Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

2年で2度のレイオフ

2015-09-12 11:18:42 | エクスプロラトリアム
今週、職場でレイオフがありました。
解雇されたのは30人のフルタイム職員、
他に8人の職員が時短となりました。
全体の7%にあたります。

ちょうど2年前、
これよりもっと大規模なレイオフがありました
解雇されたのは80人以上、何名かが時短となり、
全体の20%近くがカット。
これはニューヨークタイムズ紙にもニュースとして載っていました。

今週起こったレイオフはきっとニュースにもならないでしょう。
きっと、このくらいの規模ならどこにでもあることだから。

とはいえ、2年のうちに2回のレイオフ。
様々な感情と思いがぐるぐるうずまいています。
去らなければならない人も、残る人も、
両方が多大な傷を負いました。

20年、30年、ミュージアムの歴史とともに人生を歩んだ人達。
その人達がやるはずだった仕事や夢がまだまだたくさんありました。
今それらは、行き場をなくして宙ぶらりん。

考えても考えても、答えが見つかりません。
あるのは痛みと、怒り。それだけ。


2年前の傷もまだ癒えていないというのに。

日本からのコラム依頼

2014-10-09 16:04:51 | エクスプロラトリアム
久~しぶりに日本語でコラムを書く仕事が日本からやってきた。ミュージアム関連の本に載るそう。内容は米国ミュージアムでの実践報告というざっくりとしたくくり。締め切りは年明けの1月と言われて、時間があるようなないような、、、。

いつもギリギリ魔だけど、妊婦の今となっては出産予定の1月は何があるか分からないので、11月末までには原稿終わらせていますように(と言いながら放置しそうな自分が怖いー)。いや、ちゃんとやらないとね。。


(最近の仕事風景。電子回路でいろいろ試してるところ、、、だけど同僚の頭で見えないね。)

職場でのことを日本語で発信できるよい機会。だけどしばらく日本語でまとまった文章を書いていないので、リハビリが必要かも。

きちんとカタチになったら報告します。

Maker Faire も無事に終わり

2013-05-26 22:07:42 | エクスプロラトリアム
今年の Maker Faire は、あっさりとしていた。けれどうれしいこともあったので忘れないうちに書いておく。

あっさりの理由は、例年ならエクスプロラトリアムとして大々的なブースを構えて、この日のためにワークショップやアクティビティ、体験型の展示など様々な準備をしてのぞむところを、今年はミュージアムが移転したばかりで何かとバタバタ忙しいためにブースを大幅に縮小、あまり私達に負担のかからない関わり方での参加となったからです。


ブースの場所も、例年のように屋内ではなく、今年初めての屋外ブース。
エクスプロラトリアムから屋外用の展示(カメラオブスキュラの自転車やスケートボードの体験型トラックなど)を持ち出しました。


当日は初夏のようなお天気。風はベイエリアらしくサラッとしていて、一日中お日様のした。
私はモーター+電池+チョークをつかった drawing machine をつくるアクティビティでのファシリテーター。

私の仕事はいつも屋内なので、この日一日中青空の下でワークショップできて本当に気持ちよかった。しかも会場はサンフランシスコから南下したところにあるサンマテオという街で、ふだんの寒いサンフランシスコよりだいぶ気温が高い。久々に感じるモワっとした熱気を肌が喜んでる。

休憩中に会場をぶらりとまわる。
例年のことだけれど、3Dプリンタのブースがずらりと並んでいて、数が多すぎてそれぞれがどういう特色でどう違うのかが分からない。よっていつも3Dプリンタ系は素通り。ロボティクス系もパス。


圧巻だったのはこの巨大ハンド。鉄の手。下でこども達が動きを操作できるしくみで、この巨大ハンドで金属のかたまりや車(廃車)をつかんで上から落とすとか、クラッシュさせるのを楽しんでました。発想と実装がおもしろすぎる。


