Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

三砂ちづるさんの詩

2015-10-12 17:48:13 | 本/心に残ったコトバ
素敵な詩に出会いました。
三砂ちづるさんという方の、「子どもを抱く喜びにひたって欲しい」という詩。
著者のことははっきり言ってよく知らなくて、
著作も読んだことがないけれど、
(例えば「オニババ化する女たち」光文社新書)
この詩はいいなぁと思いました。
毎日こどもと向き合って、
子育てにつかれちゃったら、
思い出したい内容です。


なあに ママ ぼくのこと?

以下、引用-----
「子どもを抱く喜びにひたって欲しい」  
三砂ちづる

今あなたはとても忙しいと思う。

慣れない幼い子どもとの日々に翻弄され
やってもやってもやるべきことが終わらない
家の中のあれこれにため息をつき、
まして外で仕事のひとつもしていれば、
なんで私だけがこんなにがんばらなきゃいけないのよと、
腹のひとつもたち、
穏やかにぐっすり眠ってとろとろと夢を見る、
ということ自体が、
どこか遠い世界のようの思うのかも知れない。

おむつもかえなきゃいけないし、
おっぱいもあげなきゃいけないし、
ちょっと大きくなったら
「ママおしっこ」と起きてくるし。

ああ、わたしは毎日忙しい。

ゆっくり夢をみること自体が「夢」
ゆっくり眠りたいだけ眠った、
なんていつのことだったかしら。

残念なことに、
というか幸いなことに、
時間というものはゆくりなく過ぎ、
いま、あなたがやっていることはあと数年と続かない。

彼らは学校に行くようになり、
あなたの知らないところで
あなたの知らないことをする時間が増え、
あなたは夜はもう少しよく眠ることができるようになる。

そうすると朝早くから起きて弁当のひとつも作り、
子どもの外のおつきあいの後始末などもしなければならなくなってくるけれど。

つまりはフェイズが移る。

私はもう50を過ぎている。

2人いる子どもは青年になり、
文字通り毎日どこで何をしているのやら。
見上げる青年になって、
私の知らない彼らの日常はまぶしい。

この人たちはもう私の「手の内」では生きていないのだ。

ときおり私は夢をみる、
夢の中には子ども達2人がよく出てくる。
その彼らは、けっして今のような「男に育った」彼らではない。
夢に出てくるのは幼い彼らだ。

お話ができて、
自分のひざにのってくれるくらいの子どもである彼ら。

おそらくあと50年生きても、
夢の中の私の子どもは、
この大きさであるに違いない。

あのね、ママ、あのね、と、
とても高い声で私を見上げ、
「つまらないこと」をいちいち聞きに来たリ、
報告したりする息子たち。

私がしゃがまないと、
彼らの視線とは合わず、
抱きしめれば腕に足り、
抱き上げれば、そのまま移動できる重さ。
私の手の届くところにいる彼ら。

おかあさん、
今あなたのひざにいるお子さんのなんといとおしいこと。

母として、
いちばんよい時期。
いちばん印象に残る時期。

あなたの子どもはいつもその大きさで、
あなたの夢の中で位置を占め続ける。

あなたが人生でつらいことがあった時、
あなたの子どもたちは、
そのような大きさであなたの夢の中に現れる。

それが現実と交錯する今こそが、
あなたの幸いでなくてなんであろうか。

涙ぐむようにして、
幼い子どもをかきいだく喜びにひたってほしい。

それはひとときの至福であり、
長き人生のうちで一瞬にして失われる、
人生の最も美しい時間だからである。

『ベロニカは死ぬことにした』を読みました

2013-10-17 21:13:13 | 本/心に残ったコトバ
読書の秋なので、さっそく読み終わった本の話。

Veronika Decides to Die
By Paulo Coelho

『ベロニカは死ぬことにした』
パウロ・コエーリョ作


「生きる」ことに意力を見出せなくなった 24歳の女性ベロニカ。
若く、美しく、仕事もあり、愛してくれる家族もいた彼女は、何の変哲もない日々の繰り返しに疲れ、睡眠薬の多量摂取による自殺を図る。その自殺は彼女が積極的に選んだ道であったが、幸か不幸か一命を取り留めたベロニカ。目が覚めたとき彼女は精神病院に収容されていた。そこで、余命5日間だと告げられる。


