Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

日本滞在記おしまい!

2014-09-20 00:00:01 | 日本への帰省
やっと日本滞在記ラストです!
2014年4月13日(日)

成田から夕方5:55の便。
ANAをとったつもりだったのだけど、実はユナイテッド航空との共同運行便で、飛行機自体はユナイテッド(残念)。ということは、飛行機に乗った瞬間からもうアメリカ文化だね。

両親が熊谷の駅まで送ってくれて、最後に時間があったのでスタバで一緒にコーヒーを飲みました。兄の結婚式から始まり、慌ただしい日本への一時帰国でした。実家にいる時間がほとんどなかったね。。



切符を買って、改札でお別れ。久しぶりの帰国が楽しかった分、お別れが辛いものになりました。でもまた1年以内に来るよ!と言って別れました。そうそう、今まで帰って来なさすぎた、、、。これからは、もっと頻繁に帰るのだ。

日本に居た2週間、ふだんは使わない細胞が活発化された気分でした。何より「日本という国があったじゃん!」という至極当たり前のことを再確認できたのがよかった。生活の基盤がアメリカにあると「アメリカでやっていかなくちゃ」という気負いが過ぎるのか、これまで日本のことはあまり考えずにきた気がします。ここへきて一度立ち止まって、ゆっくり日本に帰れたことがなによりの心のバケーション。これまでの自分の来し方を見直す良い機会になりました。


サンフランシスコ着は、同日2014年4月13日(日)のお昼前。
青い空、からりとした空気。フィリップが迎えに来てくれて、近所のカフェでランチを。長旅の後にはお茶漬けが食べたいのに、という日本人妻の気持ちは分かるはずもなく(笑)、フワフワのパンケーキが "Welcome back!" と出迎えてくれる。これはこれで悪くないけどね。

とにかくいいリフレッシュになりました。
アメリカと日本と、両方の国を行ったり来たりできることは、幸せなことなんだと思いたい。人生のメリハリというかね。また日本に帰れる日を楽しみにして、こちらでの日々もがんばろうと思います。

日本滞在記おしまい!

日本滞在、最後の夜

2014-09-19 22:20:33 | 日本への帰省
あともう少し!日本滞在記つづき:

2014年4月12日(土)
早朝、京都駅から新幹線に乗り、午前中のうちに群馬県へ戻りました。実家や友達へのおみやげに鶴屋寿の桜餅や京都のお漬け物を購入して満足。

この日は午後から高校時代の友達の家へ。彼女ともかれこれ5年以上は会っていなかったので本当に久しぶり。高校時代の友達とは、高校卒業してから私が地元を離れたこともあって、疎遠になりがち。だけど彼女とは今もこうして気軽に会いにいける仲。友情がつづくってうれしい。

彼女の最初の娘ちゃんが産まれたのが2007年で、その後に地元で会った時の日記がこのブログに残っているけれど、あの時の赤ちゃんだった娘ちゃんがもう今やピカピカの小学校1年生!

その時の記事:
短い帰省 (2007/8/23)
(この時代は写真を大きく載せるのもためらわれてすんごく小さい写真、、、)
友達+赤ちゃん=幸せオーラ (2008/1/20)


アメリカおみやげに色んな味のジェリービーンズ詰め合わせセット。たまたまお友達も来ていて、いろんな味を楽しんでました。でも、毒々しかったかな??あまり健康的ではないおみやげよね、ごめんね。


アメリカへ行ってる間に第二子も生まれて、お姉ちゃん&弟の関係がすごく愛らしい。お昼間におじゃまして、夜ごはんの時間まで滞在してしまい手巻き寿司をごちそうになりました!日本らしいおもてなしに感謝。


さよちゃん~、すっかりお姉ちゃんになってた!お夕食のお手伝いもテキパキやるし、きびきびと活発に動いてて頼もしい限り。夕食後にお手紙ごっこをしたり、紙の上で絵しりとりをして一緒に遊びました。


お手紙ごっこでさよちゃんが書いてくれたお手紙。

「りょこちゃんへ 
えいごしゃべれるの、しゃべってえー
しゅうちゃんに こちょこちょ してくれてありがとう
さよも えいご しゃべりたいな
さいん かいて 
さよより」

あぁ、おばちゃんは涙が出そうー。
これからどんなレディになるのかしら。


考えてみれば20年を超える付き合い!
お互いぜんっぜん変わってないね。自分が10代だった頃からの仲だから、ほんとに貴重な友達。再会できて何より。

(この後、サヨナラして家に戻って夜10時過ぎ、、、私がした忘れ物(写真のCDかなんか忘れたんだよね?)を届けにわざわざ車で30分の道のりを来てくれた彼女でした。夜遅くにピンポンが鳴ったのでびっくりしましたが、ありがとうー!)