Art Car も例年さかん。数百の魚やロブスターでデコレーションされたボルボ。これで公道を走っているというから驚き。魚達がメカニカルに歌いだします。


Maker Faire は、クラフトから木工、アート、テクノロジーまで何でもありで、新しいアーティスト発掘の機会でもあるので、会場をくまなく歩きまわります。個人的には今年は木工を始めたことで、カーペンターさんや木工アーティストの方々と初めて楽しく話ができたことがうれしかったです。


さらにうれしかったのは、サウジアラビアに出張した時に現地で一緒にがっつりと仕事した青年と再会を果たしたこと。今はアメリカに留学中で、ボストンから遊びに来ていたところでした。

この仕事続けていて一番うれしいこと:パッションを共有する仲間と国や文化の壁を超えてつながってゆけること。それをこの日また再確認しました。

無事にオープンしました!

2013-04-25 22:23:54 | エクスプロラトリアム

2013年4月17日(水)
エクスプロラトリアム、無事にリニューアルオープンを迎えることができました。


朝9時にエントランスの前でちょっとしたセレモニーがありました。
ギリギリまで準備で忙しくてセレモニーもパスするつもりでしたが、ボスが「人生でいったい何度ミュージアムをオープンする機会に立ち会えると思ってるの?」って、私を外に連れ出してくれました。


すがすがしい朝。みんながお祝いムードで、この日、スタッフの誰もが笑顔でした。
私も1年前までこのオレンジベストを着て仕事してたね。


夜にはエクスプロラトリアムの壁にオブスキュラライトのプロジェクション。
道ゆく人が足を止め、通りはライトアップを見守る人でいっぱいになりました。


シャドウアーティストのパフォーマンスもあり、幻想的な夜でした。

So happy and so thrilled to be able to work for this place!

最近の仕事のようす

2013-02-12 22:15:12 | エクスプロラトリアム
最近の仕事の様子を少し。
前回の記事でミュージアムは4月の再オープンに向けて現在いろいろなものを建設中と書きました。私が所属しているラーニングスタジオは、以前よりさらに拡大し、ものづくりのためのスタジオスペース(ビジター向け)、リサーチ&ディベロップメントのためのラボスペース(私たちスタッフ用)、デスクワークをするためのオフィス(私たち用)、それに加えて Woodworking のための工房スペース(私たち用)ができる予定なのです。

私はこの2週間はずっとその Woodworkingスペースの立ち上げに従事しています。こじんまりとした小さな工房スペースなので同僚女子と私の2人だけでやっています。マシンの購入、ツールの購入、家具の選定、工房内のレイアウトと実際の構築、セットアップなど。


真っ白い、なんの個性もない壁がイヤだったので「この壁を peg board(ペグボード)で覆っちゃおう!」とか話しているところ。


ペグボードとは等間隔に小さな穴の空いた茶色い板のこと(日本ではなんと呼んでいたか思い出せない)。さっそく板を買いにいき、すぐに壁を覆いはじめました。

工房内で作業する時は髪の毛を結ばないといけないのでさっと軽く髪を結わえてます。髪の毛だけでなく、マシンを使って作業する時は、セーフティゴーグル、騒音から耳を守るための耳あて、そして細かな saw dust(木屑?)を吸わないためのマスクを装着してます。


同僚のニコルはとにかく作業が速くてスキルもあるので一緒に仕事してて教わることが多い。よき友達であり、よき同僚。そんな彼女といちから「場をつくる」という仕事をいっしょにできるのはしあわせなこと。


壁2面をすべてペグボードで覆い終わったところ&工房内の様子。まだまだやることがたーっくさん残ってます。今日は、パワーツール(router, brad nailer, sander, jigsaw, circular saw などの機械工具、日本語ではこういう機械のことなんていうのかな?)を収納するためのラックをつくりました。写真に撮るの忘れたのでまた近々アップします。