読んだのは英語だったけれどとても平易な表現ばかりなのと(でも日本語版の表紙のほうが好き)、
のっけからすごく引き込まれてしまってあっという間に読了。

自ら積極的に望んだ「死」だったのに、自殺の失敗により状況は一転、今度は受動的に死を待つ身となってしまった瞬間から、ベロニカの心の中でさまざまな変化が起こる。

生きること、自分らしさ、狂気、愛、性など、いろいろなテーマを扱っている小説だと思ったけれど、一番好きなのは、自分らしく生きるとはどういうことかと哲学的にも日常的にも考えさせてくれたところ。

例えばベロニカのこんなセリフ。
なんだか私ティーンネイジャーのように感動してしまった。

「顔に雨を感じたいし、魅力的だと思う男性に笑いかけて、気軽にコーヒーをごちそうになってみたい。」
I want to feel the rain on my face, to smile at any man I feel attracted to, to accept all the coffees men might buy for me.

「ジャケットも着ないで外に出て、雪の中を歩いてみたい。極端に寒いってどういうことなのか感じてみたい。今までは風邪をひくのがこわくてたくさん着込んでたから。」
I want to go out without a jacket and walk in the snow, I want to find out what extreme cold feels like, I, who was always so well wrapped up. so afraid of catching a cold.

「母親に愛してると伝えたい。その膝でこどもみたいに泣いてみたい。感情を見せることが恥ずかしいだなんて思いたくないの。隠そうとしてたけど、ずっとそこにあったものだから。」
I want to kiss my mother, tell her I love her, weep in her lap, unashamed of showing my feelings, because they were always there even though I hid them.

「教会へ行って、今までなんにも感じなかった絵やフレスコ画をじっと見入ってみたい。今ならなにか感じるかもしれない。もし素敵な人がクラブへ誘ってくれたら行ってみるわ、そして果てるまで踊り続けるの。」
I might go into a church and look at those images that never meant anything to me and see if they say something to me now. If an interesting man invites me out to a club, I'll accept, and I'll dance all night until I drop.

「わたしは自分自身を、一人の男に、一つの街に、ひとつの人生に、そして最後には、死に捧げたいの。」
I want to give myself to one man, to the city, to life and, finally, to death.

(この日本語訳は私流ね。)

たくさんの、ベロニカの "I want to ..."
死を意識することで生きたいと望むようになった彼女から出たこの言葉たちだけれど、生きることを許されている私達でさえ、こんなふうには生きていないよね。じゃあ私のこの日々はなんなんだろうと考えさせられました。

毎日を自分のコンフォートゾーンのなかで生きている人達に、そして歳をとるごとにそのゾーンからはみ出ることが怖くなってしまっている人達に、ぜひオススメな本です。

I want to feel the rain on my face.
ふふふ、何歳になっても無邪気にそんなこと言ってみたい。

Danger is very real, but fear is a choice.

2013-06-16 01:26:45 | 本/心に残ったコトバ
"Fear is not real; it is a product of the thoughts you create.
Danger is very real, but fear is a choice."