日本滞在の最後に彼女に会えて、高校時代→大学時代→ひとつめの職場→ふたつめの職場、とすべての時代の友達に会えたことになり、まだまだ会いたい人はたくさんいるけれど、とりあえず今回の一時帰国では満足しました。

翌日は、いよいよアメリカに戻る日。
後ろ髪ひかれる思いだったのは言うまでもない。

京都でのトークイベント

2014-09-16 00:32:00 | 日本への帰省
引き続き、備忘録。日本滞在記つづき:

2014年4月11日(金)
この日も京都。
今日は、私の職場であるエクスプロラトリアムのことを紹介するお話会のようなものを友達が開いてくれました。この前の週に東京でも同じような会を開いたのだけど、今日は京都会場。開催場所は、二子玉川でBox and Needleという箱のお店をしている友達の協力で、彼女が今度新しく京都の五条通りにオープンするということで準備中のワークショップスペースを借りました。


ちょうどスペースの賃貸契約が始まった翌日、ということで、私達が入った時はがらんどうのこんなスペース。イスも机もなかったので、急遽ダンボール製のイスをいくつか購入。机は天板と脚を買って、クロスをひろげてコミューナルテーブルに。


ミュージアム関係の仕事をしている方々や学生さんが、関西を始め、東京、九州などからもいらっしゃり、こじんまりした会で人数はだいたい20人ぐらいだったかな。以前の仕事つながりで今回久しぶりにお会いする方もいて、何ともうれしい再会の場ともなりました。


司会は昔よく仕事でご一緒したU先生がしてくださったし、聞きにきている方々は初めましての方や昔とってもお世話になった方もいて、なんというか私は気が抜けないようなリラックスできるような mixed feeling? でした。プレゼンでは主にExploratorium全体のこと、私達がコアバリューと呼んでいるもの、アクティビティや展示を開発していく上で大切にしている姿勢や実際のエピソードなどをお話ししました。


日本には同じようなミュージアムがないので(展示をインハウスで全て自分たちで開発/発展させていくというハンズオンミュージアムという意味で)、来て頂いた方にどれだけ分かって頂けたかは疑問です。でも会場内の熱気というか皆さんの熱を終始感じた会でした。

エクスプロラトリアムのカルチャーを表すキーワードはいくらでもあるけれど、でも逆に言うと、それらのキーワードを持ってなぜ私達は「サイエンスとアート、人間の認知」に関するミュージアムをつくったのか(他の形態でもよかった?)と問われると、まだまだ自分は考えが整理できていないのだなぁと思います。迷ったとき、よく創設者フランクオッペンハイマーの本や彼が書いたものを読むようにしています。でも、そこにしがみつくのではなく、まさに彼がよく言っていたことのひとつ、"continuously reinventing ourselves(常に自分たちをre-inventし続ける)" ということを忘れたくないと思います。オッペンハイマーが理想を持ってエクスプロラトリアムをつくったのは1960年代のこと。そこから時代も変わって、私達も進化し続けないといけない。

スタッフの1人として、自身も柔軟に、でも自分たちのコアにしているもの、ユニークネスを失うことのないよう、常に who we are を意識しながら仕事していきたいなぁと改めて思いました。自分にとって良いリフレクションの場であり、来て頂いた方々にとってはちょっとしたネットワークの場となった、東京/京都でのお話会。この場をつくってくれた友達の多大な協力に感謝!

京都で撮った写真など

2014-09-15 00:32:05 | 日本への帰省
ランダムにアップ。


祇園でみた舞子さん。



祇園高野川沿いの石畳の道。あの風景をそのまま写真に残すって至難の業。でもこれがいちばん近いかな。とても幻想的な夜。



五条大橋から鴨川。しだれ桜。料亭からの灯りが川面を照らす。



四条大橋ちかくの鴨川にかかるしだれ桜。夜空バックにはかないピンクがなんとも愛らしい。



都をどりでにぎわう人々のなか、ひとりじっと信号待ちで動かない自転車乗りの板前さん。



昔アルバイトしてた祇園のお店。割烹いがらし。



活気ある錦市場商店街、京都の台所。



アメリカからくると、こういう風景がとても日本風でものめずらしく見える。



お腹すいてないのが残念。



ぬか漬けの匂いも日本ならでは。こあゆ、この魚の目、外国人的には気持ち悪いんだろうなぁ。。



お腹すいてないけどこれなら食べられる!大好き、わらび餅カップ。



お漬け物の試食も目に嬉しい。



鰹節。これアメリカ人には何だか分からないだろうなぁ。



野菜の型抜き。包丁の有次さんで見つけた、こんなに小さいのあるの!



