Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

ソクラテス的 7/26 (火)

2005-07-27 00:00:00 | リュウガクジダイ
■あるメモ
>1つの課題に対してあらゆる方向から自分の知識を総動員して取り組み、
>それをとらえ直す。
>そして、実は何も自分はわかっていなかったのだということに気が付く。
>それを誠実に述懐できるものは幸いである。
>悪くすれば、借り物のこれまでの知識を、新たな借り物でさらに糊塗する。


これ、たぶん何かの本からの引用だと思うんだけど。2年前のメモ帳から見つけたもの(最近残った荷物の整理してるのだよ―)。たぶんその時の自分に「イタタタタ…」って感じで響いたんだと思います。
…ていうか、今でも耳にイタイ指摘かも。

人生は「なんだ、何も分かってなかったんじゃん」の繰り返し。でもさ、何も分かってなかったということに気がつけるようになるまでだって大変なんだよね。

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4 コメント

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ボクもどこかで。 (tsuku)
2005-07-27 12:03:24
いま夏の補講から帰ってきたところ。

試験の結果を返却。

で、勉強をしていないのがはっきりわかったので、少し厳しい口調で生徒を叱咤。

「問題集をやるように」「共通の概念を覚える」「いままでの知識を使うんだよ」とか、いろいろ。

で、Ruccoさんのブログを見たら、タイムリーな文章がありました。

「一つの課題に対してあらゆる方向から自分の知識を総動員して取り組む」

ボク自身、数学ではこれが一番大切だと考えている。

答えも大切だけど、課題に対して自分の知っていることを総動員していることの方が重要。でなきゃ、なんのために勉強してんの?って感じになる。

でもね、生徒にとっては違うみたい。問題が変わればなにか全く違う解き方をしなきゃいけないような感じを持っているみたい。

何とかして、自分の知っていることを使おうなんて考えている生徒は少ない。

なので、「何も自分はわかっていなかった」ことには気づかないし、裏を返すと「自分のわかっていることに気づかない。」



最近、2年生から担当している生徒の反応を見ると、ボクの授業って細かいところで他の先生方とえらく違うことに気づく。同じである必要はないと思っているけど。

途中から担当するのは大変だと思いつつ、生徒も慣れた先生ではなくなっちまったから、生徒も大変なんだよなとも思う。ボクのチャンネルと生徒のチャンネルが合うところを早めに探そっと。
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おつかれさま (Rucco)
2005-07-28 09:47:03
考えさせられるコメントでした。

>問題が変わればなにか全く違う解き方をしなきゃいけないような感じを持っているみたい。



数学できなかった私にはこの感じ分かってしまう。高校生の頃はそう思ってた(笑)。あちゃ。



>自分の知っていることを使おうなんて考えている生徒は少ない。



これは教える側の立場として分かるわ。私も教師だった頃はそう感じてたしね。知識の使い方が一面的なのだよね。まったくそっくり同じ穴埋め問題を出さないとできなかったり、穴埋めの( )の位置をずらすとできなかったり…。



生徒たちを分からないことが分かるレベル(自分を自分でモニターできるレベル)まで持っていくのは大変だと思う。でもやりがいはありそう。



それにしても先生の教え方の違いにいちいち適応できない生徒が増えてると思う。
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甘えてんじゃねーの?って思うとき (tsuku)
2005-07-28 11:34:51
先生が違うと適応出来ない生徒はたくさんいます。どうしたもんでしょう。



最近授業評価をする学校が増えてきているよね。ウチの学校でも昨年から始まってます。今年は学期ごとに評価をとるそうで、先日ボクも生徒に評価されたわけです。



生徒が先生を評価することに反対はナシ。だってプロなんだから「わかる授業」しなきゃ。

でもね、それだけでイイの?って思う。

他の人を評価する前に自分の評価じゃねーの?ってね。自分はどんだけ一生懸命にやったのか、自分の出来ることをどれだけ誠実にやったかを考えてからじゃないかと思う。



教師もサービス業だと思うので、生徒の希望を聞くことは重要。でも、「人を育てる」ときには、ときに嫌われるようなこともしないといけないときがある。それと、「生徒のために」と勘違いをして、やれば出来ることまでやっちゃう教師もたくさんいる。



そんななかで、授業の評価ってどうなんだろう?と思う。
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先生の評価だけなの? (Rucco)
2005-07-29 09:26:09
おぉ、出た。久々パンチ(笑)。

その授業評価、評価項目を見ていないのでなんとも言えないけれど、文面から察すると生徒自身の自己評価の項目は充実してないのかな。



でもそんな授業評価って意味あるのかな。目的は教員の授業力向上なんだろうけど。先生だけが向上すればいいのかな。それとも

「いい授業をすれば生徒はついてくる」

「だから最初は生徒の姿勢は問わない」

とかいう話になっちゃってるんでしょうか? 私立ならありえるか。



大学以上の機関ならともかく、高校生だとやっぱり自己評価の項目をつけておきたいところだね。



教師もサービス業、生徒はお客様、でも教育を施す…云々、このへんのジレンマは永遠につきまとうものなんだろうか。でも授業評価の項目に、生徒自身の自己評価項目を作っていないのだとしたら、高校はいつから予備校になっちゃったんですかと問いたいよ。
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