Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

85歳の軽さ

2007-11-27 02:48:25 | 日常
連休中は毎日数時間ずつ仕事の打ち合わせがあり、どこも行かずに終わってしまった。
そんな中、ちょっと癒されたこと。

クリエイティブライティング講座として、寂聴さんの講演会に行った。
辻仁成が瀬戸内寂聴に聞く、秋の夕べ

85歳ですよ、寂聴さんて。
すごいパワーだった。若いのだ。
ポンポンとたたみかけるように発せらる言葉。
「だから若いのか」と思った言葉のいくつか。

「自分の可能性なんて分からないのよ。
死ぬまで可能性を探しているの、それが生きるということ。」

「愛はね、すぐに伝えなさい!
明日その人がいるかどうかなんて分からないのよ。
でもイヤな気持ちは、すぐに伝えないで一晩寝てから考えなさい。
寝たらね、けっこう忘れちゃうんだから。」

くす(笑)。そうそう、そうだよね。
講演会は、いかに小説を書くかというテーマだったのだが、折々にやはり彼女の人生観が出ていた。「ライティング講座」というよりは、人生相談のよう。

「過去は過ぎたことなんだから悩んだって仕方ないのよ、
そんでね、未来のことでどうしようかなって悩んでもこれまたしょうがないじゃない。今なのよ。今。」

ここで文字として書いてしまうと、あの話し言葉の臨場感が伝わらないけれど、
彼女の口から軽快にとびだす言葉は、何かがこもっていてとてもパワフル。
しかし、一方でとても軽い。
それがいいのかな。会場は、笑いと拍手がたえず。
なんというか、あの軽さを出すための、はかりしれぬ重さが彼女の身体の中にはある。それってすごいよね。

「生きることは、愛すること。」
うんうん。
人であれ、モノであれ、愛せる対象があるってシアワセなことだ。

終わった後は、猫町でディナー。
あのカフェやっぱり落ち着く。

感性で味わうチーズケーキ

2007-11-25 10:42:31 | 日常
またやらかしてしまいましたよ。
おっちょこちょい、だけど心あたたまる話です。

昨日、今出川で待ち合わせをしていて、
待ちあわせの時間まで、周辺をブラブラ。
おいしそうなケーキ屋さんを見つけたので、
洋菓子(小さなチーズケーキ)をいくつか買おうと思った。

レジの人が、チーン、「514円です」といい、
私はカバンからお財布を、、、、ゴソゴソ、ゴソゴソ、、、、あれ?





ガーン…!おさいふー!


あまりにショックすぎて、顔をあげられずにいましたが、
「すみません、、、私、お財布忘れてしまったみたいで…
ごめんなさい!失礼しました。また来ます。」
とひたすら謝り、逃げるようにその場から去ろうとしたところ、、、

すでに背中を向けて、お店のドアに手をかけている私に、
「あの、お客さま!」と呼び止めるレジの人。
横にいたご主人が何やらレジの人に耳打ちしています。
「代金はまたこの近くに来られた時にでも置いていってください。
今日はこれを差し上げます。お金はいいです。」

内心(えーーっ!?こんな時代にそんなのあり?)、
ホントウにびっくり。

それならすぐにお財布を取りにいってきます、
と言いたいけれど、
数分後に待ち合わせの約束があったので、家に帰れる状況ではなく。

はじめは丁寧に辞退したものの、
差し出されたケーキと、ご主人、お店の方のやさしさ、
せっかくだから頂こうと思い、受け取ってお店を出ました。
胸に抱えた小さなケーキの包みが、
この時ほどあたたかく大切なものに感じられたことはありません。

そして、その後会った友人と再びお店を訪れて、
私の代わりに払ってもらいました…。(ごめんなさいー。)

もともとは私のドジが悪いのですが、
心を動かすようなホスピタリティに、久しぶりに出会ったような気がしました。
第一初めて入ったお店なのにね。

お店の名前はC'est La Vie (セラヴィ)
「これって、どういう意味ですか?」
ご主人に聞くと、
「それが人生さ」だそうです。
私のおっちょこちょいの後だったので、
ご主人のあたたかい言い方が印象的でした。

---


朝ごはんに食べました。
とろけるようなスフレの生地は、
やさしさと、あたたかさの味がした。
感性で味わうチーズケーキは、強く強く心に残る気がします。

○!

