あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部淺一 ・ 妻 登美子との最後の面会

2021年08月16日 13時51分47秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)


昭和12年8月16日
面会人

妻 登美子
義弟  須美男
面会時間三十分



今日は早くから来たのか

午後一時 参りました

官房には 「 ラヂオ 」 が 良く聞こえるから外部の事も略々見当が憑く
支那の方も大分やって居る様だ

「 ラヂオ 」 も 余り聞かれないでしょう

そうか どうも不審の事があると思った
今日も午後面会を許すと云ふ事も変だね
近く あるのかも知れない  お母様は元気で居るのか

元気です

執行する時は 前日には多分入浴 髯そり 等をやるから解るよ
俺も昨年の今頃の様に元気がない  仏様になった
最早 死んで行く方が良いと思ふ

麻の襦袢が入って居りますか

入って居ない
俺は最後迄頑張ったから此頃は皆から嫌がられるよ
乱暴者だからね
然し 良く戦って来たよ  死んでも不足はない
然し どうも不振だね
近く やるかなァ  変だね
弟 ( 義理弟 須美男 )
大分 世の中からの人も解って来たらしいです

私は前からの事を総合して思ふと もう近日にあると思はれますから明日も参ります

早くやらねば此処の人も困るだらうからね
書物もあるが検査受けて許されたものは返されるだらう
遺書は明瞭に判って居るから少し書く心算だ
「 お前 」 等は 能く内を整理して何事も落着いてやらねばいけないよ
俺は安心して居るのだから 心配は要らない

では又
明日参ります
死刑囚に対する面会人の状況  昭和十二年八月十八日
陸軍大臣  杉山 元 殿   
憲兵司令官  藤江惠輔
から

昭和12年8月17日
面会人
妻 登美子
義弟  須美男

兄さん 何か言って置く事はないですか

別に無いが 俺は今死ねばいい死所を得たと云ふものだ
革命家が銃殺されると云ふ事は本望だ
俺は勇ましく死んで行くよ
昨年二月二十八日に同志が皆自殺すると云ふのを俺一人が引き留めたのだ
死を恐れたのではないが 男らしく調べられ言ひ度い事を言ひたかったからだ
昨年渋谷憲兵分隊に村中と二人で調べられた時
分隊の新聞を見るに大命に抗して云々と云ふことが出て居たので
俺は村中さんに向ひ 俺達はどうしても駄目だ
御経でも上げて死にませうと其時から覚悟はして居た
何時やられても俺は本望だ
何か準備が出来て居るか

私も何時の事か判りませんので 別に準備はしてありませんが覚悟はして居ります

そーか 然し 同志の中で俺程貧乏の家に生まれたものはあるまい
色々苦労はしたが 貧乏人の心持は同志の内で俺が一番知って居るので
貧乏人を助けたいが為に今迄闘って来たが 貧乏人の方で俺達が思ふ程云ふ事を聞かない
それだから 何時迄起っても貧乏人は苦労して居るのだ
俺も大陸軍を相手にして先を土俵際迄一時は追ひつめたから本望だ
お前達も余りメソメソするな

私は貴男にイロイロ申上げたい子とがりますが
今御話しすることは貴男に心配を掛けることになりますから云ひません
只 先日憲兵隊に呼ばれた時に 是非感想を書けと云はれましたので二三書きました。

其れから親友達に許されたら処刑された後で電報を十四五通出す積りだ
文面は此処の迷惑になってはいかんから 色々お世話になったと云ふ事丈け出すつもりだ
それから俺には古い借金があるのだ
今になっては先方から請求はすまいが だまって死ぬのも俺はいいが お前が心苦しい事があるといかんから言って置く

夫れは 私の方で全部解って居りますから よう御座います

夫れでも念の為言ふ
藤屋に二〇〇円位 他の一軒に七〇円位 宮路 ( 宮路作次か ) と 二人で飲んだのが一〇〇円位
山口の武学生養成所に二〇〇円 其他少ないのを入れると千円位あるかも知れぬ
俺は払ふ気はあったのだ
大臣になったらと思ったが 此んな事になったので払へなくなって了ったのだよ
須美男さんは学校を出たら早く嫁さんを貰ふ方が良いよ
女の選定は お前のお母さんか姉さんの様な人を貰へば間違いないよ

嫌ですよ冷やかしては

冷やかすものか 俺は女の一番豪えらいのは西田さんの奥さん 其次は お前だと思って居るよ
俺の遺骨の事に就て山口の方からは何とも言って来ないか

余り具体的な事は申しませんから 未だ何とも云って来ません

そーか お前達二人でいい様にして呉れればそれで満足だ
須美男さんも親孝行を忘れるな
俺はあの世に行ってからお前達のお父さんと自炊でもする積りだ
お前達は仏様に反抗するな
寿命だけは大事にせよ
尚 山田 ( 洋 ) に会ったら 俺は勇躍して死んで行くと云ふ事を伝へて呉れ

御会いしたら申上げて置きます

西田さんの奥さんは実に立派な方で
種々御厄介にもなって居るが御礼の手紙を出す事も出来ないので
お前達からよく御礼を申して置いて呉れ

承知しました
又 明日参ります
死刑囚に対する面会人の状況  昭和十二年八月二十日
陸軍大臣  杉山 元 殿   
憲兵司令官  藤江惠輔
から