寺町三条の商店街から夕焼け空。春の夕暮れ、京都の空はいつも電線越し。

次に訪れる時はもっと一カ所をゆっくり見たいな。今回は、あれも、これも、って気ばかりあせる旅でした。5年ぶりだったからね。

5年ぶり、京都ひとりで散策日!

2014-09-14 09:20:34 | 日本への帰省
自分の備忘録のために書いてます。日本滞在記つづき:

2014年4月10日(木)
この日は特に予定がなくて、泊まっていた京都のアパヴィラホテルを拠点にひとりで京都観光。ホテルの下に入ってるシアトルズベストコーヒーはよく仕事や勉強、英会話レッスンで使ったカフェで思い出の場所。

この日は午前中に産婦人科へ行っておきたかったので、適当にドクターを見つけてふらりと産婦人科へ。日本に来て、京都に来てまでそんなところに行かなくても、、、という感じなのだけど、アメリカではふらりと医者へは行けません。アポをとろうとすると1ヶ月以上先になるし、コストも相当かかる。日本なら保険証さえあれば飛び込みで診察してもらえるの、本当にありがたいシステム。残りの滞在日数を考えるとこの日しか行けるチャンスがなかったので、気軽にいけるのだから行っておこうという感じ。

たまたま見つけた松本クリニックにて、前々から気になっていたことを検査してもらい、結果が出るのに1週間というので、アメリカに戻ってからSkype電話で聞くということに。検査を終えて、気持ちもスッキリ。


この日、移動の手段はひとりで気楽なので京都みやび屋さんでレンタルサイクル。ママチャリ、1日800円。安いなぁ!!サンフランシスコだと1日借りると最低ランクでも3500円以上はするのに(まぁ全てギア付き自転車だけど)。

借りるときお店の人が「京都はこうみえて坂が多いですよ、ギア付きにアップグレードしなくて大丈夫?」と言っていた。何をおっしゃる、サンフランシスコのアップダウンに比べたら京都なんて真っ平ら、ママチャリでじゅうぶんでございます。。


まずは職場の同僚との約束を果たすため、伏見稲荷大社へ行く。約束とは、ここ数年仲間内でやってることで、職場でつくっているオリジナルTシャツを着て、世界各国で記念撮影をするというもの(以前、ペルーに行った時も撮ってきた)。京都らしい場所を選ぼうと思って、真っ先に思いついたのが伏見稲荷の千本鳥居、というわけ。

さぁ、これで約束を果たしたよ、どうでしょう。
(帰ってから同僚達に見せたら Ohhhh! You take this challenge very seriously!って。今までロシア、イタリア、サウジアラビア、トルコ、タンザニア、イラン、etc.. いろいろ同僚達が撮ってきてるので、そこにJapanも加わってよかったよかった)


一気に竹田街道を北上して高野川の近くへ出る。祇園のほうへ行って、アメリカで恋いこがれた京都甘味処ぎをん小森へ。このお店、有名な人気店だけれどいつきてもその佇まいにうっとり。ガラガラと引き戸をひくと、畳の廊下が奥まで続いてるんだけど、両脇にぼんぼり灯りがポン、ポン、と置いてあって幻想的。


白玉あんみつとお抹茶。こういうのが夢だったの、笑。満足。

その後また自転車で北上。北白川のほうまで。ここでもまたカフェ休憩。この界隈で昔好きだったお店、猫町か、そうげんカフェかで迷って、今回はお腹すいてないのでそうげんカフェでお茶することに。


その変わってなさにほっとする。ここ造形芸大の前なので、学生の憩いの場だろうなぁ。白を基調にしたインテリア、植物とのバランスも抜群によくて癒される空間。家具、小物、水入れ、陶器、ほんとうにひとつひとつセンスよくてまたうっとり。