2007-11-24 17:13:09 | 京都
賀茂川の上にまんまるお月さん!
ふりむいたらあまりにも自然とそこにあった。
携帯のカメラではぼやけちゃうけど、
大きな大きなキャンバスの前に立っているような、そんな気がした。

ザッブーーーーンの海

2007-11-23 02:12:36 | 日常
世間は3連休なのね、でも明日も仕事。
家について、ストーブをつけた。
そして、、、このアイスクリームの誘惑。
食べちゃえ食べちゃえ!


さがりっぱなしのテンション、
東京出張から引き続いて、
どーんよりした時間はつづく。
知性や、見識、そして、自分自身の「まなざし」を否定されるようなこと。
あらためて文字で受け取ると、仕事じゃなくて人格を否定されているような気持ちにもなるわ。

でもそれでへこんでしまうのは、
どこか自分でも「言い当てられている」と感じているからなのだろうな。

はぁ~。

落ち込んでいるヒマはない。
Can I do it? よりも、How can I do it?
できるか、できないか、が問題ではなく、
どうしたら、何をつかったら、誰といっしょならできるのか、
このHowの部分を冷静に考えること。

アイスクリームを少し食べて寝ます。

---
おまけ。

いま、Skypeからメッセージがピョコンと出てきた。
Filipから何かメッセージだと思って開いてみると、
そこには一言、
「ザッブーーーーン」
だって。
(先日のブログの文字をコピペしたのね…)

いつも英語でやりとりをする常をさりげなくくつがえして、
カタカナで発せられた意味のないメッセージに笑ってしまった。

なんでこんな時間に家にいるんだろうと思ったら、
アメリカはTurkey day、サンクスギビングで連休か。

移動中

2007-11-19 20:51:51 | 日常
乗れたー
肩こったー
つかれたよー

やっと新幹線に乗り込んだ。明日、青山で仕事があるので、今日のうちに移動。

今夜はこれから群馬の実家へ帰りまする。最近は、東京方面に出張の時は、なるべく足をのばして帰るようにしている。といっても、夜遅くに帰省して朝早くに出るので実家滞在時間は7~8時間だけど。
それでも全く寄らないよりはいい。

カバンの中にはこの前、大原で買った1リットルのおみやげと、黒豆さん。おみやげ渡せるだけでも帰るイミあるかー。
「1リットル」というのは志野のゆずポンのこと。志野は、私が大学の頃から大原にあるゆずポン屋さんで、酢を一切使わずゆずだけで作るポン酢。もうそれはそれはいい香りなんだよ!なので実家におみやげ。(でも小瓶がなくて買うときは1リットル買い)

さて、ほん読もう、仕事とカンケイないやつ。ラテでまったりしよう。そして寝ちゃおう。

2007/11/17

2007-11-17 21:03:00 | 以前のシゴト
心斎橋で仕事の打ち合わせがあったので、
朝、京都で降りてくるたくさんの人々と入れ替えに、大阪行きの電車に乗る。
京都は紅葉シーズン、そして今日はごほうびのような秋晴れ。


京都へ戻る頃には、西の空に夕日のなごりのみ。
昼間はさぞかしキラキラのお天気だったのだろうなぁー。

休日に資料つきあわせてミーティングして1日が終わる。
考えてみれば、人生のうちの働き盛りのピークな時間、
つまりとてもとても貴重な時間をこの仕事に費やしている。
…いいのか? いや、いいのだ。

というのも、長い間分からなかったことが、
ここ最近のインテンシブな読み込みと書き出しの作業によって、
やっぱりこれでいいのだと信じられるようになってきた。
で、それはたぶん、今後の自分のセオリーベースに付加されてゆくのだと思う。

あぁお願いどうかこれが幻でありませんように。(切実!)