昨年の夏から始めた Woodworking、今でも仕事が終わってから1つクラスを履修中です(クラスが週3回)。なので、最近の私は仕事でも woodworking、終わってからも woodworking、週末は週末で woodworking の課題に取り組んでいるので、本当に毎日「木」と格闘中な日々を送っています。でも好きなことを仕事でもできるのはしあわせなこと。楽しすぎて仕事の時間もクラスの時間もあっという間に過ぎていきます。

ワークショップで人に教えたりファシリテーションしたりするのも好きだけど、一方でじっくり「木」と対話しながら自分だけの世界でものづくりをするのも好きだなぁと最近つくづく思います。でも、ものづくりへの傾倒や、自分のことを「つくりて」と見なすようになったのはアメリカに来てから始まったこと。「へぇ~、私ってこんなことできたんだね~」と自分で自分のスキルに驚くことが日々あります。人生って、いや人間ってほんとうにわからないね。まだまだいろんなこと開拓していける30代!

手を使ってなにかつくってる時間が最高にしあわせ。私の肩書きはミュージアムエデュケーターだけれど、やはり「ものづくりの文脈で」のエデュケーターでありたいと最近しみじみ思います。

イタリアから戻りました。

2012-11-03 09:44:25 | エクスプロラトリアム
初めて行ったミラノ。
メイン会場となった National Museum of Science and Technology Leonardo da Vinci という名のミュージアムには、イタリアじゅうのサイエンスミュージアムに勤めるスタッフが総勢43名集まりました。こちらは私も含め同僚と4名で行ってきました。


今回私たちがリードする研修(ワークショップ)のために与えられたスペースはこんなお部屋。イタリアっぽい!


ひとたび、ワークショップが始まると荘厳なスペースも人々の歓喜の声であふれました。音が響きすぎるくらいエコーがかかってしまう室内に話すのも聞き取るのも苦労しましたが、会場内は常に熱気でいっぱいでした。


3日間の研修。
合間、合間にふるまわれるケータリングのお料理や、スウィーツ、エスプレッソにカプチーノ、、、おいしい学びとおいしい時間。イタリアの食文化の豊かさも実感する日々。

最初は3日間で何を伝えられるのだろうと不安でしたが、終わってみればイタリアのみなさんもこちらもメンバーもこの上ない充実感でいっぱい。最初は小さく期待していたモチベーションと好奇心、この3日間でみんなの思いがぐぐぐっと急上昇したのを実感しました。

とりあえずは無事に戻りましたの報告まで。
帰国してからすでに1日ゆっくり家で休み、洗濯と旅のスーツケースの後かたづけも終了。この週末はリフレクションとレポートを書いたり、久しぶりのサンフランシスコを楽しもうと思います。

仕事でイタリアへ

2012-10-19 21:30:44 | エクスプロラトリアム
晴れてミュージアムエデュケーターとなってから、初めての大きな仕事。
それが来週のイタリア行きです。ミラノにて、イタリア国内のいくつかのサイエンスミュージアムスタッフを対象としたプロフェッショナルディベロップメント研修が行われます。その研修に同僚チームメイトとともにインストラクターとして行くことになりました。


ミラノは北イタリアの端っこ。

この件は今所属しているグループでパートタイムとして働いていた頃から計画されていたので、とりたて「ミュージアムエデュケーターになれたから入ってきた案件」、というわけじゃないのだけど。でも、自覚が少し変わってくるかな。自分もっとしっかりしなくちゃ!と思う。

6月にサウジアラビアで研修を行ったときの相手は学生さんだったけど、今回は相手も同じくミュージアム勤務している人達。さぁ、私たちの実践はどう受け止められるのでしょう???