カフェオレボールでソイラテをいただきました。自転車のつかれを癒しつつ、ゆっくり時間を満喫。今日は誰に気兼ねするでもないひとり旅の気分で。


さらに足をのばして詩仙堂へ。夫婦の二人旅の後ろ姿がなんとなく素敵。昔、両親とここに来たことを思い出す。


こういう木の表情がツボ。なんだろうねぇ、アメリカでは見ないね。


門入ったところの椿がちょうど見頃でした。


石川丈山のお庭、廊下の木の感じ、アメリカに暮らしていると見ないものばかり。心の中ぽっかり穴の空いてたところ、この風景が満たしてくれる。あまり人もいなかったので畳に座ってだいぶくつろぎました。


そうそう乙女の夢の本屋さん、恵文社にも寄らなくちゃ。


セレクト本屋さんで文学少女気分にひたった後は、一気にオヤジモード(笑)。ぶーんと南にくだって、夕方お腹がすいてきた頃、横綱ラーメンも食べてきました。京都においしいラーメン屋さんはいくらでもあるのに、なぜかここ。学生時代の思い出のラーメン屋さん。ネギはいくらでもどうぞ、のホスピタリティあいかわらず。

たのしかった!新しい開拓とかしなかったけれど、昔と同じ場所をぐるぐる廻るだけの1日だったけれど、すごくたのしかった。だいぶ昔に自分の脳に保存したままの情報、取り出すのに時間がかかったりしたけど、今回の旅はよい上書き保存にもなった。「変わってない。よし、変わってない。OK!」とひとつひとつ、私の心の中にある京都のかけらを確認してまわる1日、そんな日でした。

自転車でまわりながら、考えた。
「サンフランシスコは私の中の京都みたいになりうるだろうか」
今のサンフランシスコでの仕事や生活も、いつか京都みたいに愛着とノスタルジアにかられながら懐古する日がくるのだろうか。まだ、そこまでいってないなぁ、好きだけど。これからサンフランシスコもそういう街にしていかないとね、京都はここにずっとあるのだから。

5年ぶり、京都の桜!

2014-09-13 12:31:59 | 日本への帰省
はい、では5ヶ月前を思い出しながら日本滞在記つづき:

2014年4月9日(水)
この日はYと京都へ桜を見に出かける。阪急岡本の駅から、1歳の娘ちゃんをベビーカーに乗せて、嵐山へ。1歳児をつれて岡本(兵庫県)から京都まで電車で遠出するのって気苦労が大変そう、、、と思うのだけど、Yは余裕の心構え。


ベビちゃんを連れていると周りの人が笑いかけてくれる。電車で隣に座ったハイキングのおばちゃんグループに「はい、飴ちゃん」と差し出され、、、関西に暮らしていた頃の感覚が呼び戻される感じ。でもそのおばちゃんのいでたち(白手袋、白マスク、つばの大きな帽子)が怖かったのか、Yの娘ちゃんはとたんに泣き出す。しばらくホームであやしてすぐに復活。




いい天気に恵まれました。Yとは京都に住んでいた頃から桜の時期になるとよく一緒に花見に行ったもの。アメリカに行ってから京都散策を恋してやまなかったので、桜の時期にYと一緒に来られてうれしい。


ランチはYが選んでくれた嵐山のカフェで。身体にやさしいメニューがならぶ。
musubi cafe
京都市西京区 嵐山西一川町 1-8


デザートにはバターや卵を使わずに作られたお抹茶とチョコレートのケーキを1つずつ頼んで、これが予想以上にずーっしり食べ応えあって大満足。お腹いっぱい。


食後には竹の小道へ。でもちょっとゆるやかな上り坂、、、ということでベビーカーを押すのが少し大変なのであまり奥へは進まずにすぐ引き返す。

「嵐山さ久ら餅」で有名な鶴屋寿さんを探したけれど、昔あった店舗が見つけられず残念。アメリカ帰りで無償に食べたいものといったら和菓子、それも鶴屋寿の桜餅!という気負いでどうしても見つけたかったのだけど、ま、伊勢丹デパートの地下に入っているからそこで買おうとあきらめる。


嵐山から懐かしの嵐電に乗る。おとな200円、こども100円。運賃はちょっと上がったけれど(そして駅もきれいになった)、ドンコドンコと右京区の街並を走る姿は昔のまま。右京区に住んでいた頃は、嵐山にくる手段としてこの電車に乗ったり、原チャリで来たり、自転車で来たり、、、歩いたこともあったなぁ。


途中で降りて、昔住んでいたあたりを散策。


山ノ内湯!なつかしの銭湯。まだあって嬉しい。京都に住んでた頃は、プラスチックのかごにシャンプー、ボディソープ、スポンジなどを放り込んで、リフレッシュしたいときに銭湯に通ったもの。近所にはここだけでなく数件あった。京都を離れたらこういう楽しみもなくなっちゃう、イヤだなぁとその頃思っていたけれど、銭湯文化のまったくないアメリカでもちゃんと生きていけてる。