(怖さというのは実在しない。怖さは心の中で自分がつくりあげた幻想。
危険は実在する。でも、怖いと思うのは選択だ。)

今日見た映画 Will Smith の最新作 "After Earth" で心に残ったセリフです。
木工で使う電動工具や危険な機械に対する今の自分の心持ちにとても響きます。実はここ数ヶ月のあいだ、木工で使うある機械に対する恐怖心がどんどん強まっていて、一時期ほんとうに機械を触れないことがありました。

でもこのセリフを聞いて、「危険」と「恐怖心」を、一緒くたにして混ぜこぜにしていた自分に気がつきました。もちろん、危険なことは危険なのです。だから怖いと思いがちなのですが、必要以上の恐怖心は逆に自分のパフォーマンスを落としてしまうんだよね。ここ数ヶ月ずっとそんなモヤモヤと戦ってきたような気がします。でも今日このセリフを聞いて、危険なことと恐怖心とを決別させなければ!と思いました。

なぜ木工の機械に対する恐怖心が強まったのかは、ある出来事が原因となったのですが、それはまた次回の記事にでも書きますね。別にケガをしたわけじゃないのですが、、、でもニアミス的なことがあったのです。


つらぬき進む

2012-03-14 21:47:11 | 本/心に残ったコトバ
これが僕の戦いだ。
あこがれに身を清めて 日々をつらぬき進むことが。
それから、強く どっしり 幾千の根を張って
人生に深く食いいることが―
そして 苦しみを通して成熟し
はるかに「人生」から立ち出ること、
はるかに「時間」から立ち出ることが!

ーーー

これはリルケの詩。
日本で仕事してた頃に出会った詩。

おそらくエクスプロラトリアムに来てから最も忙しい1週間。
戦いのような火がずっと心のなかで燃えている感じだ。

「僕は自分が思っていたほど頭がよくなかった」

2012-01-15 10:32:35 | 本/心に残ったコトバ
すごい大切なことが書かれているなぁと思い、日曜日の朝という時間のあるタイミングでこの文章に出会えた幸運に感謝。

最初にアメリカで、そして後にどなたかが日本語に翻訳したために日本でもとても話題になっていた文章です。「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった」というタイトルで、ウェブ上に投稿された、とあるアメリカの高校生の独自に対して返された、一読者からの返信。少し長いけれど、とても真摯で、真実であり、心から共感する内容でした。

ぜひ読んでみてください。

「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった」(日本語訳)

"I'm not as smart as I thought I was."(英語原文)

文中、知性の「道具」や「道具箱」という言葉が出てくるのですが、英語ではなんだろうと思って読んでみたら、cognitive tools. 2005年に出会ったこの言葉、今でも大好きです。学校の生徒達にもシェアしたいなぁと思いました。

理解することをあきらめない

2012-01-08 09:19:56 | 本/心に残ったコトバ
これはちょっと前までエクスプロラトリアムのフロアに掲げられていたフランク・オッペンハイマーの言葉。フロアの様子も日々変わっているので、今はもう誰かが取り払ったのか別の場所に保管されたのか、とにかく見当たらなくなったので忘れないうちにメモとしてアップしておこうと思いました。



私たちをとりかこむこの世界をきちんと理解すること。また、理解しようとすることの大切さをうたっています。

『エクスプロラトリアムの本質は、一般の人々に「自分たちの世界を理解できる」と感じてもらうこと。いま、たくさんの人々が、自分をとりかこむこの世界のふしぎを、理解することなしにあきらめてしまっているように思います(あるいは無関心か)。それをあきらめてしまっていたら、きっと社会や政治の世界も理解する努力をせずにあきらめてしまうでしょう。世界は絶え間なく変わり続けているのに、もし、ものごとを理解することをやめてしまったら、私たちはみな沈没してしまうことでしょう。』
エクスプロラトリアム創始者 
フランクオッペンハイマー 
(これは意訳ね)

今年の目標というか、心がけていることは「理解することをあきらめない」です。人間というのは、なんだかよく分かりにくいものや、自分の理解のキャパを超えるものには知らず知らずのうちにフタをしたり、目を背けているもの。自分の理解できる、分かりやすい(=ここちよい)世界に身を置いているほうが、ラクですから。私も、自分の興味関心の範疇以外のことには「鈍感」だったり「無関心」だったり。でもこれからはもっと範疇を広げようと思います。ほんとに、身のまわりのサイエンスはもとより、アメリカ社会、そして知っているようで何も語れない自分の国のこと(!)、世界の歴史や日本文化のことに関してもっとよく分かりたいと思います。

なぜって、、、分かりたいからさ!

