あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中橋基明『 随筆 』

2021年08月24日 05時17分47秒 | 中橋基明

随筆
塞翁が馬
「 人間萬事塞翁馬 」 といふ古語があるが、

世の中は 全く此の通りだと思ふ、
自分の思ふ通りになつた 嬉しいと思って居ると、
それが不幸の原因となつてくる、
實際 世の中の事は儘にならぬ、
自分の今迄の生立を考へると正しく 「 塞翁が馬 」 である、
幸福は不幸の原因となり、
之が亦幸福の原因となつて居る、
結局人間は幸福を願ふ事が余りに強烈であり過ぎるのぢやないかと思ふ、
そして 不幸だ不幸だと思ひつつ不愉快に日を送る、
実に無駄な話である、
それから又幸福だと言つて決して之に酔つてはいけない、
幸福の裏に不幸が待構へて居る事を考へ、
戒心と過度とを失はない事が必要である

世の中に大した不自由もなく生活して居ると、

特に現代の如き社會に居る時、
人は恩と言ふものを忘れ勝である、
特に浮薄なる外來思想の輸入は益々之を増長せしめて居る、
吾人の受けて居る恩は君、國、父、師の恩のみではない、
而して
これのみにても とやかく説明をしなければ分らない徒輩がだんだん多くなつて來たのは残念であるが、
一つは世間が甚だ功利主義に流れ、
平穏で便利な 且 忘恩的な施設に基因するが、
之等を駆りて不自由な不便な境遇に入れる時、
始めて衆生の恩をつくづく感ずる事である、
自分一人自主独行して居ると思つたら大間違ひである、
吾人は一粒の米にも 百姓馳走の恩を感ずる、
まして 日常吾人をそだててくれる萬象、すべてに恩を感ぜざるを得ないのである、
太陽の無心にして無上の寄進に対しては、つくづく感謝の念を起すことである、
人間は慣れてはいけない、 絶えず 深く 己に反省しつつ 世を送る事が必要である、
しかる時 この己一個に対する衆生の恩をひしひしと感ずる事が出來るのである

「 生者必減 」 即ち 死は此の世に生を享くる者にとりて不可能の事である、

いくらもがいても時の大きな歩みは 吾人をして一歩々々死に追ひつめて居る、
この様にして 死は一日々々と近づく、
又 何時突発的の事が必要つて不意に死ぬかも知れない、
かう思ふと實に人生は たよりなくなる、 どうしたら良いか、
即ち 生き甲斐のある様にするにはどうしたら良いか、
此の生き甲斐は決して幸福を追ふ者には与へられない、
生き甲斐とは 言換へれば 死に甲斐でもある、
一つは 大きな事業をなし終へた時には もう死んでも良いと思ふ、
之が生き甲斐でもある、
只 食つて生きて 其の中に死んで行くと言ふ様な生活では とても死と言ふものを超越することは出來ない、
其の日の境遇に満足し 反省し 充實した生活をしてこそ、
亦 生き甲斐があると言へる、 人間の慾は果てしない、
之を追つたら満足することは決して無いだらう、 結局慾を追ふ内に死の中へ飛び込む事になる、
人間はよろしく笑を含んで死んで行ける境地にまで進むを要する、
死に甲斐のある様な生活をする、 死は即ち 生の完成である
善悪
時代と言ふものは面白い、
絶えず大きな歩みを進めて居る、
そして世間に善惡の物差を示して居る、
由來、 時代と言ふものは先覚者を迫害する 若干 例を述べると次の様である クリストは十字架の露と消え、
ソクラテスは毒殺せられ、 我國に於ては日蓮上人は様々な迫害を受けた、
宗教でさへも之である、 だから宗教の勃興した中世紀の西洋に於ては 科學者は極刑に遭つて居る、
之等の事實は現代に當てはめて考へると不思議に感じさへする、
これは結局、 時代の物差の寸法の異りから生ずる善惡の境界によつて生ずるのである、
今日の惡い事も 將來善くなると言ふ事を、
誰が斷言しても之を反對する事は出來ぬだらう、
時代と言ふものは得て気まぐれではある、
時代よ、
すべてに寛大であれ
感謝
じつと考へると、自分の身の上を考へると、

吾人は感謝の念が強く湧き起るのをおぼえる、
かうやつて三十年の長い間 此の世の中に生を享けて來た事を考へると、
之迄に あらゆるものから受けた恩を思ふと、実に無限大で無数である、
之等に対して只 合掌したい気持である、
只 「 ありがたうよ 」 「 ありがたうよ 」 と、萬遍となく 口の中にくりかへさざるを得ない、
實に有難い極みである、
之を思ふと涙さへ出る、
感謝の念である、
世の中一切に對する感謝の念である
名も知らぬ 真白き虫を室に見つけて 
---七・六
御仏の使なるらん
眞白なる 

小さき虫の室に居りたる
名も知らぬ
小さき眞白の虫を取り
窓辺にそつと はなちやりけり
御使の役を果して虫は今
何処ともなく飛去りうせぬ
中橋基明 

有難き事
昭和九年二月
皇太后陛下の高尾御稜へ行啓になられし際、
供奉將校として服務せり、
還御の際に御召列車中に於て 拝謁を仰せ付けられ、
畏くも 御語を賜はれり
今日の勤務御苦労様でした
實にこの世に生を享けてはじめての最大の光榮なりき
昭和九年四月 満洲派遣に際し 両陛下に拝謁を仰せ付けられ、
皇后陛下より 畏くも御語を賜れり
御體を大切に
實に有難き極なり

以上の二の有難き事どもを記し残す
謹みて 天皇陛下 皇后陛下 皇太后陛下 に 對し奉り、
此世に生を享けし事の感謝感激の意を表し奉る
謹みて而 父の恩 母の恩
此の広大無辺の兩恩の前に、靜に瞑目合掌す
不肖  孝未だ全からず、
十分に副ひ得ざりしを遺憾とす
天を仰ぎ 地に俯し 深く感謝の念に燃ゆ、
庶幾くば 多幸ならん事を祈上ぐ
天皇陛下萬々歳
昭和十一年七月十一日終之

絶筆
只今最後の御勅諭を奉讀し奉る。
盡忠報告の至誠は益々勃々たり、心境鏡の如し
七月十二日午前五時

永別
五月雨の 明け往ゆく空の 星のごと
  笑を含みて 我はゆくなり
いざともに まだ見ぬ道を 進みなん
  御空の月日 しるく照せよ
身は竝に 消えゆくとも永く 我が霊は
  残りて國に なほ盡さなん
國のため いたせし赤き 誠心は
  風のたよりに 傳へらるらん
身は此処に 消ゆくとも永く 我が霊は
  残りて國に なほ盡さなん
憂き事の かゝらばかゝれ 此の我が身
 鏡に清き 心やうつらめ
春寒み 梅と散りなば 小春日の
 菊の花咲く 時も來つらん
三十歳の はかなき夢は 醒めんとて
 雲足重く 五月雨の降る
身を捨てゝ 千代を祈らぬ 益荒夫も
 此の世の幸は これ祈りつゝ
今更に 何をか言はん 五月雨に
 唯濁りなき 世をぞ祈れる
今此処に 世をば思ふと すべなきも
 なほ心にする 黒き浮き雲
大宮の 御階の塵を 払ひしも
 なほぞ残れる 心地こそすれ
降りしきる 五月雨やがて 晴れゆきて
 宮居の空は 澄みわたるらん
昭和拾一年七月十一日  中橋基明

河野司著  ニ ・ ニ六事件 獄中手記遺書 から