その後、Yの娘ちゃんのオムツ替えと授乳タイムのために京都ファミリー(略して京ファミ、AEON MALLみたいなもの)のなかで少し休憩。娘ちゃん、遠出にも関わらず、ずっといいこにしてます。全然泣かないし、終止ご機嫌な様子。


外大前をとおって、天神川の桜並木を見に。終わりかけ、だけど見事!
懐かしいなぁ、このへんも。天神川って全然メジャーじゃないんだけど、私にとっては学生時代のいろんなシーンに登場する川。散歩もよくしたし、家庭教師のバイトはこっち方面だったし、昔よく行ってたカラオケ屋さんブルートレインがまだあったのにも驚いた。

初めて京都に住み始めたのが1994年だったから、もうかれこれ20年近く前のことなんだよね。

20年、、、!?

びっくりするほどの時間の重みと厚さ。あの頃と頭の中は変わってないのに。思い起こせばあれから、地元群馬県での教師時代、アメリカ大学院留学時代、京都に舞い戻って働いた時代、そして今はカリフォルニア。いろんなことを通過してきてるなぁとは思うけど。そしてどの時代もたのしくやってきたけれど。これでよかったのかなぁとも思う。

あっという間に歳をとって、えぇ?もう寿命やん!とか言ってるような気がする。

京都に行くと、多感な頃の自分の感覚を思い出して、進む方向はこっちか?あっちか?なんて、もうアラフォーだというのにまた考え直したくなるから不思議です。でも京都に住んでからちょうど20周年の2014年の春にYと一緒に歩けたことは、ちょうどいい区切りというか、できればこれからも毎年続けていきたい儀式なような気がしてきた。

それで、帰り際に、
「来年もまた京都で桜をいっしょに見ようねー」と、
言いながら阪急の西院駅前で別れたのでした。

そろそろブログも10年目?

2014-09-12 21:52:58 | 日本への帰省
8月はまったく記事をアップしないで過ぎてしまいました。4月に日本に帰省してから、そのことをアップしないと、、、と思っているうちに、生活に大きな変化があり、経過を観察しているうちに筆をとるのも億劫になり、ふと気づけば夏も終わり、結局4月の日本滞在記から進んでないじゃん!ということに。

よく考えたら、このブログは2004年の9月26日に始めたもの。もうすぐ、10年目になります。せっかく続けてきたブログなので、気を取り直してまた筆をすすめていくことにします。この週末に、日本滞在記は終わりにして、その後は今現在のことをアップデートしていけるようにがんばりますね。

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ではでは、日本滞在記のつづき:

2014年4月8日(火)
この日も大学時代の友達の家へ。中山寺の駅で友達Yにピックアップしてもらい、車で友達Aちゃんの新居へ。引っ越して間もないという彼女の家はモダンな素敵なおうち。

私とY、Yの1歳の娘ちゃんでお邪魔させてもらう。ちょうどお昼時だったのでランチまでごちそうになる。久しぶりにサバ食べた!アメリカからのおみやげに、手のひらサイズのロボをプレゼント。4歳の息子くんにちょうどよかったかな。

これ畳むとキューブ型に収まるロボットなの。私も欲しい。

ひとしきりこども達(4歳、2歳、1歳!)と遊んだあと、Aのところの4歳くんが、ふいに
「なぁなぁ、なんでお母さんふたりおるん?」と私に真面目な顔で聞いてきた。

一瞬質問の意味が分からなかったが、すぐにわかった。
Y親子と私が一緒に家に入ってきたので、私とYの両方がYの娘ちゃんのお母さんだと思ったみたい。こどもっておもしろいなぁ。「わたしお母さん2号よ、3号もいるけど今日は留守番です」とか言ったら本気で信じそうだ。


「ここを押すんやで」とiPhoneのカメラ操作を教える。


パシャ!ちょっと暗くなっちゃったけどアングルはばっちり撮れてる!

