あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

岡田の伯父さんが生きておられたことをできいて、私はホッとしました

2021年08月21日 11時08分21秒 | 丹生誠忠

叛乱軍のなかで、
陸軍省、陸軍大臣官邸を襲撃した部隊の指揮官は、
丹生誠忠中尉であった。
これは私の母の妹の子、すなわち私にとっては従弟にあたる。
従弟のなかでもその父親は岡田総理とも親しい海軍大佐であった。
親ゆずりの性質のよい、立派な青年だった。
私たちはもちろん彼が叛乱軍に投じていようとは夢にも思わなかった。

丹生誠忠中尉
二月二十六日午後、
私が宮内省にいっているとき、彼は官舎に電話をかけてきて、
妻の万亀を呼びだして、
万亀子さん、ずいぶん驚いたでしょう。
しかし、もうこれ以上なにもおこりませんから安心してください。
お父さんには、ほんとうに申訳ないと思っています
と いってきた。
妻は
「 あなた いまどこにいるの 」
と きくと
「 陸軍省にいる 」
とのことだった。
そのころはまさか丹生が叛乱軍の一味とは思いもかけないし、
陸軍省が占領されていることも想像さえしなかったので、
妻は彼をこちらの味方と思い、
早く官邸を占領している兵隊たちを追払ってほしい
と いったそうである。
丹生は、
「 久常さんや あなたや お伯母さんには
なんら危害を加えることはないから大丈夫ですよ 」
といって 電話がきれた。
このときのことをいまでも妻は、
「 あのときもし、私がお父さんは生きていらっしゃるのだから、
なんとか助けだしてよといったら、どうなっていたかと思うと、思うだけでもぞっとしてしまう 」
という。
相手は近い親類だし 味方とばかり思っているときなのだから、
この話をしなかったということのほうが、むしろ不思議である。

この丹生中尉は、その年の正月、私の官舎に年始にきた。
そのとき官邸に伯父さん ( 岡田総理のこと ) が いらっしゃるならお目にかかってゆくというので、
官邸の方にやって総理にあわせた。
総理は機嫌よく会った。
そのあと官邸をみたいというので、官邸の人が案内してまわり、
総理の居住区たる日本間から総理の事務所のある本館への通路などをみてまわった事実がある。
事件後 これは彼が官邸のなかを偵察にきたのだといわれたが、
そのときはもちろん想像もしていなかった。
しかし、さすがに事件当日は彼は官邸をさけて陸軍省を担当したのは、
その心持が判るような気がする。
 
岡田啓介総理大臣
二月二十八日 岡田総理がやっとの思いで参内した日の夜おそく、
総理は私に
「 丹生が叛乱軍のなかにいるんだな 」
と いうので、
私が
「 どうも申訳のないことです 」
と 答えると、
「 懲戒免官が発命されてしまっては仕方ないな 」
と 哀しげにいったときの総理の人情味を印象ふかく覚えている。

同じ年の七月、丹生の死刑がきまったのち、
彼から ぜひ会いたいと連絡があったので、
私は代々木の陸軍刑務所に面会にいった。
彼はすっかり覚悟もできていたようで、頼もしい姿であったが、
「 岡田の伯父さんが生きておられたことをずっとあとできいて、私はホッとしました。
冥途への道の障りが一つ減った感じです。
どうぞ長生きしてくださるように伝えてください 」
と いった。
私は許されるなら彼に抱きつきたい衝動を感じた。

栗原中尉
そのとき丹生は、栗原中尉にも会っていってくださいというので私は会った。
栗原中尉は私に
「 迫水秘書官、私はあなたにほんとうに見事にだまされました。
このことをあなたに申し上げたいと思っていました。
はじめ総理生存のことをきいたときには、
あなたのことを思い出してある感じを禁じ得ませんでしたが、
いまでは罪が一つでも少なかったことを喜んでいます 」
と いった。
私は恩怨をこえた、
人間としての複雑な感慨に打たれつつ刑務所の門をでた。

迫水久常 著  機関銃下の首相官邸 から