Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

5年ぶりに昔の職場仲間に再会!

2014-07-26 20:17:40 | 日本への帰省
日本滞在記つづき:
2014年4月7日(月)
翌日は奈良で、私が日本を出る直前まで働いていた職場時代の仲間に会いに。ランチを一緒に、ということで選んでくれたお店があのあこがれの「秋篠の森」!いや~、懐かしい。ここは職場から近かったので、特別な機会には何度か来たことがあるけれど、やっぱりそれだけ「特別な」レストラン。



お昼の部、夜の部ともに完全予約制だし、メニューも、お食事スタートの時間も決められています。その代わりにとても心地よいおもてなし、とびきりおいしい上品なごはん、居心地のよい空間が毎回約束されている。ワクワク。

お食事の時間が指定されているから時間厳守だったのに、あろうことか私一人行き先を間違えて全然違う電車に乗り途中プチパニック、最後は急遽タクシーでバタバタと駆けつけるはめになりましたが(「平城駅」を「平城山駅」と間違えて「平城山駅」に行っちゃったの。前者は近鉄線、後者はJR線!ぜんぜん違う)、レストラン指定のランチ開始時間にはなんとか滑り込みセーフでした。



この日会ったのは、京都で働いてた頃の同僚と、その頃いろんなプロジェクトを一緒にした大学の先生。元同僚とはここに来る前に東京で会ってたので、今回2回目。彼女は一緒に働いてた頃からの私の抜けっぷりを知ってるので、この日の私の行き先間違いに「りょうちゃん、アメリカで仕事してて支障ない?大丈夫なん??」とレストランにたどり着くなり心配されました、笑。図星だけど。ありゃ~、やらかしちゃった!っていうのはいまだにあるよね、日々(ブログに書いてないだけで)。



しっかり者の彼女はもうずいぶん前に独立して、東京の二子玉川で Box and Needle というとびきり素敵な「箱」のお店を展開している。ふつうにふらりと入った本屋さんとかで、彼女の出版した本が並べられてたり、何気なく手にした雑誌に彼女のプロダクトやお店の記事が載っていたり、別の人づてにすごい活躍ぶりを聞いたりして、なんだかもう私とは違う世界へ羽ばたいて輝いてる様子。本当に頼もしい!

もう1人の大学の先生は、以前いろいろな仕事を一緒にさせてもらって、当時ものすごく影響をいただいた先生。たぶん私のその後の人生や職業選択に多大な影響を与えてくださった方。思い返してみれば、「Exploratorium で働くことを本気で考えてみたら?」とおっしゃってくださったのもこの先生が最初だったような気がする(いや、それ以前にも「MITメディアラボで働かせてもらったら?」とか、発言がいつも big で、実現性のあるなしに関わらず、なんというか、勇気をくれる先生でした)。



この2人は私にとって大切な人達なのですが、久しぶりに会ってゆっくりごはんを食べながらいい時間を過ごして、変わってなさに心底ほっとしました。いや、話してる内容は変わってるんですよ、そりゃお互い会っていなかった5年の間につもる話もあるし、仕事関係で日本はどう、アメリカではこうなんて教育やミュージアムの話もしたのだけど。ただ純粋に素敵な空間で、おいしいごはんを前に「お、、おいしいわぁ~、これ」と心底感動しながら味わってる私達って、ぜんぜんあの頃のままだわ、と思った幸せな午後。結局のところ、好きな人たちと極上の空間でおいしいもの一緒に食べながらする話こそがとびきりのごちそう。そこが変わっていなくて、とても安心しました。





食べたもの、見た目にも美しくて、やさしい味つけ。あぁ、私日本に帰ってきてるんだなぁとひしひしと感じる春の味(メインが運ばれてくる頃には写真のことなんて忘れてお食事に集中してたので、写真がないの)。秋篠の森は、木々に囲まれていて本当に素敵な佇まいです。サンフランシスコにも、バークレーにも、こういうレストランはないなぁ。控えめで、古いものと新しいものを上手にとりいれていて、インテリアも草木もガーデンもひとつひとつの仕事がとても丁寧な感じ。いつかフィリップをこういうところに連れてきてあげたい。




お店のスタッフさんにせっかくの再会なので記念撮影をお願いしました。
「10年後に見る写真ね!」と言って撮ったのだけど、2024年にはそれぞれ何をしていることやら。

その後は、京都にある懐かしの職場へ行ってみました。京都といっても、けいはんな学研都市にあるので、秋篠の森から車ですぐ。実は、この職場はこの春に東京へ移転したばかりで、もう誰もここで働いておらず今は建物だけが残るのみ。誰もいないけど、このタイミングで見に来られてよかった!