夕方からYに箕面の鍼灸院へ連れて行ってもらう。冷え性と生理痛は歳をとるごとにひどくなる一方だったので、一度お灸を体験してみたかった。はり・灸 森の風というところの倉田先生に診て頂く。初めてのお灸!Yと娘ちゃんを待たせてしまったけれど、待っている間娘ちゃんは熟睡していたようだし(よかった~)、Yはなにやら資料の読み込みに忙しそうだった。お灸はあたたかくて気持ちよく、私はウトウト夢ごこち。

この日の夜はYの家に泊めてもらう。ブログを見返すと、2009年の1月に初めてお邪魔して以来だから、やっぱりここも5年ぶり。あの頃も今も彼女はマクロビ実践者。夕食にさんまを頂く。


ザ・日本のお夕食。素朴でやさしい味。ありがとう、ごちそうさま!

5年ぶりに昔の職場仲間に再会!

2014-07-26 20:17:40 | 日本への帰省
日本滞在記つづき:
2014年4月7日(月)
翌日は奈良で、私が日本を出る直前まで働いていた職場時代の仲間に会いに。ランチを一緒に、ということで選んでくれたお店があのあこがれの「秋篠の森」!いや~、懐かしい。ここは職場から近かったので、特別な機会には何度か来たことがあるけれど、やっぱりそれだけ「特別な」レストラン。



お昼の部、夜の部ともに完全予約制だし、メニューも、お食事スタートの時間も決められています。その代わりにとても心地よいおもてなし、とびきりおいしい上品なごはん、居心地のよい空間が毎回約束されている。ワクワク。

お食事の時間が指定されているから時間厳守だったのに、あろうことか私一人行き先を間違えて全然違う電車に乗り途中プチパニック、最後は急遽タクシーでバタバタと駆けつけるはめになりましたが(「平城駅」を「平城山駅」と間違えて「平城山駅」に行っちゃったの。前者は近鉄線、後者はJR線!ぜんぜん違う)、レストラン指定のランチ開始時間にはなんとか滑り込みセーフでした。



この日会ったのは、京都で働いてた頃の同僚と、その頃いろんなプロジェクトを一緒にした大学の先生。元同僚とはここに来る前に東京で会ってたので、今回2回目。彼女は一緒に働いてた頃からの私の抜けっぷりを知ってるので、この日の私の行き先間違いに「りょうちゃん、アメリカで仕事してて支障ない?大丈夫なん??」とレストランにたどり着くなり心配されました、笑。図星だけど。ありゃ~、やらかしちゃった!っていうのはいまだにあるよね、日々(ブログに書いてないだけで)。



しっかり者の彼女はもうずいぶん前に独立して、東京の二子玉川で Box and Needle というとびきり素敵な「箱」のお店を展開している。ふつうにふらりと入った本屋さんとかで、彼女の出版した本が並べられてたり、何気なく手にした雑誌に彼女のプロダクトやお店の記事が載っていたり、別の人づてにすごい活躍ぶりを聞いたりして、なんだかもう私とは違う世界へ羽ばたいて輝いてる様子。本当に頼もしい!

もう1人の大学の先生は、以前いろいろな仕事を一緒にさせてもらって、当時ものすごく影響をいただいた先生。たぶん私のその後の人生や職業選択に多大な影響を与えてくださった方。思い返してみれば、「Exploratorium で働くことを本気で考えてみたら?」とおっしゃってくださったのもこの先生が最初だったような気がする(いや、それ以前にも「MITメディアラボで働かせてもらったら?」とか、発言がいつも big で、実現性のあるなしに関わらず、なんというか、勇気をくれる先生でした)。



この2人は私にとって大切な人達なのですが、久しぶりに会ってゆっくりごはんを食べながらいい時間を過ごして、変わってなさに心底ほっとしました。いや、話してる内容は変わってるんですよ、そりゃお互い会っていなかった5年の間につもる話もあるし、仕事関係で日本はどう、アメリカではこうなんて教育やミュージアムの話もしたのだけど。ただ純粋に素敵な空間で、おいしいごはんを前に「お、、おいしいわぁ~、これ」と心底感動しながら味わってる私達って、ぜんぜんあの頃のままだわ、と思った幸せな午後。結局のところ、好きな人たちと極上の空間でおいしいもの一緒に食べながらする話こそがとびきりのごちそう。そこが変わっていなくて、とても安心しました。





食べたもの、見た目にも美しくて、やさしい味つけ。あぁ、私日本に帰ってきてるんだなぁとひしひしと感じる春の味(メインが運ばれてくる頃には写真のことなんて忘れてお食事に集中してたので、写真がないの)。秋篠の森は、木々に囲まれていて本当に素敵な佇まいです。サンフランシスコにも、バークレーにも、こういうレストランはないなぁ。控えめで、古いものと新しいものを上手にとりいれていて、インテリアも草木もガーデンもひとつひとつの仕事がとても丁寧な感じ。いつかフィリップをこういうところに連れてきてあげたい。




お店のスタッフさんにせっかくの再会なので記念撮影をお願いしました。
「10年後に見る写真ね!」と言って撮ったのだけど、2024年にはそれぞれ何をしていることやら。

その後は、京都にある懐かしの職場へ行ってみました。京都といっても、けいはんな学研都市にあるので、秋篠の森から車ですぐ。実は、この職場はこの春に東京へ移転したばかりで、もう誰もここで働いておらず今は建物だけが残るのみ。誰もいないけど、このタイミングで見に来られてよかった!