あけましておめでとう!

2012-01-01 11:17:05 | 本/心に残ったコトバ
あけましておめでとうございます。
2012年。
特に思い入れもなく何も変わった予定のない2012年。今までと変わらず日々何かしら発見し、心踊り、驚き、学び、創造する1年にしたいと思ってます。

アメリカにいると初詣もないし、おせちもお雑煮もないです(うちには)。元旦も2日も、フィリップと家でゆっくり過ごしました。外出したのは近所にお散歩に行ったぐらいです。ごはんもいつもどおり。すごく地味なお正月だったけれど、大掃除したばかりのきれいな家でゆっくり過ごせてリラックスできた。

家が心地いいというのは本当に大切なこと。
きれいに整頓された食器棚、磨かれたキッチンで料理をすると、頭の中もシンプル思考になって、次はあれをしてこれをして、、、と手順も整理整頓されていくのが分かります。頭の中ですべてのステップが見えてくると、自分の気持ちもすごく落ち着いていく。それがとても気持ちいい。そんなことを経験するたび、昔本で読んだ河井寛次郎の言葉を思い出す。

「不整理の生活からは立派な物を生めない。ふしだらな暮しからでも美は出せないことはないが、これは芸だけのことで寸法にはならない。よい物を作りたいならば、それに相応する暮しに帰るのが近道ではないか。まったく、よい物がすらすら出来るようになることは、よい物しか作れない暮しがそうさせるのだ。」

読むたび、背筋の伸びる思いがします。
エクスプロラトリアムでものをつくるアーティスト達の机や作業まわり環境を見ていても、同じことを思うのです。素晴らしい仕事をする人、素晴らしいものをつくる人は、自分の環境をきれいに保っている(もしくは雑然と見えても本人は何がどこにあるかをしっかりと把握している)。私みたいに、すぐ散らかって、あれ?どこにいったっけ?今まで手に持ってたのに無くなった!なんてことは起きないのです。

あぁ、時間にゆとりがあるときは私もそれができるのに、忙しい時はどうして頭の中も環境も雑然としていくんだろう。明日からまた3つの仕事が再開します。てんてこ舞いにならないように、頭の中も環境もすっきり整理して、新しい年の仕事始めを迎えたいと思います。

整理整頓!今年の課題(いや、今年課題)。

冬休みで少しラクに

2011-12-21 20:26:03 | 本/心に残ったコトバ

職場で見かけたポスター。
"We have a strategic plan. It's called doing things." 訳すとすれば、、、僕たちには戦略的なプランがある。それは、とにかく「やること」だ。こんな感じかな。つべこべ言ってないで、やれ!ってことよね。いいわ、この言葉すき。

さて!
3つのかけもち仕事から、つかのまの解放!
3つの仕事とは、
(1) エクスプロラトリアム:ラーニングスタジオ
(ものづくりワークショップの企画、運営)
(2) エクスプロラトリアム:フロアスタッフ
(遠足に来るこども達のガイド)
(3) 日本人学校
(ホームルーム担任と中学1年生2クラス4コマ数学を教える)

スケジュール的には、
月曜:(1)まる1日ラーニングスタジオ
火~金曜:午前は(2)フロアスタッフ
     午後は(1)ラーニングスタジオ
土曜:(3)まる1日、日本人学校

こんな感じで働いてたのを、学校の仕事が冬休みに入ったのでお休み。フロアスタッフとしての仕事も冬休みはお休み。つまり、残るは(1)ラーニングスタジオでの仕事のみ!これが本命の仕事なので、今週からこれに専念できるのがとてもしあわせ。っていうか、土曜日がお休みだっていう今週は本当にうれしい。それがクリスマスイブだろうが、なんだろうが、私土曜日はしっかり寝る予定。