懐かしいなぁー。
5年前、あの白い建物の中で、日々いろんなことがありました。新しい世界を見せてもらったし、新しい仲間とも出会いました。サンフランシスコの Exploratorium のことを知ったのも、今のボスと初めてメールでやりとりをしていたのも、すべてここから。何というか、人生のすべてのことはお互い有機的につながっているのだろうから、ある一点だけを取り出して「あの時のあれが今のこれにつながってる!」なんて一概にいえないけれど、今アメリカにいて自分が今みたいな仕事してるのはなんとなくここが原点だった気がする。


そこから車で先生の大学の研究室にもおじゃましました。ここも、昔よく来ていた場所。懐かしいなぁー。あの頃、大学生を相手にする仕事が少しあったけれど、いやはや、先生が学生達をぐいぐい引き込むパワーをいつも傍観するばかりでした。


ちょっとお邪魔しただけなのに、ささっとお約束のランチョンマットをつくってプリントアウトして、ドーナツとコーヒーでおもてなししてくれて、、、そういうのも5年ぶりで本当にうれしかったな。

もう3ヶ月も前のことなのに、こうして写真で見返すと昨日のことみたいに思えるわ。それにしても、この1日は2005年~2009年までの思い出をたどる旅のようで、その行程をその頃ほんとに濃い時間を過ごしたふたりと一緒にまわれてよかった。

願わくば、またいつの日か、日本とアメリカで一緒になにがしかの仕事ができますように。そんなふうに思わずにいられない、懐かしい、思い出の一日でした。

5年ぶり、同い年の友達!

2014-07-21 07:40:46 | 日本への帰省
日本滞在記つづき:

2014年4月6日(日)
夜は大阪で、大学時代の友達4人でごはんを食べました。会うのはこれまた5年ぶりぐらい???1人は2児の母であり、1人は1歳ぐらいの乳飲み子があり、もう1人は結婚したばかりでとても幸せそうでした。この夜は何が楽しかったって「同い年の友達」4人で集まったこと。

大人になると同い年の友人見つけるのって大変じゃない??
いまアメリカで私の周りに同い年の女子が皆無です。だいたい3つか4つ年下か(はたまた20代か)、3つ上かすごーく上かって感じ。同じ年の男子ならいて「1975年生まれ!」で盛り上がることはあっても、やっぱり育ってきたバックグラウンドが違うから(アメリカとイタリア人)何か違うんだよな。

そんな同じ年の女子まったくいない5年間だったので、同い年のジャパニーズ女子が4人で集まっているというシチュエーション、それも昔からの友達ってことで、ほんとうに気兼ねなく心おきなく、いろ~んなことをぶっちゃけトークできたのがすごくたのしかった。昔は当たり前だったこういう集まりが今は貴重。


(1人は乳飲み子がいるため先に帰っちゃったのだけど、残りの3人で帰る間際に店員さんに撮ってもらった)

同じ年の友達がいうことは何でも親近感がわきます。身体のこと、肌のこと、仕事のこと、家族(あるいはこども達)のこと。この夜のいちばんの話題は身体のことだったかな?お互い同じ年だけ生きてるから、参考になりまくり。たとえば肌のことなんてアメリカ人と話したって全然盛り上がらないんだけど(みんな日焼けしたい派だし、日本人とまったく考え方が違うし)、やっぱり日本人女子トークはみな立ち位置が同じなので居心地がいいわー、分かってもらえるのが。それ以外もアメリカでは話さないような超プライベートな話題もたくさんして、私はいろんな情報と刺激をもらって、一気に開眼!今もう帰ってきてから3ヶ月経つけど、この夜のことはその後の私にも影響バッチリ与えてると思う。


食べたのは旬の素材を使った自然食のバイキング!嬉しすぎ。
(お店)
旬菜食健 ひな野 大阪OCAT店
大阪府大阪市浪速区湊町1-4-1 
OCAT 5F

5年半ぶりの京都駅

2014-07-13 08:25:37 | 日本への帰省
日本滞在記のつづき:
もう3ヶ月前のことだけれど、、、何年かしたら忘れちゃうことも多いので、いま覚えてるうちに書いておくのです。

2014年4月6日(日)
この日は京都へ向かいました。せっかく日本に帰っていると言うのに、実家に泊まったのは本当に数日ぐらいで、この日から約1週間ほど京都へ出かける私。