>「命をかけてでもこれを世に出す、そういう覚悟がありますか。
>前々から伝えていますが、それが感じられない。」

2ヶ月前にそう言われて「ちくしょー」と思った。
だけど、あの時そう思ってよかった。

心とカラダの疲労回復映画

2007-11-16 23:54:45 | エイガ、DVD
『バーバー吉野』『かもめ食堂』に続く荻上直子監督作品。
『めがね』を観た。

都会から一人旅でやって来た主人公タエコ(小林聡美)、大きなトランクを1つ。観光する場所のない田舎の浜辺町の宿で、ちょっぴり奇妙な人々と交流することで自分を見つめていく物語。

ゆったりと流れる時間、台詞ほとんどなし。間も長い。さぁ、これから何が起こるの?…って期待しても、何も起こらない。登場人物達の説明もなく、最後まで何者なのかということが明かされないまま終わってしまう。
ストーリーは?ドラマは? いえ、なんの展開もありません。

上映時間、106分。
仕事の後で疲れていたせいか、、、最後の最後に、寝た。(ほんと)
パッと目を開けたら、
スクリーンにエンディングロール。

寝ぼけまなこで、すぐに立てず、
しばらくイスに身をうずめていた。
「え、なんだったんだろう、この映画…」
余白が多すぎて、説明がなさすぎて、ストーリーも展開もない。
あったのは、休日と海とごはん。

うとうとしながらも脳裏に焼きついたもの2つ。
1つめは、毎度毎度の美味しそうなごはん。
はじっこがカリカリの目玉焼きや、
十字に切れ目の入ったトーストにはとけかかったバターがのっている。
おいしそ~う。
ピーマンのきんぴら、温野菜、ロブスター。
お庭でのバーベキュー。まるごと焼かれる春のタケノコ。
朝ごはんにしらす大根や、梅干し。
(眠いくせに、食べ物のことはよく覚えてるな~)
登場人物達は、ホントウに美味しいもの、食べたいと思うものを、少しずつ。
毎回、秩序正しく、上品においしそうに食卓に並べる。
そして、「ごはんですよ。」という呼び声。
それがある暮らし、いや、旅は幸せだと思うのだ。

もう1つは、劇中のピアノ曲。
印象に残る旋律なの、これがまた。
なんかね、普段閉じている気持ちの奥の奥のほうまで、
自然と届いてくるような透明度の高いピアノの音色で。
切ない音だけど、すごく気持ちいいんだなぁー。
公式サイトのBGMになっているので聞いてみて。

「何が自由か、知っている」というキャッチにも、泣きそうになる。

感動とか、ありていのストーリーとか、展開とか、
「映画といえば」と条件反射のように求めていた自分のなんと「不自由」だったことか。
何かもらおうと思って観にいったらダメなんだな、この映画は。
ドラマとか、展開とか、求めないほうが正解。
目覚めたときの不思議な心地よさは忘れられず。
今は、すごく雰囲気の良いビジュアルエッセイをさらっと読んだような気分です。

疲れたときに、またのんびり観たい。

(ピアノが忘れられず、サントラを購入。)

colors

2007-11-14 23:37:05 | 京都

先日の、大原からの帰り道で見かけた
「田舎のコンビニ屋」さん。
気になる~!
寄ってみたら、ぜんぜんコンビニじゃなかった。
(駐車場がだだっ広いところは「田舎のコンビニ」だ)
しかし、売っていたものは街のコンビニより素敵だった。


ごろごろっと柚子が5個400円。この黄色にひかれたけど、買わなかった…。
このにんじんも、見てよこれ。立派なこと。

葉がわさわさと茂った大根。葉っぱには所々に虫に食われたあとがあった。
虫がむしゃむしゃ食べるってことは、よけいな薬が効いてないってことかな。
右の写真は大原名物、すぐきの畑。この野菜達もこんなとこから来たのだろう。

京都市内から車でちょっと北上しただけで、美味しい田舎。
ここに映っているのは、携帯カメラのレンズを通した色。
あのビビッドさが出ないのが残念。

空の青さ、山吹色のゆず、紅色のにんじん、
どーっしり、力強い、生命のいろ見せてもらったよ。
「街のコンビニ」はとっても便利だけど、生命なんて感じないなぁ。
「田舎のコンビニ」は商品がまだ生きてた。

力強き自然のいろ、
土と、太陽と、水と、農業の知恵と力、
記憶に残る秋のいろだよ。
「田舎のコンビニ」ありがとう。

宝泉院

2007-11-13 23:50:04 | 京都
11月11日11時に友達と待ち合わせ。
スマート珈琲でランチを頂きました。(スマート珈琲については別レポートします!)
食べてる間もどこへ行くかはっきり決めてなかったのだけど、
ふと「宝泉院」というお寺にひかれ、大原行きが決定。
「あ、このお寺、お抹茶つきだって!」という一声が大きかったのかもだけど。笑。

---

宝泉院、という寺院の名前をはじめて聞いたのはいつだったか。
たぶんJR東海の「そうだ京都、行こう」のCMで見たのが最初。

大原、といえば、三千院。
その三千院を少し過ぎたところに、宝泉院はひっそりと佇んでます。

なんでだろう、障子とお庭、ふつうの風景にドキリとする。
美しい。どこに目をやっても。ふっと、心がしいんとするのがわかるでしょう?