ミラノで行うワークショップに使う道具や材料は、『確実』に持参するためにすべて手持ちで持ち込みます。それだけでスーツケース5個分!そのうちひとつは機械じかけのぬいぐるみのおもちゃでパンパンだったり、まぁ全体的にへんてこりんな道具や材料だらけです。空港のセキュリティの人に質問されること間違いなし。


モノの移動、モノの管理、モノの調達。
この仕事を続ける限り、数百もの雑多な素材類とつきあっていくことは必須。

こうやって、今私たちがサンフランシスコのエクスプロラトリアムでやっている活動の伝道師(?)として他の機関へ出向き、プロフェッショナルディベロップメントを行うことは、これからの私の仕事のメインのひとつになりそうです。そしてその機関が国外であっても躊躇せず、呼ばれれば、行きます。軸足をサンフランシスコに置きながら、外の機関へ行ってそこでも研修や実践を許されるというのは、すごく魅力的な仕事の形態だと思う。内と外をじゅんぐり行ったり来たりしながら、自分たちのホームであるエクスプロラトリアムでの活動もどんどん刺激されていきそうだから。

ものすごく、ワクワクしています。
サウジアラビアに行ったことは、今の仕事を続けていくうえで強烈な学び体験となりました。今回は、また違う国で、違うレベルの人達を対象として一体どんな学びがあるのか、ホームに何を持ち帰ってこられるのか、とても楽しみです。

Stay tuned.

フロアスタッフを卒業!

2012-10-14 08:45:04 | エクスプロラトリアム
金曜日がフロアスタッフとしての最後の勤務日でした。

エクスプロラトリアムには2種類のフロアスタッフがいて、私が所属していたのは遠足で訪れるこども達のグループをまとめ、館内の展示を説明したり、デモをしたり、アクティビティを一緒にやりながらこども達によりよいミュージアム体験を提供することが主目的のグループ(もう1種類は高校生で構成される大グループ、放課後にミュージアムのフロアを巡回してくれるアルバイト学生です)。


(イェイ!)

フロアスタッフの仕事は週に20~28時間の勤務で、フルタイムで働いている人と同様に社会保険も給付されていました。ただ、契約は1年ごとの更新制で、任期は3年がマックス。この「任期は3年がマックス」ということから分かるように、フロアスタッフの仕事は多くの人にとってキャリアにおける通過点のようなもの。

私はちょうど、フロアスタッフになって1年半が過ぎたところでした。
この1年半で学んだことはとても意味があったと思うので、これを機にどんなことが自分にとってプラスだったのか記しておこうと思います。

1)英語でガイダンス/オリエンテーションを行うための訓練になった!
留学時代に、英語でクラスルームティーチングを行う経験はあったものの、ミュージアムのようなガヤガヤとした場所で英語でこども達のグループを先導したりデモンストレーションをする経験が私にはなかったので、毎日仕事としてそれをさせられることがすごくいい訓練になりました。


(ミュージアムに到着したこども達はたいてい浮き浮きソワソワしていて、落ち着きがありません。
そんな子たちを前にどうやって全員を注目させ、話を聞かせるか。最初はみんな苦労します。)

2)英語でファシリテーションを行うための訓練になった!
エクスプロラトリアムには優れたファシリテーターがたくさんいます。またそのためのトーレニングも頻繁に行われます。ファシリテーションには、こども達のアタマの中のモヤモヤとした疑問を刺激し、育て、発見につなげるための良質な質問というものが絶対に存在します。良質な訓練を受け、先達者からワザを盗み(!)、毎日のようにこども達を前にしてファシリテーションを行い、ミーティングで仲間と話し合い、自分たちの実践をふりかえることはこの上ない学びの機会でした。


(The right question at the right time. と私たちは呼んでいますが、適切な問いかけを適切なタイミングで行えるようになるには訓練が必要。)

3)ミュージアム内の様々な人達とのつながりができた!
エクスプロラトリアムに働く人はパートも含め500人以上います。正直スタッフバッジをつけていても「あの人何してる人?」「どこの部門?」なんて疑問は日常的に起こります。でも、フロアスタッフはミュージアムのすべての部門のフロントラインとして働くため、生物、物理、アート、心理学、メディア、工房、などそれぞれの部門の中の人とも関係を築くことができました。そしてそのことはミュージアム全体を理解する助けとなりました。