ああでも嬉しいなぁ。またこのブログの「京都」カテゴリに記事が増えていくなんて。大したことはしていないけど、思い出のひとかけらをここに残しておこう。


ちょうどお昼時の新幹線だったので電車の中で優雅にお弁当を食べました。もっとグレード高くて美しいお花見弁当が良かったのだけど、お花見シーズンですべて売り切れ。仕方なくこれ、でも十分でした。山菜おこわ、シュウマイ、ブリの照り焼き、 etc... 何より「お弁当」というスタイルが久しぶりで嬉しおいしかった。

新幹線が京都駅のホームに入ると聞こえてくるアナウンス「京都、京都です」。それが本当に懐かしくて、席を立ちながらじわじわじわ~っと感動にひたっていると、降りる間際に前にいたロシア人女性が私に道を尋ねてきました。

I want to go to Omiya. Do you know which train I should take?

大宮に行きたいらしい。
京都をまる5年も離れていたのに、こう聞かれてすぐに地下鉄マップが頭にうかんで、地名もつぎつぎと出てきてスラスラとこたえている自分にプチおどろき。「新幹線をおりたら地下鉄の京都駅へ移動して、そこから七条、五条と乗って、四条駅で阪急線に乗り換えるの、そこは四条烏丸という駅で、そこから四条大宮へはひと駅だよ。」こう説明しても、「じゃあその最初の地下鉄の駅へはどういけばいい?」と聞いてくるので、いっしょに歩いて地下鉄まで案内をしました。

そんなことをしてたのであまりひとりで感慨にふける時間はなかったのだけど、まぁ人助け+自分の記憶のリフレッシュにもなってよかったかな。京都の地下鉄の駅名なんて、私の脳の奥のほうの桐だんすにしまわれていて長いこと取り出す機会がなかったから、笑。シカゴに住んでいるという彼女は英語もとても上手でした。

何はともあれ。


Long time no see, Kyoto! I missed you!!

駅の構内にもそこかしこに思い出が詰まっていて、歩いているだけで涙でそうになりました(大げさでなく本当に)。この構内を何度走ったことか。ここから何度旅立ったことか。ここで何度人を出迎えたり見送ったことか。京都って、若い頃の自分の何もかもを清濁合わせのんで包み込んでくれるような不思議な包容力があるのだよね。

駅前のタクシープールのところに立ててある手書き風の看板「左側実車 右側空車」が昔と変わってない。全~然、何の思い入れもない看板なのに、その看板におかえりと言われてる気がしてしまうんだから、なにで記憶のスイッチが入るかわからない。


京都の緑の市バス。市バスの番号、28番とかは思い出深いなぁ。この駅前のなんてことないつまらない風景が猛烈になつかしい。特にこの風景は京都駅が新しくなる前の古い京都駅を思い出させるようでとても懐かしくて、なんだかねぇ本当にもう、何をみても、どこを歩いても、それはみな「いつか毎日のように見ていた風景」なわけで。記憶のパズルがひとつひとつカチッカチッとはまっていくみたいで、とても不思議な感覚だった。


こんな売り場の風景でさえもなつかしい。ていうか、アメリカから来るとこの試食コーナーがとても珍しく見えて写真に撮るに値する風景なの。お漬け物がおいしくて、買わないのにさーっと味見。満足!


駅の構内。ここは走ってる思い出しかないなぁー。時間ギリギリガールでしたから。ここの奥左手にある立ち食いのお蕎麦屋さんみたいなところで売っているおにぎりがとてもおいしいんだよね。ちりめんじゃこの。まぁ、京都で買うちょっといいおにぎりはどこのでもおいしいけどね。ここは構内だから時間がないときにさっと買えて便利。

この日は夜に大阪で大学時代の友達に会うので、京都のホテルに荷物を置いてすぐに難波へ。
やっと西日本に来られたこと、待っている友達がいること、思い出のつまった懐かしの街を旅人として歩くこと。気分は高揚。天気もよくてお花見シーズンで、これからの数日間に胸は高鳴るのでした。

最近の一枚

2014-07-10 11:52:00 | 日常
先日、バークレーで同僚の結婚式があってみんなで撮った1枚。新郎新婦ともに職場が同じなので、会場にはエクスプロラトリアムのスタッフがいっぱいでした。

新郎が中央のネクタイしてる人。新婦はこの写真にはいないのだけど、この2人はともに「会うべく人に出会った」という感じでみるみる恋に落ちていったのよね。間近でそんな展開をみていたから感慨もひとしお。


ボスはいちばん右でふざけて私達のチームのTシャツを着て写っています。ちゃんと正装していたのですがこの写真のときだけ、スーパーマンのようにYシャツの下からこのTシャツが出てきておもしろかった。