12月は夜もしょっちゅう何かしらイベントがあり、日曜日も仕事のつきあいで出かけてて、毎日ほんとアップアップしながら地に足の着かない状態でここまで泳いできた感じ。正直、身も心もぼろぞうきんのようだった。好きな仕事でも心がきりりとなって、なんでこんな生活してるんだろう、と鬱っぽくなったり歳を感じたり(苦笑)。アメリカで働けるようになってもうすぐ1年。今は、いろんなことが当たり前になりつつあって、なんだか最初の感動はどこへやら。感性が鈍くなってく感じだ。アメリカで働けるようになったこと、それもあこがれの場所で雇用されたこと、あのときの喜びが色褪せてしまわないように。日々の雑事や慣れに、つぶれてしまわないように。

冬休みのこのゆとり時間を有効に、3分の3が3分の1になって、それに100%専念できるのだから、じっくりひとつの仕事にとりくもう。

Do things!
そうだ。
やれ、やるんだー。

カーネギーの言葉

2011-06-09 21:12:27 | 本/心に残ったコトバ
運命がレモンをくれたら、それでレモネードをつくればいい。
-D・カーネギー 

“When fate hands you a lemon, make lemonade.”
ーD. Carnegie


自分へのメモとして:
レモンは不運の象徴なのね。
近況をいうと、最近「レモン」をもらったように思うんだな。。でもこれを不運だ不幸だと思って落ち込むのではなくて、その状況をプラスに変えていけるようにアタマを使わないと(...と思ったときに出会った言葉)。酸っぱいレモンを甘いレモネードに変える努力を!



「これはあなたの人生」という素敵なマニフェスト

2010-09-14 14:49:32 | 本/心に残ったコトバ
Holsteeという、雑貨などをデザイン販売しているニューヨークの会社のマニフェストの文章を読んで、なんだか爽快な気持ちになりました。自分でも分かってはいることだけれど、誰かが言葉にしているのを目にしてあらためて、あ、そうだよね!って思えるような内容。

英語のほうが響きがいいけれど、
とても素敵な内容だったので、
自分の言葉で日本語にも訳してみました。

何かをつくることに一生懸命なすべての人達へ!

-------



(日本語訳 注:私なりの訳)

これはあなたの人生。
好きなことをしなさい。一度ではなく何度でも。
もし何か気に入らないことがあるなら、変えたらいい。
もし今の仕事がきらいなら、やめればいい。
時間がないとなげくなら、テレビを見るのをやめなさい。
もし人生でなにか素敵な愛を探しているのだとしたら、ちょっと待って。
そういったものは、あなたが自分でなにか夢中になれることをしだしたら、
向こうからやってくるもの。
人生はとてもシンプルです。
何でもすぐに分析してかかるのをやめなさい。
感情とはすべて美しいもの。
食べているときは、最後のひとくちまで感謝しなさい。
あなたの胸を、心を、腕を大きくひろげて、
異質なものや新しい人達にいつもオープンでいなさい。
私たちは違いがあるからこそ、お互いにひかれ合うのです。
次会う人に、何に情熱を持っているのかと、尋ねてごらんなさい。
そしてあなた自身の夢や心ひかれるものについて、ともに語ってみてください。
旅に出なさい。
迷うことで、自分がはたして何者なのか、見つけることができるかもしれません。
人生には、
「一度きり」しかめぐって来ないような機会があるから、
来たらしっかり掴みなさい。
あなたの人生をかたちづくるのは、あなたが出会う人達、
それと、その人達と何をつくりあげるかということ。
だから、閉じこもっていないで、どんどん創造をはじめなさい。
人生は短いのです。
もっと情熱のおもむくままに、自分の夢を生きなさい。

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こんなマニフェストをつくってしまうなんて、
素敵な会社だなぁ。