Silver linings

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ペルー、いよいよマチュピチュそして石組みの技術!

2013-09-08 19:52:19 | ペルー
さて、ホテルに荷物を置いてのんびりしてもまだ午前11時ごろ。
私達がいるのはマチュピチュのふもとの村で、遺跡へ行くにはここから 30分ほどバスに乗る必要があります。ただ、個人旅行ゆえ、バスのチケットも、遺跡への入場チケットもまだ手に入れておらず。とりあえず、それらのチケットを買いに、村のツーリストインフォメーションへ行くことに。

・マチュピチュ遺跡までのバス料金 US$ 18.5
・マチュピチュ遺跡入場チケット Peru Sol 128 (US$ 46)
・マチュピチュ遺跡+ワイナピチュ登山チケット Peru Sol 154 (US$ 55)


マチュピチュは2日間分の入場チケットを購入。
これ1人約1万円分ほどの計算になる。ばっちり先進国から観光に来る人向けの値段だね。先進国以外から来ている人には少し敷居が高いのでは?と思う。ともあれ、さっそくマチュピチュ遺跡へバスで行ってみることに。


ふもとの村から出ている乗り合いバス。人数がいっぱいになるとどんどん発車していく。30分に一本と聞いていたけれど、この時期だいたい 10分に一本ぐらいは出ているような感じでした。

バスがどんな道をのぼっていくかというと、、、


これよ!これすごくない??
左下に見えるのがふもとの村。そこから急な山の斜面をジグザグにのぼっていくバス専用の車道。到着まで 25分ぐらいかかります。運転手さんは手慣れた感じでバスを走らせていくけれど、車線などないのでバス同士がすれ違う時はドキドキ。


車窓からの景色。

そして、、、
バスはようやくマチュピチュ遺跡の入り口にたどり着きます。
遺跡の入場口付近には、たくさんの現地ガイドが待機していてお客さんの獲得に必死です。ただ言語がスペイン語か英語。日本語の現地ガイドはまずいません(そういうのは前もって手配しておく必要あり)。私達は英語の現地ガイドを2時間、たまたま居合わせたアメリカ人カップル観光客とシェアして雇いました。

そしてそして、、、

念願のマチュピチュ遺跡!

今日は曇り~、だけどやっぱりこれはすごい。
インカ帝国時代に築かれた美しい石組みが今もきれいに残っているなんて。


ハロー、マチュピチュ!また来たよ!

ガイドさんに連れられて、見所をまわります。
よく見ると、ひとことに「石組み」といっても実はその精巧さにランクがあることがわかります。






いちばん粗雑な石組みの例たち。
積んであるだけだったり、石と石の間を埋めるフィリング(粘土を使っていたらしい)が入っていたり、石の大きさが揃っていなかったりするもの。単なる通路の壁や、食品貯蔵庫の壁などはだいたいこんな荒いデザイン。


これはランクが上の石組み。王女の宮殿と呼ばれている部屋の壁です。重要人物の住む建物は石組みも精巧ということ。壁のくぼみは灯りを置くためのもので、窓ではないそう。マチュピチュのこういった窓やくぼみのほとんどが、長方形ではなく台形の形だったのも謎(作り手からしたら台形にするほうが難しい)。でも構造上はそのほうが強度があり崩れにくいのだとか。


これが一番きれいで精巧な石組み。一目瞭然です。石と石がピタッとくっつききれいにおさまっていて、カミソリの刃一枚入る隙間がない。しかも驚いたのは、これ積んであるだけでなくて、外からは見えないけれど中で噛み合わせの凹凸をつくって石どうしをくっつけてあるのだそう。まるで大昔の日本の木工職人がよくやっていた継手と組手のような感じ?

私はふだん木工をしていてそういうジョイントを完璧につくるのがどれだけ大変か分かっているので、それを石でやってのけたインカ職人の技術力には脱帽。


その最も精緻な石組みは「太陽の神殿」と呼ばれていて、マチュピチュ遺跡の中で唯一美しい曲線を描いた建築物。


これが全体像。さらに驚いたことには、この神殿が、もともと自然に存在していた巨大な岩のうえに築かれていたこと。自然と人工物の融合!マチュピチュではこのように自然の岩を利用した建築物が他にもいくつかありました。神殿の下はお墓(陵墓)として使われていたそう。

それにしてもこの石達、いったいどこから運ばれて来たの?それに作業場はあるの?
私の疑問にガイドさんは「それなら石切り場を見せてあげるよ」と石切り場に連れて行ってくれました。


さぁ、これがマチュピチュ遺跡の石切り場。大きな岩がごろごろしています。
つまり、インカ時代この都市を築き上げた石達は、下から運ばれて来たのではなく、もともと山の上に自然に存在していたものを採石したのね。


ガイドさんが石のハンマーの実演をしてくれました。
マチュピチュで建築に使われている石はほとんどが花崗岩だそう。鉄や金属を持たなかったインカ時代に、石を加工するツールもまた石だった(ずんぐりした茶色っぽい岩が “ハンマー” として使われていた岩)。このハンマー石は花崗岩よりもずっとずっと硬くとても重くて私は持ち上げられないほどでした。


採石場にはどうやって石を切り出したかのヒントになる岩が残っていました。インカの人々は石を切り出すのには、石がもともと持っている割れ目や筋を利用したそうです。筋目にそって、石鑿で適当な間隔に穴をあけ、そこに硬い木材をくさびとして打ち込むのだそう。打ち込んだ木材を水で湿らせると木が膨張しようとする力で、石が筋目にそって割れるのだとか。

ふ~ん、すごい!
電動工具もない時代だもの。
あの都市をつくりあげるひとつひとつの石をそんなふうにして切り出して、切り出した後にも建物に合うような形に成形する。どんだけ手間がかかってるんだろう!!ちなみにインカ人は建築家と技術者でしたが、実際にこれらの作業をしいられたのはアンデス山脈に住んでいた人達で、いわゆる奴隷のような感じで連れてこられ石の作業にあてられていたそうです。

前回2004年に来た時はこういった遺跡を見学する際に「ものづくり」や「技術力」の視点ではそれほど見ていなかったように思う。あれから9年後の今またここを訪れて、こんどはその職人の技や技術に心底感動している自分がいることがなんだかおもしろい。インカ時代の謎の要塞都市にまつわるさまざまなストーリーや天文学、宗教観などより何より、まず一番に
「これ、どうやってつくったの??」
が私の最初の疑問でした。本当に、インカ独特の精巧な施行や石積み技術は見応え十分。

ここに書いたことはガイドさんから聞いたことのほんの一部。
他にもいろいろな見所を回ってくれたんですよ。ガイドさんの強いなまりのある英語をしっかりと集中して聞きながら、ときどき彼の発音のせいで分からないことがあって同行者のアメリカ人カップルが言い直してくれて分かったりして。ブロークンイングリッシュのガイドさん+ネイティブスピーカーのアメリカ人のコンビはなかなか良かったかも(ガイドさんと私達だけだったらお互い第2外国語どうしでたぶん理解し合うのが大変だったと思う)。私は途中途中で母に日本語に訳して伝えるのだけれど、ふだんから英語⇄日本語の切り替えが苦手な私、頭の中いそがしかった。しどろもどろな訳になってましたね。

・・・長くなってきたのでここでいったん区切ります。(つづく)

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