懐かしいなぁー。
5年前、あの白い建物の中で、日々いろんなことがありました。新しい世界を見せてもらったし、新しい仲間とも出会いました。サンフランシスコの Exploratorium のことを知ったのも、今のボスと初めてメールでやりとりをしていたのも、すべてここから。何というか、人生のすべてのことはお互い有機的につながっているのだろうから、ある一点だけを取り出して「あの時のあれが今のこれにつながってる!」なんて一概にいえないけれど、今アメリカにいて自分が今みたいな仕事してるのはなんとなくここが原点だった気がする。


そこから車で先生の大学の研究室にもおじゃましました。ここも、昔よく来ていた場所。懐かしいなぁー。あの頃、大学生を相手にする仕事が少しあったけれど、いやはや、先生が学生達をぐいぐい引き込むパワーをいつも傍観するばかりでした。


ちょっとお邪魔しただけなのに、ささっとお約束のランチョンマットをつくってプリントアウトして、ドーナツとコーヒーでおもてなししてくれて、、、そういうのも5年ぶりで本当にうれしかったな。

もう3ヶ月も前のことなのに、こうして写真で見返すと昨日のことみたいに思えるわ。それにしても、この1日は2005年~2009年までの思い出をたどる旅のようで、その行程をその頃ほんとに濃い時間を過ごしたふたりと一緒にまわれてよかった。

願わくば、またいつの日か、日本とアメリカで一緒になにがしかの仕事ができますように。そんなふうに思わずにいられない、懐かしい、思い出の一日でした。

5年ぶり、同い年の友達!

2014-07-21 07:40:46 | 日本への帰省
日本滞在記つづき:

2014年4月6日(日)
夜は大阪で、大学時代の友達4人でごはんを食べました。会うのはこれまた5年ぶりぐらい???1人は2児の母であり、1人は1歳ぐらいの乳飲み子があり、もう1人は結婚したばかりでとても幸せそうでした。この夜は何が楽しかったって「同い年の友達」4人で集まったこと。

大人になると同い年の友人見つけるのって大変じゃない??
いまアメリカで私の周りに同い年の女子が皆無です。だいたい3つか4つ年下か(はたまた20代か)、3つ上かすごーく上かって感じ。同じ年の男子ならいて「1975年生まれ!」で盛り上がることはあっても、やっぱり育ってきたバックグラウンドが違うから(アメリカとイタリア人)何か違うんだよな。

そんな同じ年の女子まったくいない5年間だったので、同い年のジャパニーズ女子が4人で集まっているというシチュエーション、それも昔からの友達ってことで、ほんとうに気兼ねなく心おきなく、いろ~んなことをぶっちゃけトークできたのがすごくたのしかった。昔は当たり前だったこういう集まりが今は貴重。


(1人は乳飲み子がいるため先に帰っちゃったのだけど、残りの3人で帰る間際に店員さんに撮ってもらった)

同じ年の友達がいうことは何でも親近感がわきます。身体のこと、肌のこと、仕事のこと、家族(あるいはこども達)のこと。この夜のいちばんの話題は身体のことだったかな?お互い同じ年だけ生きてるから、参考になりまくり。たとえば肌のことなんてアメリカ人と話したって全然盛り上がらないんだけど(みんな日焼けしたい派だし、日本人とまったく考え方が違うし)、やっぱり日本人女子トークはみな立ち位置が同じなので居心地がいいわー、分かってもらえるのが。それ以外もアメリカでは話さないような超プライベートな話題もたくさんして、私はいろんな情報と刺激をもらって、一気に開眼!今もう帰ってきてから3ヶ月経つけど、この夜のことはその後の私にも影響バッチリ与えてると思う。


