學の聯中はもうそろそろ中央に來る頃だと思ふ

そーですかね
只今 北さん 西田さんの奥様方にお會ひしましたが 貴男に宜しくお傳へ下さいと申されました

そうか 皆様 お達者で何よりだ
法子は親に似て腹の弱い子だから 將來此の點 充分注意して養育して呉れ
法子の歯の方は快くなったか

まだ快くなりません 今少し治療したら護謨を詰める事になって居ります

相澤さんの奥様の病氣は快方になったか

もうすっかり良くなりました

そうか
杉田 ( 省吾 ) さんから 暑中見舞が來た
杉並の方に移轉したと云ふ事だが 電話まで持って居る様であるが 妻君が何か又商賣でも始めただろうか

私も移轉された事はお伺ひして居りますが お目にかかったことはありません

其れから お前に云って置くから
楠公父子のあの忠死によって其の名は永遠に伝へられて居る事は お前も承知の通り
北、西田 両氏の死に依って日本改造法案は益々普及發展し正価を高める事になる
各々死に依って二 ・二六事件は永久に忘れられない事だろうし
吾々の持って居た信念も必ず認められる時代が來ると思ふ
去年の事件以來世の中の空氣は随分變わって來た様に思はれる
十年後にはもっともっと變わると思ふ
俺の死は満州で戰死すると同様な氣持で居る
只 氣の毒なのは遺族のお前や法子である
これも仕方がない
私の心を お前は克く知って居るのであるから 堅い信念を持って法子を立派に育てて呉れ
( 此時 妻は泣き出して何とも答へず )
夫れから正君も是からいろいろの苦勞もあると思ふが、どうか奮闘して立派な人となって呉れ
義弟
能く解りました。必ず努力致します。

夫れから 役所の方に遺體の引取方を申込んで置け
監獄令で見ると引取人のある時は下附される事になって居るから、兎に角 申込んで置て呉れ。
今年は八月になって非常に暑くなって、まだ暑さも當分續く事だと思ふが
東京は仙台より暑さが激しいから、特に病氣に罹らぬ様に注意せよ。

よく氣をつけます
何かお望みの差入れものはありませぬか

別に欲しいと思ふものはない
菓子類は澤山あるから入れるな

そーですか
では 失礼します

面會人
獨立山砲兵第一聯隊中隊長 陸軍砲兵大尉 宇野 弘 ( 義兄 )
義兄
暫くでした。
靜子から電報が來たので只今到着した
村中
よく來られたな
動員中で忙しいだろう
靜子に會ったかね
義兄
いや 今迄此処に居たと云ふ事であったが、一足違ひで會へなかった
是から靜子の処に行く心算だ
村中
住所は解って居るかね
義兄
今係の人から住所の方は聽いた
實は俺にも近い内に動員令が下ると思ふから、明日は歸る事になって居る
或は之が最後のお別れになるかも知れないが、後のことは心配するなよ
村中
有難ふ
今度は思ひがけなく會へて嬉しかった 此れで結構だ
兄も進級したと云ふ事で喜んで居る
然し 獨立守備隊に行って随分長いからな、叛亂の弟を持って居るので内地に轉任させないかな
義兄
そんな事はあるものか
獨立守備隊に行けば、三年以上は轉任しない様である
兄はまだ満三年にならないから殊更に長いと云ふ事はないよ
村中
そーか、動員令が下って出征しても貴公は砲兵だから比較的危險は少ないが、
歩兵の方はなかなか危險の事が多いからな。
子供はまだ出來ないか。
義兄
まだだ
村中
成績が惡いな
身體の方はどうだね、顔色は大變にいい様だが。
義兄
砲兵學校に行ってからすっかり達者になった。
村中
砲兵學校の方は恩賜どうした、逃してしまったか。
義兄
うん 駄目だった
貴公の方は腹の具合はどうだね
村中
俺の方は別に變わりはない、最近は調子が良いよ。
外部の事は何も知らないが時々 「 ラヂオ 」 の 「 ニュース 」 が聽へるし、
召集されてゆく者の見送の人々の萬歳萬歳の聲が手に取る様に聽へるので、大體想像はつくよ。
支那ばかりでなく、ロシアの方が危險だな
貴公などは第一番にウラジオストックあたりにやられはせんかな
義兄
其は解らんさ。
此の前の上海事變の時と違って支那もだんだん戰備が完備して來たからな
村中
俺も前に改正された歩兵操典を研究したが、大分違って來たな。
義兄
うん 違って來た。
北海道の兄さんには何日會ったか。
村中
去年會った儘で今年はまだ會って居らない。
俺の方の親類は餘り當てにならないから將來宜しく頼む。
貴公や兄等に俺の様な叛亂の弟を持って随分今迄迷惑をかけたと思ふが、將來の事に就ては尚宜しく頼むよ。
義兄
いや 別に迷惑もかかって居らない
將來の事に就ては心配するな
では 俺は先に話した様に非常に忙しい中を隊長に話して來たのだから、
明日は歸るから 此れでお別れになるかも知れぬが、將來の事に就ては安心してくれ。
では お別れする
何か用事があるか
村中
いや 別に用事はない。忙しい所 有難ふ。
刑囚に対する面會人の狀況  昭和十二年八月二十日
陸軍大臣  杉山 元 殿    憲兵司令官  藤江惠輔
から