水も美しい。このチョロチョロとゆらゆらが。


宝泉院は、額縁庭園が有名。
柱と柱の間隔を額縁に見立てると、その向こうの庭園がまるで絵画のように見えます。
青々とまっすぐに伸びる竹林の垂直線が、ちょうど額縁の上辺でスパーンと切り取られています。
天まで伸びる竹林群をじかに見るより、その「まっすぐ」が額縁で水平にスッパリ切り取られているのをみるほうが、
竹の勢いというか、清々しさを感じるよね。人間の想像力も計算されている感じ。


庭園にしかけられた風流な楽器、水琴窟。
手水鉢から流れ落ちた水が地中に滴り落ちる時、地中につくった小洞窟の中を幻想的な音が反響します。
この竹筒が地中の空洞に通じていて、ここに耳をあてると聞こえる仕組み。
それはそれは、心清らかな音でした。

静かとは、こういうことか。
耳を澄ますとは、こういうことか、と実感。
普段、耳を澄ますこと、なかったわー。


お抹茶と和菓子がふるまわれます。
「額縁」の際まで寄って、ほっと一息。
宝泉院はこんなにずずずっと前に出てきてお庭を観賞するより、
ここより20歩ぐらい後ろに下がって、引き目で「額縁つき」で見るほうが断然美しい。

「仏のことば」
ことばだけ美しくて
実行の伴わないのは
色あって香りのない
花のようなものである

花の香りは
風に逆らっては流れない
しかし善い人の香りは
風に逆らって世に流れる
(宝泉院のしおりより)

この日は風景にも、言葉にも、
なんだか32歳の多感な心を刺激されたわ。笑。


なんでもいい、どこでもいいんだけど、
自分の気持ちやテンションを無条件に担保できる場所、
「あそこなら」って思える場所、
心の中にそんなリストがあってもいいな。

宝泉院はその1つになりました。

彼らと花と私と。

2007-11-12 22:52:04 | 日常

昨日がバースデーだった。
今日職場でランチ時に、同僚からケーキとお花を頂いた。
嬉しいサプライズでした。
そもそも、おめでたい歳でもないのですが。

お花を買いに行ってくれたり、ケーキを買いに行ってくれたり、
自分のために何かをしてくれる人達の存在を、純粋にありがたい、と思うよね…。

いま、部屋の中に、赤と黄色の花が並んでる。(もともとあったピンクのカーネーションも!)
暖房をつけないと寒い時期なのに、リビングは寒くしてお花を凛とさせてる。
(今これはキッチンで書いてます)

花束を頂くのがホンットウに好き。女性なら嫌いな人いないか。
もらったあとに、大切に持って帰って、家に着いたら丁寧にラッピングを解いて、
保水袋を外して、茎に新鮮な流水をあてる。なんか気持ちいいんだよね。
(よしよし、息苦しかったでしょう?って。)
そして、たらいの中で、水切りをする。
水切り:水中で茎を斜めに切ってあげること。
それから、しばらく水につけておいて、思う存分、水を吸ってもらう。

十分吸ってくれたかなーと思ったら、ようやく花瓶へ移す。
一番かっこ良く見える角度を探しながら、君はこっち、この子はあっち、と
花瓶の中で花達を右往左往させて、、、

あれ、やっているうちに思ったのだけど、
切り花を頂くってことは、贈った側と受け取った側の協同作業なんだなぁ。
忙しい中、お花を買いに行ってくれた人の気持ちと、
お花たち自身が今生きているという事実と、
そのバトンを受けてケアしますっていう私の気持ちが、
一緒になったのが、いまそこで息してる花達なんだなぁ。

うわぁ、大切にしよう。 長生きしてね。