食べたのは旬の素材を使った自然食のバイキング!嬉しすぎ。
(お店)
旬菜食健 ひな野 大阪OCAT店
大阪府大阪市浪速区湊町1-4-1 
OCAT 5F

5年半ぶりの京都駅

2014-07-13 08:25:37 | 日本への帰省
日本滞在記のつづき:
もう3ヶ月前のことだけれど、、、何年かしたら忘れちゃうことも多いので、いま覚えてるうちに書いておくのです。

2014年4月6日(日)
この日は京都へ向かいました。せっかく日本に帰っていると言うのに、実家に泊まったのは本当に数日ぐらいで、この日から約1週間ほど京都へ出かける私。

ああでも嬉しいなぁ。またこのブログの「京都」カテゴリに記事が増えていくなんて。大したことはしていないけど、思い出のひとかけらをここに残しておこう。


ちょうどお昼時の新幹線だったので電車の中で優雅にお弁当を食べました。もっとグレード高くて美しいお花見弁当が良かったのだけど、お花見シーズンですべて売り切れ。仕方なくこれ、でも十分でした。山菜おこわ、シュウマイ、ブリの照り焼き、 etc... 何より「お弁当」というスタイルが久しぶりで嬉しおいしかった。

新幹線が京都駅のホームに入ると聞こえてくるアナウンス「京都、京都です」。それが本当に懐かしくて、席を立ちながらじわじわじわ~っと感動にひたっていると、降りる間際に前にいたロシア人女性が私に道を尋ねてきました。

I want to go to Omiya. Do you know which train I should take?

大宮に行きたいらしい。
京都をまる5年も離れていたのに、こう聞かれてすぐに地下鉄マップが頭にうかんで、地名もつぎつぎと出てきてスラスラとこたえている自分にプチおどろき。「新幹線をおりたら地下鉄の京都駅へ移動して、そこから七条、五条と乗って、四条駅で阪急線に乗り換えるの、そこは四条烏丸という駅で、そこから四条大宮へはひと駅だよ。」こう説明しても、「じゃあその最初の地下鉄の駅へはどういけばいい?」と聞いてくるので、いっしょに歩いて地下鉄まで案内をしました。

そんなことをしてたのであまりひとりで感慨にふける時間はなかったのだけど、まぁ人助け+自分の記憶のリフレッシュにもなってよかったかな。京都の地下鉄の駅名なんて、私の脳の奥のほうの桐だんすにしまわれていて長いこと取り出す機会がなかったから、笑。シカゴに住んでいるという彼女は英語もとても上手でした。

何はともあれ。


Long time no see, Kyoto! I missed you!!

駅の構内にもそこかしこに思い出が詰まっていて、歩いているだけで涙でそうになりました(大げさでなく本当に)。この構内を何度走ったことか。ここから何度旅立ったことか。ここで何度人を出迎えたり見送ったことか。京都って、若い頃の自分の何もかもを清濁合わせのんで包み込んでくれるような不思議な包容力があるのだよね。

駅前のタクシープールのところに立ててある手書き風の看板「左側実車 右側空車」が昔と変わってない。全~然、何の思い入れもない看板なのに、その看板におかえりと言われてる気がしてしまうんだから、なにで記憶のスイッチが入るかわからない。


京都の緑の市バス。市バスの番号、28番とかは思い出深いなぁ。この駅前のなんてことないつまらない風景が猛烈になつかしい。特にこの風景は京都駅が新しくなる前の古い京都駅を思い出させるようでとても懐かしくて、なんだかねぇ本当にもう、何をみても、どこを歩いても、それはみな「いつか毎日のように見ていた風景」なわけで。記憶のパズルがひとつひとつカチッカチッとはまっていくみたいで、とても不思議な感覚だった。


こんな売り場の風景でさえもなつかしい。ていうか、アメリカから来るとこの試食コーナーがとても珍しく見えて写真に撮るに値する風景なの。お漬け物がおいしくて、買わないのにさーっと味見。満足!


駅の構内。ここは走ってる思い出しかないなぁー。時間ギリギリガールでしたから。ここの奥左手にある立ち食いのお蕎麦屋さんみたいなところで売っているおにぎりがとてもおいしいんだよね。ちりめんじゃこの。まぁ、京都で買うちょっといいおにぎりはどこのでもおいしいけどね。ここは構内だから時間がないときにさっと買えて便利。

この日は夜に大阪で大学時代の友達に会うので、京都のホテルに荷物を置いてすぐに難波へ。
やっと西日本に来られたこと、待っている友達がいること、思い出のつまった懐かしの街を旅人として歩くこと。気分は高揚。天気もよくてお花見シーズンで、これからの数日間に胸は高鳴るのでした。