(毎週木曜日はエクスプロラトリアムの名物教師、ポールによる研修、その他の日も他の部門からアーティスト、サイエンティストがレクチャーをしに来てくれました)

4)様々なバックグラウンドの仲間と知り合えた!
一緒に働いていたチームメイト達(全部で15人)は 20~30代で構成される若者達。彫刻アーティスト、元高校の理科教員、市内の劇場で芝居をする役者、物理学やコンピュータサイエンスの大学院生、写真家、ピースボートでアフリカから帰ってきたばかりの人、TESL(英語教育)の修士号をとったばかりの人、アフタースクールプログラムで教員をしている人、、、。この多様なメンバーで展示のスタディをしたり、ファシリテーショントレーニングをするものだから、意見もリアクションも様々。お互いがお互いにないものを見て学び、刺激しあう、そういう集団でした。



5)フロアの展示物にとても詳しくなった!
エクスプロラトリアムのフロアをフィールドとして仕事をするので、当然フロアの展示には詳しくなります。勤務中に展示物をいじくりまわして、遊んで、ビジターの人も巻き込んで、、、なんてことがしょっちゅうです。

大好きな展示の1つ。同僚ニコルがつくった Strob-O-scope!


そして、自らワークショップを考えていくうえでの様々なインスピレーションをもらいました。


自分で自分をパチリ。


毎日、ここが自分の仕事場でした。

様々な経験を積むことができたフロアスタッフ。
これで卒業です。

着ていたオレンジのベスト(ユニフォーム)を返却し、使っていたロッカーを空にし、毎朝館内のブレーカーをONにするための鍵(これも仕事の1つだった)を返却。代わりに、新しいオフィスの鍵を受け取りました。

もう、ユニフォームを着ることもないんだなぁと思うと感慨深いものがあります。もう、こども達を前に大声をはりあげて Welcome to the Exploratorium! なんて挨拶することもない。もう、フロアで牛の目を解剖することもない。もう、電球を爆発させたり、手品をしてみせたり、植物を解剖することもない。仲間と離れることはさみしいけれど、これからも同じ屋根の下で働く身。門出を祝福し、快く送り出してくれたみんなにありがとう、です。

さぁ、これからは、新しい仕事。
今までよりも、少し責任のある仕事をしながら、それでも今までと変わらぬ好奇心とワクワクで取り組んでいきたいと思います。



夢がかなった日

2012-10-08 05:49:40 | エクスプロラトリアム
フロアスタッフとして勤務していた午前中、マイクのオフィスに呼ばれ、Museum Educator として正式にフルタイム雇用となるオファーをもらった。

うれしくて、うれしくて、うれしかった。
思わず両手をあげてガッツポーズしていた。
この時を、待って、待って、待ち望んでいた。

一日のうちに何度きいたかわからない Congratulations!
フロアスタッフ仲間からは We'll miss you.
新しいチームのみんなからは Welcome on board!
(新しいチームと言っても、今までずっと一緒にやってきた仲間だけどね)


夕方、よろこびをどこに発散していいやら分からなくて、
自転車をとばして近くの埠頭まで。


からだ中からエネルギーがわいてきて、
いてもたってもいられない。

私は喜びのかたまり。
ぐんぐんペダルをこいで風をきって進む。

言葉にならない。
今までのこと。
2007年3月。初めてエクスプロラトリアムを訪れて感動しっぱなしだったこと。初めてマイクに会った日(一緒に記念撮影までしてた!)まさか一緒に働けることになるとは、夢にも思っていなかった。

2009年3月。日本を離れるとき、大好きな仕事を辞めなければならず悲しかったこと
「好きな人たち・仲間、組織と離れてひとりになっても、ひとつ、ひとつ、マイペースに私は私の道をいこう。どこへ行っても、あこがれの空気をかぎわけ探しあてることのできる自分でありたい。」
当時の日記にこう書いていたけれど、実は相当さみしかったし心細かった。