桐生で昔の同期に再会

2014-07-02 09:11:42 | 日本への帰省
日本での思い出つづき: 2014年4月5日(土)
前々回書いたKちゃんとの短い再会のあとは、Jちゃんとともに群馬県桐生市へ。この街はたった3年間だけれど、私が高校教員として勤めた街。故郷群馬県のなかでいちばん好きな街。市内を渡良瀬川と桐生川が流れていて、山もすぐ間近で、その山の合間をわたらせ渓谷鐵道というたった1両か2両の列車が走る。水と緑に恵まれ、それプラス、伝統的な織物産業や江戸時代の繁栄を伝える街並が現存する素敵な街。


ちょうど桜の時期で、新桐生駅前の桜並木も満開。Jちゃんの車から、ちょうど信号が赤だったので写真を撮る。あの頃、まさにここは通勤路だったんだよなぁ。


桜のトンネル。
何も、変わっていない桐生の街並。

さて、桐生を訪れた理由はここであの頃一緒に働いた同期が集まる会があったから。私が新卒でその高校の教員として採用された年、他に採用された同期がなんと全部で16名もいた!1つの高校で、ですよ。しかもみんな専任としての採用。バブルですなぁ、、、。科目も、私の教科だった英語をはじめとして、中国語、国語、数学、生物、福祉、体育、家庭科、美術、情報、保健の先生、と多岐にわたる。そんな集団で新任研修とか受けてたので、みんな仲が良かったんだよね。

この日の朝に東京で会ったKちゃんも、そこから一緒に帰ってきたJちゃんも、この時代の大事な同期友達で、金曜夜はしょっちゅうごはんを一緒に食べた仲。新任だった私達には毎日の学校ドラマをネタに話しがつきなくて夜遅くまで時間を気にせず話し込んだっけ。なので、今回そんな2人に再会できて本当によかった。JちゃんもKちゃんもこの5年の間に連絡先が分からなくなり、ふたりが今どこでどう暮らしているのかまったく知らなかったので、行動を起こさなければ一生音信不通になるところだったのだから(つくづく筆無精の自分を反省します)。

あの時代の同期、この2人に会えただけでもすごく嬉しかったのに、さらに同期会でもっとたくさんの同期に再会できることとなった。場所は阿左美の居酒屋「逢生坂」さんにて。お座敷に足を踏み入れた瞬間に、懐かしい顔ぶれ。一気に14年前にタイムスリップしたような気分になった。集まったのは9名で、あの頃16人入った同期で今も続けて同じ高校で教員をしているのは5名だとか。正直、連絡のつかなくなってしまった人もいるみたいなのだけど、それでもこの日9人集まったってすごい。

おいしいごはんを食べながら、あの頃のように教育談義に花を咲かせたり、あの頃と少し違うのは、みんなの近況話の中にパートナーのことや、こどもの話が入ってきたり(こども連れで来てる同僚も!)。または私みたいに今は全然違う場所/分野で仕事をしている人の話をしたり。でも一番おもしろかったのはやっぱりみんなが共有した「あの時代=新任時代」の話だったかな。記憶のかけらをたどって、「ああいうことがあったよね」「こういうことがあったよね」「あれはいったい何だったん?」etc..たとえば今でもよく腑に落ちてないけれど、なぜか土曜日出勤で歌の練習があったこととか、笑。あれって何だったんだっけ???

ともあれ、話はつきなくて、居酒屋さんを出た後はなつかしの「茶屋マリノ」へ移動してお茶&スイーツ。同期っていいなぁ。ふだんまったく話すことがなくても、全員が人生のあるときに同じ場所、同じタイミングで教職について、とても濃い時間を共有した仲間。私にとっては3年間、人によっては1年、あるいは15年(そして現在も継続中)、と長さはバラバラでも、共通点があるからすぐにあの頃に戻って気負いなく話ができる。

この日たくさんの昔の同期たちに会って、久しぶりに昔の細胞が生き返ったみたいになった。10年以上会ってない話もしてないのによそよそしくもならず、会ったとたんにあの頃の調子で話が始まるのとか。ほんと、ほっとする。「送ってくよ」と言われていちいち家の住所を説明しなくていいとかね。体育や部活指導の同僚たちは格好がジャージでそれがまたみていて落ち着く。毎年じゃなくていいから、これからもふとしたタイミングでみんなに会いたいなぁ。そのためにも音信不通にならないように、この日もらった連絡先をしっかりと今の iPhone に登録したのだった。