あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

西田税 ・ 家族との最後の面会

2021年08月07日 12時11分08秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)


昭和12年8月16日
面会人
実姉  星野由喜世 ( 四六 )
実姉  村田茂子 ( 四〇 )
実弟  西田 博 ( 三一 )
実弟  にしだ正直 ( 二八 )
同妻  綾子 ( 二九 )
西田
御遠路有難う御座います。

兄様も来たいと申しましたが 何分忙しいので失礼致しますと謂ひました。
尚 前回上京の際は 色々とお世話になりましたと御礼を申して居りました。
西田
私はもう会へないと思って居りました。

私も会へないかと思ひました、 又 病気の時は嘸そざ御難儀でしたろう。
西田
やはり 病気では死なれないです。
新聞でお解りのことと思ひますが私の事は大体新聞の通りです。
御上の方も私の気持ちはよく汲んで下されたが、何分大変なことをしたのですから 其責任は免れませぬ。
然し、肉体は死んでも精神は必ず皆様を守って居ります。
私は軍人になった時は死は覚悟して居りました、
五・一五の時 汚名を着て死ぬより 又 病気で死ぬより 余程幸福です。
夫れから 博、正尚 等も決して私の意思に反してはならん、
遺書にも一寸書いてあるが初子と皆で読んでくれ。

お母様は今度 来ませぬが、能く解して居りますから心配しないやうに。
西田
初子には話したが、後始末の事だが 僕の遺骨は半分は国に送って呉れ、
其他は何としても都合のいいやうにして呉れ。
夫れから正尚には、秩父宮殿下より御下賜された襯衣はだぎと 「 カウス 」 釦を家宝として呉れ。
星野には東郷元帥の和歌を贈る。
博は相続人だから別に何もやらんでもよいだらう。
村田の姉様には書を上げる。
書は成丈 所々に配分したくない、僕の恥になるから。
別に話すこともない、是で僕も喜んで逝けます、皆仲良くして呉れ。
星野/村田
では又参ります。
今日は之で失礼します。
死刑囚に対する面会人の状況    昭和十二年八月十八日
陸軍大臣  杉山 元 殿    憲兵司令官  藤江惠輔

昭和12年8月17日
面会人
実姉  星野由喜世
実姉  村田茂子
実弟  西田 博
実弟  西田正直
同妻  綾子
従弟  佐藤有亮
西田
佐藤君有難う 色々お世話になりました。
佐藤
小生こそ色々お世話になりました。
星野
此処へ来て見ると何故うちの人も連れて来なかったかと思って お前に申し訳ありません。
西田
いえいえ 是れだけ会へたら満足です、私は会へないと思って居たのですから。
私が病気の時等は自決する心も起した時もありましたが、後の事が気になって思ひ止まりました、
夫れに私は五・一五の時には胸の病気が出ないのに 今度胸の病気が出て一寸苦しみましたが、
非常な手厚き取扱で命は助かりました。
星野
本当に私は皆様から承りましたが、今度の病の時には大変よくして下さったそうですね、
御礼を言ふにも誰に申して良いやらで 其儘にして居りますが、非常に親切にして貰ったそうですね、
有難いことです。
西田
正尚に言って置くが お前は決して俺の様なことをしてはならん、
間違のない様に真面目に働いてくれ、私の信念は先日出た判決文の通りであるが、
私の心だから何事も誤解せぬ様に。
博は肥へ過ぎて居るから酒の方を注意せよ。

承知しました、兄様の言ったことを能く守り 皆で働いて行きます。
西田
写真はやはり前の写真が出ただらうか、誠に拙い写真でね
皆も一度はいい写真を撮って置くがよい、べつにもう話すことはない、安心して逝ける。
星野
私も帰って子供等に皆お前の言ふことを伝へます。
西田
そうして下さい、では皆様元気でいて下さい。
一同
では もう帰ります
死刑囚に対する面会人の状況    昭和十二年八月二十日
陸軍大臣  杉山 元 殿    憲兵司令官  藤江惠輔