2009年秋。アメリカにきて、エクスプロラトリアムでボランティアを始めたこと
何の役にもたっていない気がして、自分の存在価値を問う日々だったこと。仕事の内容で苦しくてつらかったことはないけれど、過去3年間ボランティア時代も含めて、自分には果たして何ができるのかという「自分疑い」の疑心暗鬼と、ポジション獲得のための内部競争にもまれて心が萎えそうになったことは何度もありました。そういうことはブログには書いてないけれど、流した涙もたくさん、傷ついたこともたくさん。

それでも、ここで働くことが夢だった。

2011年1月。フロアスタッフの仕事をもらった時の心の迷い。日本でやってきた仕事が何もかもいったんリセットされて、アメリカでは未経験の若手と同じ扱いで、一からのスタートになることが本当は嫌だった。それでも、一歩や二歩後退したとしても、フロアスタッフの仕事をとることが私がミュージアムエデュケーターになるためには必要なことだった。

そして今日。新しく(?)正式にメンバーとして迎えてくれたラーニングスタジオの仲間達からの祝福。パッションと、ビジョン、知的好奇心を共有できる数少ない仲間達。あらためて、あぁこの人達のために働きたいんだった、この人達と一緒にやっていきたい、と強く思う。そんな仲間に出会えたこと、そしてそこに発生する仕事がボランティアやパートタイムではなく、これからはフルタイムとしてのコミットメントになること。

ワクワクして、いてもたってもいられない。
うれしい、しか思いつかない。

履歴書とレターを無事に提出しました

2012-09-23 08:19:11 | エクスプロラトリアム
9/20(木)にレジュメ(履歴書)とカバーレターを無事に提出しました。来週のどこかのタイミングでインタビューがあるはずです。


これは求人票。
職種はミュージアムエデュケーター。
2枚にわたり、仕事内容や応募資格が書き連ねてあります。

応募資格として一番上にあったのは、教育学修士号と Informal education 分野での5年以上の実経験。Informal educationというのは学校教育のようなフォーマル(formal education)な教育に対して、学校の外(ミュージアムや自然学校、プレイパークなど)で行われる教育プログラムの総称。私は、日本での勤務経験を合わせると、もうこの分野で7年近く働いていることになります。プラス、高校で教壇に立っていた年数も合わせると10年以上。あぁーー、歳とるはずだ。。もちろん、教育学修士号(M.Ed)もあり、この時ほど、大学院いってよかった、それもアメリカで学位とっておいてよかった!と強く思ったことはないです。

履歴書やカバーレターを書くのって、アメリカの場合、形式が個人の自由にまかされるため、人生の強烈なリフレクションになります。学歴から書いてもいいし、職歴から書いてもいいし、他のなんでも(賞やスキル、ライセンス、あるいは海外での学会発表など)とにかく自分が過去にしてきたこと、過去にとおってきた道を書き連ね、そこにひとすじのストーリーが見えればとてもよいレジュメになります。

といっても、私の場合、「人生」というなの編み物があったとしたら、とてもじゃないけれどきれいに織りなされているとは言えず。。ところどころ伸びていたり縮んでいたり、毛糸がごちゃごちゃになっていたりする。編んでいる本人も「これは一体なにが編みあがるのだろう」という気持ちで編んでいる(今も)。それでも、今回自分の毛糸を見返してみたら、ここ7年はずっとひとつのことを考えて、同じ方向へ編んできたのだったなぁと気がつきました。

さぁ、来週はインタビュー。
過去をふりかえるリフレクションはもうだいぶ自分の中でやったので、インタビューに備えて、5年後にどうなっていたいのか、10年後にどうなっていたいのか、今度は自分のつまさきが向いてる未来のことを考えたいです。